kotaro-tsukaのブログ

社会の構造によってつくられる誰かのいたみ・生きづらさなどに怒りを抱き、はじめました。「一人ひとりの一見平凡に見える人にも、それぞれ耳を傾け、また心を轟かすような歴史があるのである」(宮本常一)をモットーに、ひとりひとりの声をきちんと聴き、行動できる人になりたいです。このブログでは主に社会問題などについて考えることを書いていく予定です。

「若者の投票率の低さ」その理由を聞いてみました

衆議院選挙が終わって二週間ほどが過ぎました。

もうすっかり(少なくともメディアで扱われない)忘れ去られているようになっていますが、

比例代表での略称が国民民主党立憲民主党も「民主党」と記載することになっていたり、投票所が予告なく早く閉められたり、在外投票が間に合わなかったり…と様々な疑惑・問題のある選挙であったように思います。



これらがきちんと検証され改善されようとしないことは大変危険なことであると考えますが、変化の激しい現代において(ましては「水に流す」文化の国…)同じ問題を扱い続けることは「批判ばかりしている」と捉えられたり、「もう飽きた」と言われてしまったりしやすいのかもしれません。

これは問題を起こした側が軽視され、問題を「問題だ」と主張して闘う人たちが嘲笑されるといった構図となりやすく、、非常に怖いものでもあるように私は感じています。



さて、こうした時代を生きる若者たち―次から次へと情報の取捨選択して生きるのが当たり前になって生きている世代―にとっては、選挙というものがそもそもどのように映っているのでしょうか。



f:id:kotaro-tsuka:20211119171817j:plain

Photo by <a href="https://unsplash.com/@ajaegers?utm_source=unsplash&utm_medium=referral&utm_content=creditCopyText">Arnaud Jaegers</a> on <a href="https://unsplash.com/?utm_source=unsplash&utm_medium=referral&utm_content=creditCopyText">Unsplash</a>

 

周知の通り、今回の衆議院選挙は戦後三番目に低い投票率でした。

以前、「選挙格差」なるものを考えてまとめてみましたが、若者の投票率の低さはそうしたこと以外にも何があるのだろうかと選挙後考えてきて、このようなツイートをしてみました。

f:id:kotaro-tsuka:20211119173126j:image

 

もちろん反応はほとんどありませんでしたが、大変ありがたいことに、このことについて答えてくれた方がいたため(本当に感謝です)、ここではその応答をひとつの事例とさせていただいて、私たち大人が何をするべきなのかについて考えたいと思います。

なお、この記事は19日(金)に作成しましたが、週末に「政治をもっと身近に!」という若者のトークイベントがあるようで、そちらを聴講する予定でしたので、聴講後に少し手を加えるか、大幅に付け足すかなどするかもしれませんので悪しからず。



 

 

選ばれた人・偉い人は正しいことをするという思い込み



さて、まず私のつぶやきに反応してくれた方についてほんの少し書かせていただくと、その方はかつて投票には行っていなかったようで、コロナ禍を経て政治に注目するようになったということでした。



その方がなぜ投票に行かなかったかと言うと、そのひとつに「思い込み」があったと言います。

その方の言葉を引用させていただきます(許可をいただいています&少し私が手を加えて読みやすくしています)。



政党や政治家は国民の投票で選ばれてるから、

選ばれていた政党や政治家は立候補した中では国民にとっていい人たちなのだろう。

 



続けて、



現在政権を担っている自民党は他の政党よりもマシなんだろう。

他の政党はもっとよくないから選ばれないんだろうと、人任せな考えを持って、勝手に思い込んでいた。

 

と教えてくださいました。



これをお聞きした時「それはそうだよなぁ」と深くうなづいてしまいました。

私たち(少なくとも日本)は縦社会の中で生きており、親(は少し子育てや発達として違う捉え方となりますが)をはじめ、教師や先輩など上の立場の人たちの言うことを聞き、また、教科書の内容を覚えることで評価されるシステムのもとで育っていきます。



時代はだいぶ変わってきましたが、自分よりも「どうやら偉い人」の言うことに従って生きていくことが正解であり、その「どうやら偉い人」の象徴にも見える政治家(選ばれているので)は「なんだかよくわからないけど立派な人・すごい人」であり、「間違わない人」と思い込んでしまっていても仕方ないように思います。



