kotaro-tsukaのブログ

社会の構造によってつくられる誰かのいたみ・生きづらさなどに怒りを抱き、はじめました。「一人ひとりの一見平凡に見える人にも、それぞれ耳を傾け、また心を轟かすような歴史があるのである」(宮本常一)をモットーに、ひとりひとりの声をきちんと聴き、行動できる人になりたいです。このブログでは主に社会問題などについて考えることを書いていく予定です。

大学でのゲストスピーカーでお話したこと―地域に関わるを考えるー

はてなブログの投稿が滞ってしまっており、ちょうど二か月ぶりの投稿となりました。

また、今回の記事の内容は今年の5月に母校の大学で(オンライン)ゲストスピーカーをした件というかなり遡ったものとさせていただいています。



ここではゲストスピーカーで登壇した際に、私からどのような内容をお話したかについて(かなり抽象的ですが)、また、学生たちからいただいた感想について、ざっくりとではありますが記載したいと思います。

 

ameblo.jp

ちなみに上記の記事でも簡単に書いたのですが、より詳しく(学生の感想を中心に)記載したものとなる感じです。

もし内容にご関心持ってくださる方がおられましたら、同じようなお話をさせていただければと思いますのでお声かけてくだされば幸いです。

 

 

どのなうな授業で話したか

まず今回私は、私の母校のとあるゼミの一コマをゲストスピーカーとして担当させていただきました。

地域福祉に関する授業・ゼミであり、学生たちが地域に関わるための「入り口」について考える、または自分の地域を知ることや、自分の人生にとっての地域を考える機会について学ぶものとなっています。



コロナ禍でフィールドワークが制限される中で、学生たちがどのように地域を感じ、地域に関わっていくかを考えることはなんとも難しい命題のように思います。



しかし、コロナ禍でオンライン導入となったからこそ、他地域の実情や他地域での暮らしなどを知る機会が作りやすくなったということや、「ステイホーム」のかけ声と共に自身の地域に留まる機会が増える中で、自身のいる地域およびそこでの暮らしについて考えを深める機会が作りやすくなったとも言えるのではないかということから、今回私にお声をかけてくださったということでした。



学生時代というのは様々な背景を持つ人々と出会ったり交流をしたり、読書をしたり旅をしたりすることで、多様な価値観・生き方・文化等に触れ、自身の視野を広げ、よりよい生き方を問うていくものではないかなと私は感じています。



コロナ禍がそれらを圧倒的に制限している今、私にどんなお話ができるとよいだろうか…と考え、自身の無力さを感じながらも、今回貴重な機会にお話をさせていただいた次第です。

以下、内容を簡単に書いていきたいと思います。

 

講義内容について

私にお声がかかった理由に私のバックグラウンドがありますので先に書いておきますと(詳しくはこちらをご参照いただければ幸いです)、私はもともと海なし県で育ちましたが、現在は海が目の前にある地域で暮らしています。

いわゆる「移住」を経験した立場であり、つまりは複数の地域での「生活」経験があるという立場になります。

さらに言うと、私が「移住」した先は東日本大震災で「被災した地域」であり、「地域」として特殊性があると言えるかと思われます。



こうした「移住」の経験と「被災した地域」での「生活」が、私自身の「地域」に対する見方をどのように養っていったか、あるいは変えていったのかなどについて学生と共有することによって、学生たちの「地域」に対する考えが深まりうるのではないか、ということで今回お話をさせていただきました。



そうした自己紹介をはじめにお伝えし(母校出身というのも親近感湧いてくれるかなと思ったのでお伝えしました)、私の「移住」までの経験および「移住後」の「生活」の経験を主にお話しました。

 

移住までの経験

私は大学院生になる時に東日本大震災を経験し、大学院の2年間を東日本大震災の「被災地」に「災害支援・ボランティア」で通い続けました。

今後別の媒体で(codocの予定でしたがthe Letterで書きたいと思っています)災害支援等に特化した記事を書いていくつもりですので、はてなではそのあたりは割愛させていただきます。



つまり私は東日本大震災の「とある地域」に「災害支援・ボランティア」という切り口(入り口)で関わるようになったと言えます。



外から通い続けるうちに私が自覚するようになったのは、「外」から「災害支援・ボランティア」という枠で見える「地域」と、「内」から「生活」という枠で見える「地域」に大きな違いがあることでした。

 

 

