kotaro-tsukaのブログ

社会の構造によってつくられる誰かのいたみ・生きづらさなどに怒りを抱き、はじめました。「一人ひとりの一見平凡に見える人にも、それぞれ耳を傾け、また心を轟かすような歴史があるのである」(宮本常一)をモットーに、ひとりひとりの声をきちんと聴き、行動できる人になりたいです。このブログでは主に社会問題などについて考えることを書いていく予定です。

選挙権を求めた歴史を考える@『ピータールー マンチェスターの悲劇』

周知の通り、1031日に投開票の衆議院議員総選挙が行われます。

投票日まで一週間ほどとなり、期日前投票も行われていますが、選挙が近づいてくると投票率―特に若者者の投票率の低さ―が話題になりますね。



ネットを開けば、投票率を少しでも上げるために(正しくは投票する権利を持った人がその権利をきちんと行使するために、でしょうか)「投票率が下がるとどのようなこと(損失)が起こるか」について可視化されたり、

自分の考えと近い政党はどこかがわかるようなサイトができていたりと、様々な取り組みがされていることがわかります。

その中でも今回特に話題となっているのは、政治の発言をタブーとされていた芸能人が「VOICE PROJECT 投票はあなたの声」という自主制作のプロジェクトを通じて、投票を呼び掛ける動画VOICE PROJECT 投票はあなたの声 (秋元才加 安藤玉恵 石橋静河 小栗旬 コムアイ 菅田将暉 Taka 滝藤賢一 仲野太賀 二階堂ふみ 橋本環奈 前野朋哉 ローラ 渡辺謙) - YouTubeが公開されたということがありました。

個人的にはこの動画のことを知ったときは大変感動しましたし、こうした取り組みや動きは「社会が一歩ずつ前に進もうとしている証」と捉えられる一方で、投票率の低さがかなり深刻な状況となっているということでもあり、「民主主義の危機」でもあると言えるように思われます(民主主義の危機は今に始まったことではありませんが…)。



これは非常にまずい状況のように私なんかは思うわけで、若い人たちにはぜひ投票に行ってほしいと思いますが、そもそも投票を考えていない人たちにそう言ったところで「ただの押し付け」「うるさい説教」としか映らないのかもしれないということも正直感じています。。

「こんな世の中にしたのは誰だ」という視点も持たなければならず…何もできずにいるのに、若い人たちに「投票に行って変えてくれ」みたいなメッセージを出すのは少し無責任かなと…違和感を抱いたりもします、情けないことに。。



しかし、それでも、、どうか選挙に行ってほしいと強く思いますし、もちろん「ただ選挙に行ってもらえればいい」と思っているわけではなく、「よりよい世の中にしていくための権利」であると知った上で、選挙に行ってほしいと心から願います。



その思いを強くした出来事が先日あり、それは『ピータールー マンチェスターの悲劇』という映画を観たことでした。

意図せず観たのですが、衆議院選挙を前に共有しておきたい内容であったと思うので、この映画についてご紹介しながら、選挙に関する思いを綴らせていただこうと思います。

映画のネタバレになるのでご注意ください。

 

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<a href="https://pixabay.com/ja/users/planetmallika-2152290/?utm_source=link-attribution&utm_medium=referral&utm_campaign=image&utm_content=4499802">PlanetMallika</a>による<a href="https://pixabay.com/ja/?utm_source=link-attribution&utm_medium=referral&utm_campaign=image&utm_content=4499802">Pixabay</a>からの画像

 

 

『ピータールー マンチェスターの悲劇』という作品

早速『ピータールー マンチェスターの悲劇』がどのような作品かを書いていきたいと思います。

この作品は2018年の8月に公開されたイギリス映画であり、“実際に起こった軍による市民の虐殺事件”について、再現されたものとなっています。



舞台はタイトルの通りイギリスのマンチェスターで、マンチェスターにある「セント・ピーターズ広場(以下、ピーターズ広場)」で行われた虐殺事件であったこと、かつ、この虐殺が「ワーテルロー(ウォータールー)の戦い」のようであったことから、「ピータールーの虐殺」と言われるようになったと言います。



「言われるようになった」と書きましたが、こちらによると、映画を撮った監督であるリー監督ですら―マンチェスターで生まれ育ったにもかかわらず―この事件のことを知らなかったようで

 

本当に知らなかった。私たちが大きくなる頃、多くがこのことを知らなかった。

19世紀にこれだけ大きな事件が起きて、哲学者にも影響を与え、政治的にも大きい、とても大事な歴史上のできごとなのに

 

と語っていたそうです。

 

英国で公開した際も多くの人が『本当に知らなかった!』と言った。

 

とも綴られています。



19世紀に起こった事件ということは、今からたかが200年程度しか経っていないことになります。



たかが200年前に、なぜこの悲惨な虐殺事件は起こったのでしょうか。

そして、なぜこれほど「知られないでいた」のでしょうか。



私にその正しい解答など到底用意できませんが、ここからはこの事件が起こるまでにどのような経緯・背景があったのかについて、作品を参考に綴っていき、考えてみたいと思います。



虐殺事件が起こるまで

 