私自身子どもだったころ、大人はミスをしない存在だと思っていました。

大人というのは強いから泣かないし、何がすごいかはよくわからないけど、とにかくすごい人たちだと思い込んでいました。

だから、親が泣いている場面を見た時の衝撃は大きく、今でも記憶に残っていたりしますし、自分が大人になってそれは思い込みに過ぎないとわかったりします…。



話を戻しますと、子どものころからずっと、上から教わるスタイルの教育を受け続け、学校を出てもなお縦社会の中で育つ私たちにとって選挙もしくは政治というものは、到底「きちんと疑う対象」とはなり得ないことなのではないかと言えそうです。

またこれは、「正しい答えのみを追及する教育」によって強化されていくものではないかと想像がされます。



私たちは教科書(ないし歴史)の内容を絶対正しいと思いがちですが、そもそも教科書は人の手で作られたものであり、現時点で正しいとされるものでまとめられていて、改訂がされていくものです。

むしろ、教科書のような書物は強者によって書かれ残されやすい傾向があり(敗者は意思決定の場にいないので)、強者にとって都合の悪いことは書かれていない可能性すらあったりします。

それにもかかわらず、私たちはそういったことを疑う・批判的に考えるということと無縁の中で育ちます。

少なくとも、その方が上にいる人たちからかわいがられたりもします。



もしこうした教育システムや縦社会の在り方が、若者の政治(家)に対する思い込み≒「疑わない」ということにつながっているのだとしたら、こうした教育システムや縦社会の在り方を抜本的に変える必要があると思います。

せめて、〈先生(大人)にも間違えることがあるということ、大人にも(誰もが)弱さがありミスをすることがあるということ、大人が子どもの参加する権利を守り対等に話や意見を聞くということなどを、家庭や学校、地域・社会で子どもたちと共有し、積極的に実践していく〉ことができれば、少しは変わってくるでしょうか。



抜本的に変えられない、ないし〈〉が容易にできないという場合、その背景にあるのは、社会に出て成功しないといけない(特に男性)という競争社会における個人主義化やジェンダーの問題と、子どもの人権を軽視していることがあると私は考えます。



間違いを認めるということは、社会に出て成功しないといけない、そうしないと男らしくないとされる社会で生きる限り、困難でしょう。

また、大人にも弱さがあることを子どもたちに伝えるには、男性も悲しいときには「悲しい」と言い、涙を流す姿を見せることが必要です。

「男は泣かない」という有害な男らしさがあるとしたら、それは遠い話となり、到底導入できないでしょう。



子どもの参加する権利は子どもの人権です。

子どもが意見することを「生意気な」とか、取るに足らないことともし捉えるのであれば、それは人権侵害であり、そうした環境では子どもたちが(疑うことは覚えるかもですが)声をあげても無駄だと学習してしまう可能性があります。

ですが、大人はパワー構造上、どのように抗っても子どもたちよりも上の立場であるため、「生意気な」と思っていた方がラクなのかもしれません。

もちろん、子どもは大人に守られる存在であり、守られる権利が子どもにはあるわけですが、そのことに胡坐をかいて全人的な視点での人権を軽視するのであれば、抜本的な改善など到底無理な話かと思います。



これらはあくまで私の推論に過ぎませんが、衆議院選挙後にどなたかが言った

 

ジェンダー問題は暇な人の趣味

 

というのは的外れにもほどがあると改めて思わされます。



ここまでを簡単にまとめると、「思い込み」ということが政治を遠くするとするならば、必要なのは教育システム、縦・競争社会、そしてジェンダー問題や人権に関する取り組みを進めていくことであるように考えます。



選挙・政治への苦手意識

 

もうひとつ、選挙に行かなかった理由として教えていただいたことがあったので引用させていただきます。



政治や選挙の仕組みが分からず、忙しいと言い訳にして知ろうとすることもしなかった。

そもそもずっと苦手意識があった。

 

また、



選挙にいいイメージがなかった。

路上での演説や選挙カーは迷惑なこともあるのではないかと考えていた。

(やっと小さな子どもを寝かしつけた親や保育士、夜勤を終えて寝ている人、聴覚過敏の人、体調の悪い人など)

 

 

さらに、



政治家にいいイメージがなかった。

政治家といえば、失言、不正、おじさんばかりで難しいことを言っているという偏ったイメージだった。

 