それは至極当然のことなのですが、私はこうした経験から「内」から「地域」を見てみたい、感じてみたいと思うようになり、様々ご縁をいただいて「移住」の選択をするに至りました。



移住をしてみて

大学院の2年間を修了し、移り住んでみて私自身にとって衝撃的だったのは10キロ太ったことでした笑



もともと瘦せ型で食べても食べても全然太らない体質だった私が、あっという間に太っていった経験を通じて、なぜ太ったのかについて考えました。



そのことに気が付くために大切なのは、海なし県の頃の「暮らし・生活」と現在の「暮らし・生活」を「比較」してみることです。

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比べてみるからわかることがある

 

私はそれぞれでの「暮らし・生活」の違いを写真やクイズにしながら学生たちと共有し、今の「暮らし・生活」の場である「地域」がどのようなコミュニティなのか、どういった課題を抱えているのか、どういう力があるのかといったことについて、考えられることをお話しました。



災害の経験

とは言え、冒頭にも書いた通り、私の移り住んだ先は東日本大震災で「被災した地域」であり、その特殊性や影響について触れないわけにはいきません。



「震災から10年」と言われますが、私のわかる範囲で「10年」よりも広い範囲で「被災地」と呼ばれる「地域」のことについて、そこで目にしてきたこと、「生活の場」として強く感じてきたこと、経験してきたこと、今後考えられることなどなど…それらについて共有しました。

このあたりの詳しい話は、先ほども書いたように別媒体で今後書かせていただきますので割愛します。



私がこれらについて学生たちと共有できるようになったのは、やはり「生活」の経験があったためだと思っています。



「地域」にどう関わるかという話に戻れば、私はもともと「災害支援・ボランティア」として「被災した地域」に関わるようになりました。



そうした関わりから「生活」として「地域」に関わるようになったことで、「外」から「災害支援・ボランティア」の視点でいては気づくことのできなかった「地域」に気づくことができたのだろうと思います。



同時に「違う地域」での「暮らし・生活」の経験があったことが、私にとって現在の「地域」での「暮らし・生活」がどのようなものなのかと気づくにあたってとても役に立ったと考えられます。



大学というのは専門的な視点を培っていく機関だと思いますが、私はこうした経験から、専門的な視点を深めながらも、他と比べることや違う入り口(視点)から学んでみるという経験は非常に大切なものであると感じています。



私自身まだまだ視野も経験も浅いと自覚していますが、今回震災に関することはもちろん、地域の多様性や地域を知るという経験について学生たちにお話することで、改めて「地域」で「暮らす」ということを考える機会となりました。



この記事では、ほぼ具体性のないざっくりとした内容しか書きませんでしたが(すみません)、以下の学生たちの感想に私の話を一生懸命聞いて考えてくれた、とても大事なものが書かれていると感じますのでご参照いただければ幸いです。



学生たちがくれた感想

多くの感想をいただいたため、すべてを書き込むと長くなってしまうことから省略しながら箇条書きのかたちで感想を載せさせていただきます。



・私は宮城県出身なので東日本大震災は経験しているが、内陸部だったため津波の被害を受けなかった。津波を受けた地域がどのように復興を遂げているか知っていると思っていたが、知らないことがたくさんあった。その地域らしさを残しつつ、震災以前より良い街を作るのが本当の意味での復興ではないかと考えた。これから調査を進めていくにあたって、様々な視点・角度から地域を見るということを意識していこうと思った。人間が生きていくには人との関わり合いは欠かせないことだと東日本大震災・コロナ禍を経験して感じた。それを実現するために地域の役割はとても重要なものであると思った。



・被災地の被害は家が壊れたり、土地が崩壊したりなど、可視化できるものだけでなく通常通り近所づきあいができなくなるなど、行ってみないと分からないことがあると感じた。また、その土地の特徴というのはその住民からしたら当たり前のことなので、自分の土地を調べる際はその他の地域と比較することが必要なのではないかと感じた。



・今回震災の被災地に住む人から実際にお話を聞ける機会があり良かった。私自身、東北に行ったこともないし、関わりを持ったことがない。外側から見たことしかないため、どのような支援があるとかはニュースなどで見たきりで、最近はほとんど耳にしてなかった。だから、今もなお、困難やダメージと共に生きている人がいることを改めて知った。自分の地域に対してもっと尊厳するべきだ。また、深く知るために地域を知る楽しさを感じたい。そのためには、地域のどこが楽しいのかを、もっと調査を通して知りたい。