この作品はある軍人が戦争後にイギリスの自宅に戻るシーンから始まります(細かいところで誤りがあるかもしれませんので、そのあたりはご容赦ください)。



軍人が自宅に戻ると、戦争の影響のせいでしょうか、貧困によって生活に困る家族・町の様子があり、人々が生きるために必至になっている(まるで『レ・ミゼラブル』のような)光景が広がっていました。

その一方で、裕福で権力を持った貴族・議員たちはその様子に心を痛めることはなく、裁判では「スーツを盗んだ」罪人が気にくわない態度を示したことで絞首刑にするなどと好き勝手に振舞っています。



人びとはこうした事態に大きな不満(というレベルではない)を抱いており、選挙権を獲得するためにー格差是正のため、不正を正すため、人間らしい暮らしを送るため―集会を開き、運動をしていくことになります。



その様子を遠目から眺める権力者たちは、こうした人々の動きを「暴動」と捉え、「国を守る」という名目でどの法律を使って裁くかと考えたり、声を聴くことは愚か、人々を馬鹿にして見下し「暴力で不満を解消する」人たちと捉えます。

象徴的なのは、国民が権力者に向かって芋を投げたシーンがあるのですが、それを権力者は「石」を投げたことにし、さらには「石」ではなく「銃」を向けたという話に解釈していくのです。

権力者らは自身の都合のいいように事実を捻じ曲げ曲解していき、民衆を黙らせる方向に進んでいきます。



運動をしている民衆の中にも、「話し合い」「声を挙げる」ことで生活・政治を変えていくことを望む人たちもいれば、過激な思想を持って政治を壊そうとする人たちもおり、仲間内でも「分断」が起こります。

あるときの集会では、過激な人たちが演説を中心に行ったために、彼らを権力者が実際に捕まえるということもありました。

民衆の中にはそうした事態を恐れたり、「いくら声を挙げても無駄」と考える人たちもおり、運動にそもそも参加しない人たちもいたりします。



それでも運動をする中心人物らはあくまでも「話し合い」「声を挙げる」という「非暴力」の方法で運動を展開していきます。

これは私の解釈ですが「非暴力」であることと不満を抱く人が増えたためか、運動をする民衆の数は増していき、様々な事情・条件が重なったことによりついに「ピーターズ広場」で「非暴力」の運動をすることになるのです。

「ピーターズ広場」で大勢の民衆が「非暴力」の演説・「選挙権を求める」集会を開きます。

彼らは「非暴力」を貫くのですが、それにも関わらず、権力者らはイギリス政府の軍隊を「ピーターズ広場」に突入させます。

混乱状態に陥った広場では、出口がわからなくなり、収集の方法も見つからず、軍隊は逃げ惑う人々を次々に虐殺していってこの事態を終わらせていく…大雑把ですが、この悲惨な事件はこうした経緯・背景があり、このような帰結になったのでした。



さて、この事件を知ってみなさんはどのようにお感じになられたでしょうか?



「これは昔のことだし海外のことだから今の日本で起こるわけないでしょ」と思われた方も多いのではないかなと思います。

たかが200年前ですが、確かにあまりにも時代が違うので同じことはおそらく起こらないと私も思います。

ですが、似たようなことは起こらなくもないし、むしろ水面下で起こっていると言えてしまうのかもしれないと考えたりします。

その理由を綴りたいと思います。



なぜ事件は起こったのか―貧困・格差・分断、そして…―



このような残虐な事件を冷静に考えることなど困難な作業ではありますが、、流れを俯瞰して眺めてみると、この事件が起こる原因として、貧困・格差・分断、そして政治の腐敗があるように私は考えます。