これらもまた私も全く同じ意見であり、若い人にこんな風に思わせていること自体に問題があるなと改めて思わされています。



私の場合、社会・公民系が大の苦手だったため、政治や選挙の仕組みなど、社会人になるまで全くわかりませんでした。

大学院修了をしているということで、高いとはいえないにせよ、ある程度の学力はあった方と自覚せねばならないわけですが(少なくとも学ぶ環境は用意されていた)、それでも全くダメであり「理系(今は文系なのですが)に進むから社会なんかわからなくてもいいや」と完全に捨てていました。

今思うと、これでも進学ができ社会人になれるということに違和感を覚えますが、政治や選挙の仕組みがわからない以上、投票など正しくできるわけないですし、関心も持ちませんよね。

そういうタイプの人にとって、選挙や政治は苦手意識だけが残っていくでしょう。



最近ではマッチングアプリのような感じで自身の考えに近い政党を選べたりするようなものもありますが、それはそれで大変素晴らしいものと思いつつ、結局は政治に無関心のまま過ぎ去るのかなと感じたりもしています。



選挙へのイメージ、政治家へのイメージも全く同感で、申し訳ありませんが、私は選挙カーを騒音と感じたり、「みなさんのために汗水垂らしてがんばります」と走り回る人や「地元を愛しています」アピールをする人を冷めた目で見てしまったりしています(今も)。



選挙期間になって選挙カーで選挙活動がはじまるわけですが、これまで関わりのなかった人が突然大きな声で何か難しそうなことを言っていても、よっぽど関心を持って選挙・政治を考える人以外、そうした声に耳を傾けることはほとんどないのではないでしょうか。

それを無駄と言うつもりはありませんが、また、選挙には様々なルールがあり、公正さが保たれる必要があるため慎重さが必要ですが、もっと日常から政党同士の討論や活動内容が展開されたり、選挙カー以外で政治家の声を聞ける場・機会が頻繁にあってもいいように思います。

そうでないと選挙カーでの声は騒音に過ぎず、残念ながら選挙への苦手意識が強化されることすらあるかもしれません。

 

「みなさんのために汗水垂らす」と言う意味はわからなくもないですが、政治家の仕事は実際に汗を流せばいいのではなくて、国民の考えを反映したり、生きづらくされている人たちが健康に生きていけるようにしたりすることなはずです。

選挙戦の時にわざわざ走って汗を流す姿を見せる必要はなくて、その期間にいかに「がんばれそうな人か」をアピールする選挙戦の在り方には大変疑問ですし、そんな体育会系の人だらけが仮にそれで当選したとしてもどうかと私は思います。

 

「地元を愛しています」という発言も同じです。

いくら愛していても、困窮している人たちにすぐ支援策が出せないで「愛しています」と言われても意味がありません。

地元を愛していなくても、今生きづらくされている人たちの話を真摯に聞き、どうしたら改善できるのかを示すことの方が、よっぽど政治家の仕事をしていると私は思います。政治は結果だからです。

 

こうしたことで選挙ないし政治家のイメージが向上するという人もいるのかもしれませんが、少なくとも私はもう少し選挙のイメージをクールなものにできないものかと思ってしまいます。

 

 

また、ここでもまたジェンダー問題、ジェンダーギャップ指数の話となるわけですが、日本の政治家のイメージはスーツを着た高齢男性の世界ですよね。

そして、そうした高齢男性たちが国会で寝ていたり、ヤジを飛ばしたりしているところを私たちは多く目の当たりにする(そういう人が多い)ので、政治・政治家のイメージが悪くなっても仕方ないように思います。

仕事中寝ることもヤジを飛ばすことも、子どもたちからすると学校ではしてはいけない行為ですよね。

ヤジの大切さというのも大人になってある程度わかるようになりましたが、本当にただのヤジとなっていることもあり、そういうばかりを見ると疲れてしまうのが正直なところではないでしょうか。

 

寝ている人を退席させたり減給など罰則を与えたり、適正な批判や抵抗ではない限り(その見極めをどうするのかという問題はありますが)ヤジはしないとしたりすることはできてもいいのではないかなと思ったりもします。

同時に、子どもたちにはヤジは不正をきちんと追及するものとか、不正から逃がさないためにされているものであることを教え、それはヤジではなく「批判」であって「批判」そのものは必要な行為であることを知ってもらう必要があると思います。

 