・被災地に対してのイメージはダメージを負った地域「かわいそう」だが、それだけではなく、実際の暮らしの場であり、固有の文化を持った、「被災地」ではなく固有の地域名がある。実際にコミュニティで起こっていることは推測だけでは判断できない、内側から生活を見ないと分からないことがあると学んだ。ゆくゆくは地域にあった形の支援、震災後の生活を見据えた生活を考えなければならないと考えた。東京のような都会は人がつながらなくとも社会のシステムが回っていくが、地方地域独特のシステムで互助が成り立っているのではないかと考えた。



・今回、大塚さんのお話をお聞きして、「外から見える世界」と「中から見える世界」とのどちらも重要であると感じました。その視点での当たり前が他方で通じるとも限らず、広い視野で多角的に見ることで新たな情報を得ることが可能となることを学びました。これは言い換えると、外からしか見えないモノもあるということになると思います。ずっと中にいることで定着していた当たり前が、外からの視点では特異に見られることもある。地元を調べるだけでは、中で持っていたこれまで通りの当たり前の尺度での調査となってしまうので、あえて外から見る、外を知り比較するという要素も加えていくべきだと感じました。今回学んだ内容や考え方は今後に生かしていきたいと思います。



・私が特に考えさせられた点は、「外側からの目線と内側からの目線の違い」についてです。自分の当たり前は実はあたりまえではなく、外からみていたものを内からみることによって新たに発見できることも沢山あることを学びました。一方、グループワークを行った中で、「私たちは地元について調べる際、内からの視点に偏っている」という意見を聞き、2つそれぞれの視点(内、外)から地域を見ることが主観的、客観的な良さ、悪さを知れることに改めて気づきました。



・住民目線で地域を考えることがとても大切だと考えさせられました。今、私は、地域の調査を進めているところですが、地域をデータ的にみる方法、ひとつのことに焦点を当ててみる方法、他の地域と比較してみる方法、客観的にみる方法など、多様な見方で地域を体感していくことの大切さに気付かされました。



・復興支援は国、政府から支援してもらうと思いますが、その過程にあたって国、政府は果たして『地域』のことをより深く考えて行っているのかどうか、疑問に思いました。結局は国家が潤滑に回るために、そしてその地域を『発展』させることを良いことだと思い、物事を勝手に進めてしまっているのではないかと思いました。これらのことを考えると、よりコミュニケーションの重要性を感じました。



・これから私が調査を進める予定である東京都○○区は、大地震が発生した直後から対応は迅速に行われるでしょうが、土地柄国にとって重要なインフラ等が暫く機能しなくなり、結果として周囲に与える影響はとても大きいはずです。災害発生時の都心ならではの福祉的対応や人間関係の変化も含めて地域福祉の調査を進めたいと考えました。



・私の地域では地縁型コミュニティは衰退してきているなと感じましたし、東北地方の文化的宗教的慣習に触れて私の地元にも小規模ではあるもののそのような行事はあるなと気付きました。さらに住民側の視点でのお話から、地域を知っていく上で人口や歴史、産業、気候などの客観的事実だけでなく、生活習慣や慣習、コミュニティなどの住民の主観的な視点も今後重視していきたいと思いました。

 

 

・地域での暮らしが違いすぎて思わず笑ってしまいました。今日の授業を聞いて本当の意味での復興とは目で見えるほんの一部のものではなく、その地域の文化や習慣、元からあった暮らしをないがしろにして行うものではないと考えました。効率や見た目ではなく、心に寄り添う復興が必要だと感じます。そのためには、地域を知り、多角的にみるということが重要だと思います。



・私もそうでしたが支援や復興と聞くと支援する側、支援される側(被災地)と分けられることが多く、「地域」のためではなく「被災地」が活動力を取り戻すためというイメージが着いてしまっていると思います。広い視野をもって住民の生活や大切なもの、地域のアイデンティティを知っていることは復興や支援など地域内でアクションを起こす際に非常に大切なのだと気づかされました。



・以前までの私は地域のつながりなど意識せずに、ただお金と人材のみが重要だと思っていましたが、本当に必要なのはそれだけでなく、地域とのつながりを断たないことなんだなと理解しました。