戦争の影響により、人々の暮らしは大変貧しくなっていました。

明日食べていけるかどうかわからないような暮らしをしている人たち、仕事に就けない人たちが多くおり、格差はあまりに大きいものがありました。

それゆえに、富裕層と「そうではない人」との分断も進み、この作品では虐殺事件が起こっているときに、貴族らが優雅に競馬を楽しんでいる様子が描かれていました。

「私には関係ない」と傍観していられる人たちがいるという現実がまた事の深刻さを映していたように思います。

そして「そうではない人達」の間でも分断が起こっていました。

分断を広げっていったのは政府への強い怒りであり、そこには政治の腐敗があったと言えるでしょう。

それを表しているのが、この作品に出てくる婦人会の集まりでの以下の言葉です。

「我々は嫌と言うほど見てきた。不当に議員を独占する貴族によって労働者が搾取されるのを。」

また、婦人会の中には運動を反対する人らもいるのですが、彼女らは

7週のストをやってきたけど、結局殴られて仕事に戻されて賃上げもなしだった」

という経験があると語り、権力者らに力を奪われていることが描かれていました。



この作品を見る限りでは、こうしたことがこの事件を起こしてきた原因と言えるかと思います。

中でも根本的な原因は最後の「政治の腐敗」と言えるでしょう。

それが貧困を生み、格差を広げ、分断を加速させていったと解釈できるからです。

これは「いまの私たちの国」とは全く別の話でしょうか。



なぜこの事件は「知られなかったのか」

もうひとつ、これほどの事件がなぜ知られていなかったのかについて考えたいと思います。



(私の考え)結論から言えば、これほどのトラウマ的な出来事―加害の歴史―はそもそも記録に残すということが難しいものだということが挙げられるかと思います。

国内で虐殺を「起こしてしまった」ため、記録に残し後世に伝えるということは容易ではないということです。



しかし、この事件はそれだけではなく、やはりここでも「政治の腐敗」が大きく関係しているように私は思います。

映画の最後で、事件を聞いた王はこの軍隊の対応に「満足している」と伝えるシーンがあります。

この事件はまるでどこか遠い国で起こった小さなことかのように扱われていたのです。



歴史はより力を持ったものが書き記すと考えられます。

負けたもの、殺されたものに語る力はないためです。

もちろん、事実を伝える人たちもいるわけですが、もしそこに表現の自由報道の自由がない世界であれば、それは表に出てきません。

芋を銃と、運動を暴動と曲解してきたように、権力が集中しそれが悪用されるとき、事実はいくらでも捻じ曲げられ、もみ消されもしてしまうものです。



「知られていなかった」ということについての事実が何かは、実際には私はわかりません。

しかし、こうした「政府への不信感」も考えられる案件ではないかと私は思っており、これもまた「いまの私たちの国」と別の話なのだろうか…と思うのです。



改めて、「民主主義の危機」を考える

 

貧困や格差、分断、政治の腐敗(不信感)…これらが「いまの私たちの国」と別の話かどうかについては、あえて書きません。

書くまでもなく、コロナ禍で私たちはこれらを多く目の当たりにしてきたのではないか…と思っているためです。



こうした現実を前に私たちは冒頭に戻って、「民主主義の危機」を自覚する必要があるのではないかと私は思います。



この事件があった時代、一般庶民に選挙権はありませんでした。

つまり、政治に参加することも、声を届けることも、自分たちで国を作っていくことも階級の高い貴族たちにしかできなかったということです。

階級の高い貴族たちが人格者であればこのようなことは起こらなかったということは言えるかもしれませんが、どんな人格者であろうと、長く権力の座についていればその力を自分たちの都合の良いように使っていく可能性は高くなります。

従って、国民が政治を監視・管理することが必要なのですが、選挙権がないためにそれすらできなかったことになります。

監視や管理のための運動も「暴動」と捉えられてしまえばおしまいというわけです。

これは民主主義ではありませんね・



日本もかつて(『10歳から読める・わかるいちばんやさしい民主主義』引用)、

 

大日本帝国憲法では、国の主権を天皇がもって

 

おり、

 

天皇が政治家などに利用される場面もあり、国民は逆らうことができませんでした。

日本初の選挙は、今から130年以上まえの1890年に行われました。

このときは25歳以上の男性で高い税金をおさめている人にしか、選挙権はあたえられていませんでした。

つまり若い人や女性、庶民の政治参加がみとめられていなかった

 

 

時代がありました。



このような中で、この作品の民衆運動をしてきた人たちのように、闘ってきた人たちがいたから、選挙権を得ることができ、民主主義を実現してきたのです。

ちなみに、この作品では婦人会の人たちは

 

男性たちの支援に力を注ぎ共通の目的を達成しよう

 

 

と言い、

 

すべての成人男性に一票を、自分たちの代表者を自分たちで選びましょう

 

と主張しています。

女性が選挙権を持てるなんて思ってもいなかったためです。

それが「女性も選挙に行けて当たり前」の時代となったのは、少しずつ歩みを進めてきたためということになります。

「選挙に行くことができる」というのは、そういうことでもあるのです。



 

よりよい民主主義のために

結局、お説教のようになってしまいました…自分の力量のなさに愕然としますが、どうかこうした歴史から学び、彼らの努力を無駄にしないためにも選挙に行ってほしいと私は思います。

つまるところ、(私の力では)そこにたどり着いてしまうのです。。ごめんなさい。。



作品の中で彼らは言います。

 

選挙権がないということは生活も自由も財産も保障ないということ

 

同志たちよ、家に帰って家族に呼びかけてくれ、運動に参加しようと、勇気こそが救済の道、我々は自分たちの力で世の中を変えられると

 

本当の恐怖は人が光を恐れること

 

政治に声を反映できれば威厳をもって働けるようになる

 

繰り返しますが、この言葉には女性の声は含まれておらず、これは「成人男性にのみ選挙権を」という世界で発せられた言葉です。

それでもこの言葉は普遍的ではないだろうかと思います。



最後の最後に、民主主義の国に住むものとして、再度『10歳から読める・わかるいちばんやさしい民主主義』を引用して終えたいと思います。



民主主義は、国が民主主義になったらそれで万事うまくいくわけではありません。

花に水をやり、手入れをしなければすぐにかれてしまうのと同じで、

民主主義もよりよくしようと日々考えて参加し続けなければ、

あっという間にかれてダメになってしまいます。

自分の自由を守るために、だれもが幸せに暮らせるよりよい民主主義を目指しましょう

 

そのために、ぜひ選挙に。

政治参加も人権です。人権を大事にする党へ投票に。

私は投票に行きます。