不正・不平等に対しては「仕方ないよね」で終えないことがとても大切なことであり、それを追及して改善する、よりよくしていく手段に「批判」があることを理解してもらう。

そういった手段(のひとつ)を使って、声を上げることによって、きちんと不正を公正にしていくことができるということを、子どもたちをはじめ、私たちはもっと体験的に学ぶ必要があるのではないかと思います。

そして一刻も早く、魅力的で多様な政治家が揃い、選ばれることで、若者の政治への苦手意識は薄まっていくのではないかと考えます。

 

 

一票の大切さ?を考える

 

若者の投票率の低さに、思い込みと苦手意識というものがありそうと書いてきましたが、ひとつ考えさせられる回答があったので、こちらも引用させていただきます。



政治に関わることや投票をすることが大切と言われても、何で大切なのかがちゃんと分かっていなかった。

 

 

あなたの一票が大切と言われるけれど、政治や選挙の仕組みが分かってない自分が投票して、もしもまずい人に入れてしまっては大変。

だから、政治や選挙のことをよくわかってる人が投票をした方がいいと思っていた。

 

(自戒も込めて…)多くの大人はよく「あなたの一票が大切」とか「清き一票を」などと言い(私もこの記事もその傾向があることを自覚していますが)若者に「あなたの一票は大切な一票なんだよ」と問いかけ、プレッシャーを与えて(善意ですが)選挙に行ってもらおうとしがちです。



しかし、投票に行かない・行けない若者の中には、「大切」だと言われるからこそ、生半可な気持ちでは関われないということもありそうだと今回私は気づくことができました。

これはマイノリティの意見かもしれませんし、一票が大切なのは事実であり、権利であると知ってもらわねばならないとは思います。

それでも、そもそも政治に対する親和性のようなものがなく、ほとんど知らない世界のことであり、かつ、投票が大きな力を持つものであるからこそ、投票そのものに気が引けてしまうということも確かにあるのかもしれません。



このことを思ったときに私の頭に浮かんだのは、普段力を持たせていないのに突然力を持たせられる若者、というようなイメージでした。

普段正解以外の意見を述べさせることはあまりしないし、批判もさせないのに、突然「選挙に行け」と言われても「うっせぇわ」なのかもしれないなと思います(少し古いのかも苦笑)。

それで大人が引いてしまっては元も子もないのですが、これまで繰り返し書いてきたように、教育や子どもたちの自治の経験というものがいかに大切であるかをもっと私たちは自覚しなければならないと感じています。

「あなたの一票が大切」であるのであれば、もっとそれを体験する機会・訓練が必要ではないでしょうか。

 

 

外圧の力と、それでも平時から…

冒頭で書きましたが、今回回答をくださった方は、コロナ禍を経て投票しなければと思ったと言います。



コロナ禍になり政府の動きを見るようになった

 

ようで、今のままではまずいのではないかと思ったと言います。



外圧によって変わることというのはたくさんあり、あまりにショッキングな外圧ではありますが、コロナ禍で唯一よかったと思えるのはこうした問題意識を若者が持てるきっかけになったということかと思います。



しかし、それでも投票率が低いということをどう考えていけばいいか。

そうした問いから先述のツイートとこの記事が生まれているわけであり、偉い人の言うことは絶対といった思い込み、選挙や政治家への苦手意識、普段訓練がされていないのに一票が大切とされるプレッシャーなどが見えてきましたが、もうひとつヒントになりそうなことを教えていただいたので引用させていただくと



国民のことを考えて動いている政党や政治家もいると知り、そういう人を応援したいと思うようになった。

 

ということがありそうです。

 

教育や縦社会、親和性や自治の体験などが必要であることは間違いないと感じていますが、今すぐにできてシンプルなことは結局これに尽きるのかもしれません。



公約は調べてみたらわかったけど、これまでの実績が分からないから知ることができたらいいのに。

どのような活動をしているのか日頃からもっと伝わったらいいのに。

 

 

という言葉もいただきました。

 

私は(一応)地域福祉を実践から学んできた立場ですが、福祉に関する研修会で

日常に福祉はあるが福祉は日常から遠い

 

といった言葉を聞いたことが今思い出されています。



いつも地域福祉は政治の問題と私は感じているのですが、「福祉が日常から遠い」ように、政治も日常から遠くなってしまっているというのが若者に限らず多くの人の実感ではないかと思います。

選挙戦の時にあれだけ「○○します!」などと話されていたはずなのに、その後どうなっているかがわからない、むしろ何もよくならない現実ばかりが見させられているように思います。