・私は上京してから地域というものにほとんど触れていないと思っていましたが、大塚さんの体型の変化の話を聞いて知らず知らずのうちに関わっていたのかもしれないと感じました。震災当時に原発の影響で避難してきて私の学校に転校してきた人たちは、未だに元の場所には戻れていません。復興が進んでいるとは聞いていても、その子たちやその親の故郷が無くなってしまっている状況に疑問を感じていたため、何が復興なのか、切り口を変えてみてみると違う面が見えるということにとても納得しました。それと同時に、地域らしさを守ることの難しさ、大切さを感じました。発表に向けて、比較ということを取り入れて、今までは気づかなかった地元の魅力や、今住んでいる地域の魅力を調べていきたいです。



感想から改めて思うこと

ひとつひとつにしっかりお返事をしたいくらい、学生さんたちが一生懸命話を聴き考えた上で感想を書いてくれたことを感じました。心から感謝です。



学生さんの感想を読み、思うことはたくさんあるのですが、今回の講義の中でも引用した言葉がやはり思い浮かんできましたので、いくつか載せたいと思います。

 

宮本常一(著),田村善次郎(編)『宮本常一講演選集 郷土を見るまなざし 離島を中心に 郷土大学開校記念講演講義録1980』より

 

大事なことは規格化されることではなくって、みんなが企画し、お互いがお互いに発見していくことである。

その発見していく一番大事なもとになることは何であるかというと、やはり自分が今住んでいる場を、その生活の場をもとにしてその中から新しい生き方をみつけていくことです。

 

 

続いて同じく宮本常一の『民俗学の旅』より(渋沢敬三の言葉ですが)

 

ある地域、あるテーマについて集中的に詳しく掘り下げてゆくことは大事なことであるが、それ以上に、つねに全体観を持ち、広い視野から部分を見ることが必要である(渋沢敬三

 

これは私がお世話になった方が話されていたことなのですが、私たちは自分自身の髪型に気づくために、鏡を見たり、実際に触ってみたり、誰かに教えてもらったりするものです。

むしろ、そうしないと自分の髪型に気づくことすらできないものですよね。

きっと「地域」や「暮らし・生活」も同じなのではないだろうかと私は思っています。

 

それらがどのようなものか気づき、よりよくしていくためには、自分の今いる「地域」を照らす何かや、実際にあるくみるきくをすること、そして誰かと話し合って見つけていくことが必要なのだと思います。

宮本常一渋沢敬三の上記の言葉は、そうしたことを言っているのではないかと私は思っており、学生さんたちは私の拙い話からこのことの意味を今回理解してくれたのではないかなと思っています。

 

また、これも宮本常一の『民俗学の旅』からの引用となりますが、

 

私は長いあいだ歩きつづけてきた。そして多くの人にあい、多くのものを見てきた。それがまだ続いているのであるが、その長い道程の中で考えつづけた一つは、いったい進歩というのは何であろうか、発展というのは何であろうかということであった。

すべてが進歩しているのであろうか。停滞し、退歩し、同時に失われてゆきつつあるものも多いのではないかと思う。失われるものがすべて不要であり、時代おくれのものであったのだろうか。進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、時にはそれが人間だけでなく生きとし生けるものを絶滅にさえ向かわしめつつあるのではないかと思うことがある。(略)

これからさきも人間は長い道を歩いてゆかなければならないが、何が進歩であるのかということへの反省はたえずなされなければならないのではないかと思っている。

 

という言葉も私の中では浮かんできました。

 

これから先、長い人生を生きる学生さんたちがこうした考え・視点を持ちながら「地域」を見て、「地域」に関わっていくことができれば、世の中は大きく変わっていくのではないだろうかと―願いも込めて―感じています。



私の頭の中に常にある言葉は宮本常一の父親の10の言葉のひとつである



人の見残したものを見るようにせよ。

その中にいつも大事なものがあるはずだ。

 

という言葉です。



コロナ禍で時代がどんどん変わってきていると思いますし、今後もその変化は加速していくと想像がされます。

その変化が果たして進歩と言えるのかを私たちは注視していかないといけないと思いますし、同時にその変化の先に見残されたものが多く出てくるだろうと思います。

私はそのことを忘れずに生きていきたいと思いますし、この貴重な機会、そして学生さんとの感想を通じたやり取りからも、改めてこの言葉の重みを感じました。

 

大切なものを当たり前に大切にできるように。

その大切なものに気づくことができるように。

そんな風に在ることができるよう精進していきたいと感じます。

貴重な機会をくださった先生、学生さんたち、そして私にこれらを教えてくれた方々に心から感謝して終えたいと思います。