選ばれた偉い人たちでもうまくいかない、解決しないのであれば、誰を選んでも変わらないと思わせてしまう、そういったこともあるのかもしれません。



政治家が普段何をしているか国民に伝えていく。

 

このシンプルなことこそが大事ではないかと感じますし、さらに言えば、政治家のみならず私たち大人が政治が普段何をしているかー与党として選ばれなかった人たちのことも―をもっと伝えていく必要があるのかと思います。

 

その役割を担うはずのメディアは、連日私人を追跡したり、扇動かのような偏向報道があったりしていて、本当に危機に陥っているように思います。。

しかし、それらを是正し抵抗しながらも、今は誰もがメディアになることができる時代でもあるために、できることは多くなっているはずです。

 

偉い人もミスをしたりその権力を悪用することすらあると知ってもらうこと。

苦手なものであるには違いないけど、そのイメージやシステムを変えていくためにできることが実は私たちにもあること。

選挙の仕組みや政治家が何をしているか、どの政党が何を言っているのかを知る機会が普段からあり、一票を恐れずに、大切に(過度なプレッシャーを感じずに)行使していいこと。

教育システムや縦社会の構造にメスを入れつつ、そしてまた若者をリスペクトし自治の経験を積み重ねてもらいつつ、政治家はもとより私たち大人がしっかり政治が何をしているかを伝えていくこと。

こうしたことが若者の投票率について考えるうえで大切なことなのかもしれません。

私にできることをしていきたいと思います。

投票する際に名前をチェックする形式にするとか、できるのかどうか不明ですがオンライン投票を進めるとか、ボルダールールの導入とか、選挙活動の見直しとか…あらゆるハード面の改善・改訂が考えられるわけですが、そこに今回は(私の知識不足等も多くあり)触れられなかったことはどうかお許しください。今後考えていきたいです。

おかえりモネが描いた丁寧な「距離感」を想う

連続テレビ小説『おかえりモネ』が終わって、一週間以上が過ぎました。

「モネロス」なる言葉が聞かれるように、多くの人が終わりを惜しむ、素晴らしい作品であったように思います。



もれなく私もモネロス真っただ中にいるのですが、一方で「全120話で終わってよかった」という心地よい感覚を抱いている自分もいれば、

「参りました…」と脱帽をしている自分がいることもまた事実です。

それがまた「ロス」を生んでいたりもするわけですが…とにもかくにも、素晴らしい作品に出会えたと心から感じており、感謝の気持ちでいっぱいです。

ありがとう、『おかえりモネ』。



さて、この作品には人を惹きつける構成・描写が数多くあったかと思いますが、私は『おかえりモネ』が描く丁寧な「距離感」に深い感銘を受けたため(それがまた120話で終わってよかった感と脱帽をするに至っている)、ここではそのことについて書きたいと思います。

なお、登場人物について書くときに、正式名称と呼称とが混ざってしまっていますが、親しみを込めて私の書きたいかたちとさせていただいておりますことをご了承ください。

 

f:id:kotaro-tsuka:20211112151834j:image

 

 

災害が生む多くの「距離」

 

ご存じの通り『おかえりモネ』の舞台である気仙沼市は、10年前の東日本大震災で被災を経験した地域です。

モネの出身地とされる「亀島」なる気仙沼大島は、本土との交通手段がフェリーしかなかったため、震災当時は孤立を余儀なくされました。

島にいる人びとだけでなんとか対応するしかなく、島に燃え移る火種を消し続け、また、プールの水をろ過して飲むという苛酷な暮らしを強いられていたと言います。



こうした条件もあり、目の前で故郷が燃え、大変な状況にあるにも関わらず、本土から島に戻ることができなかった人が数多くいたことは、作品で描かれていた通りです。

そこには目の前にあるにもかかわらず、大きな「距離」がありました。



そもそも災害は人びとに多くの「距離」を生み出します。

家が被災した人とそうでない人。

家族を失くした人と家族を失くしていない人などなど…災害は一瞬にしてたくさんの「距離」を生じさせます。

津波に関して言えば、波の高さや浸水区域によって道路一本の差で命運が分かれるため、矛盾した言い方になりますが、波の線でハッキリと線が引かれると同時に、目には見えない「距離」がそこに引かれることになります。



精神科医で医療人類学者である宮地尚子先生は、このことを環状島モデルとしてわかりやすく表しています。

 

詳しくは書籍を参照していただければと思いますが、そのモデルを引用すれば、モネは爆心地の中にいたはずの人でした。

ところが、その日たまたま爆心地の外にいたため、爆心地の中にいたはずの自分―爆心地の中にアイデンティから何からすべてがある―が、爆心地で起こったこと・起こっていることがわからないという状況に立たされてしまいました。

爆心地には今にも命が途絶えてしまいそうな人たちや苦しみに喘ぐ人たち―名前と顔がハッキリわかる人たち―がいるのに、爆心地に手を差し伸べに行くことすらできないという…そんな圧倒的な境界線を前にただただ立ち尽くすしかありませんでした。



モネが亀島に戻れた時には、爆心地で起こったことは(苛酷な生活は続いていくのですが)少し落ち着きを取り戻し始めており、そこには被災を経験した人と経験していない人との間に圧倒的な線が引かれていました。

そのことは、妹であるみーちゃんの

おねえちゃん、津波見てないもんね

という言葉によって突きつけられてしまいます。



こうした、自分たちの力ではどうすることもできない、災害によって生じる「距離」に登場人物たちは翻弄され続けながら生きていきます。

正確には、各々に「経験してしまった」ことを背負いながら、それによって生じている目に見えない、でも眼前にある「距離」と共に生きていくしかないのです。

それを表したのが三生の

ふつうに笑おうよ

という言葉と言えるでしょう。



災害が生みだす圧倒的な「距離」をどのように縮めるか、どのようにその「距離」と付き合えばいいかということは、耕治が言うように「そんな簡単なもの」ではありません。

【その「距離」は一足飛びに越えられるものでも、越えればいいというものでもない】のです。

放送当初『おかえりモネ』は「展開が遅い」などという批判を受けたようですが、そのように言われても【そうしたこと】がある現場を大事にする作品として描かれていたのだと思います。



物理的な「距離」

『おかえりモネ』は気仙沼市から少し離れたところに位置する登米市から始まりました。

亀島の中にいることがつらくなってしまったモネは、祖父の昔からの知人であるサヤカさんの家でお世話になり、その場所が登米市であり、登米市森林組合で働き始めていました。



登米市宮城県であり宮城県という意味では東日本大震災で被災した県です。

しかし、登米市は内陸にあり、津波被害は受けていません。

島にいることは苦しくなってしまったモネ。

でも島のためにできることはしたいと(おそらく「あの日」から)思っていたモネ。

環状島の例で言えば、爆心地の中に居続けることはできないけれど、環状島が見えなくなるような「距離」にいたいとは、モネは思わなかったのだと思います。

登米市は沿岸部に限りなく近い内陸に位置しており、そうしたモネの心境に沿った、遠からず近からずな絶妙の「距離」であったように思われます。



後にわかるわけですが、モネはサヤカさんや森林組合の人たちが彼女にとっての支えとなったと言います。

それは登米市の人たちの温かさや自然環境が大きな要因であることは間違いありませんが、登米市の立地がモネの気持ちに沿う「距離」だった、ということもまた大きな要因だったと考えられるでしょう。

その絶妙な距離を描いている作品だったと思います。



そして、モネは登米での生活で気象に出会い、東京に行きました。

東京は東日本大震災地震被害や帰宅難民等の被害に遭い、また原発事故による計画停電があったことなどから、環状島の近くに位置していたと思われますが、数か月・数年後にはもう環状島が見えないところかのような位置づけとなっていたと思います。

モネが東京に行ったのは震災から数年後であったため、いわゆる風化が進み、何もなかったかのような生活が繰り広げられていたことでしょう。



案の定、モネは職場で一緒に働いていた神野さんに

誰かの役に立ちたいって結局、自分のためなんじゃん?

と言われ、モネの抱えてきた気持ちが(意図的ではなく)握りつぶされてしまいます。

 

これは正論でありつつも、モネの言う「誰かの役に立つ」と、神野さんの描く「誰かの役に立つ」との間に大きな解離・温度差があったとも言えるでしょう。

モネの”それ”は「目の前で手を伸ばして救いを求めている大切な人たちの役に立つ」類のものであり、神野さんの”それ“はそうした死活問題・切迫性のあるものではない「役に立つ」がイメージされていたのではないだろうかと思います。

登米市ではそうした言葉が掛けられなかったのは気仙沼市という「被災地」との「距離」に近さがあるためであり、気仙沼登米―東京という「距離感」によるズレが丁寧に描いていたように思います。



気仙沼編になって、東京からボランティアに来ていた学生が登場しますが、彼女もその「距離感」をうまくつかむことができず、自分のできると思っていたことと、地域が抱え求めているものとがマッチしなかったひとつなのだと言えるでしょう。

それぞれにある物理的な「距離」、それによって生じる様々なズレや温度差を巧みに描いていたように思います。

 

 

関係性という「距離」

『おかえりモネ』には様々な人物が登場しますが、人間関係の「距離感」もまた見事に描かれていたように思います。



最も象徴的なのは、新次さんとりょーちん、そして、モネとみーちゃんの「距離感」ではないでしょうか。



『おかえりモネ』では、新次さんにとってはパートナー、りょーちんにとっては母が震災により行方不明となられたことが描かれていました。

行方不明は、あいまいな喪失などと言われますが(ここで専門的な言葉を使うのは気が引けますが)「もしかしたら明日には帰ってくるかもしれない」、「死と認めてしまってはいけないのではないか」といった気持ちが生じやすく、区切りをつけることが難しい喪失と言います。

これは言い換えれば、「距離」の取り方が大変難しい状態と言えるでしょう。

そのあいまいな状態でいることが本人にとっては(難しいし苦しいのだけど)大切なことであり、自分が幸せになったらその「距離」を定めてしまうことになりかねません(本人がそう思ってしまうという意味で)。

りょーちんの

おれ、幸せになってもいいのかな

という言葉は、その渦中にいること、い続けてきたことが表された言葉であったように思います。



また、震災・津波による別れは避難するまでに時間があったなどの条件から、「自分が○○していたら助けられたかもしれない」という自責の念が生じやすいものです。

その点でも、新次さんやりょーちんの喪失の深さや複雑さはかなりのものだと思われます。

特に新次さんは漁師を生業としており、海の怖さや海の仕組みをよく知っていたでしょうから、より重くのしかかっていたことでしょう。。



一方で、モネのおばあちゃんはドラマでは回想シーンで出てくるのみで、亡くなっている設定でした。

しかし、おばあちゃんはカキになって生きているなど、いつも側にいるという「距離感」で描かれていました。

それは亡くなった証が確実にあり、また、震災による突然の別れではなく、寿命を全うしたということでもあるでしょう。

もちろん、そのような条件であれば喪失が深くならない、あいまいな喪失について書いたような気持ちにならない、という意味では決してありません。

ただ、おばあちゃんの描かれ方は、新次さんとりょーちんのそれとはまた異なる(優劣ではありません)「距離」があることを象徴的に描いていたのではないかと思います。



そしてその二人は父親と息子という関係であり、ただでさえ、思春期以降「距離感」が難しい関係です。

そうした二人がお互いに思い合いつつ、心配し合いつつ…すれ違う思いもありながら、尊敬し合いつつ…そのなんとも歯がゆい「距離」が、震災によってより難しくなったりかえって近づき過ぎてしまったり、、そうしたことも描かれていたのではないかと思います。



モネとみーちゃんも姉と妹という関係であり、親しい関係でありながらも震災の爆心地真っただ中にいたみーちゃんと、その外にいたモネという難しい「距離」が生じてしまいました。

友達との間でもその「距離」を感じると「ふつう」のやり取りが難しくなる中で、目の前にいつもいる大切な人との間に「距離」が設けられてしまった。

それはいつも言えていたことが「言えないこと」に変わったり、いつも言えていたことしか言えなくなってしまったりといったことが起こりうるでしょう。

それでも時間の経過とともにお互いに大人になり、自分自身のことやあの日何が起こったかということなどが理解できてきて、依存し合うことと紙一重な支え合う親しい姉妹の関係に戻っていく(バージョンアップする)。

それは姉妹だからできることでもあったのではないでしょうか。

そうした繊細な「距離」も作品を通じて描かれていたのではないかと思います。



 

自然との「距離」

『おかえりモネ』では、自然の循環も大きなテーマとして描かれていました。

雨が山に降り注ぎ、その養分が海に流れていくことでカキが育つ。

そうした自然の循環を知る中で、気象に出会って成長をしていくモネの姿に心を打たれたという人も多かったように思います。



気仙沼市をはじめ、東日本大震災で被災をした地域の多くは、もともと海とともに生きてきた地域でした。

それはつまり津波も繰り返し経験してきた地域であるということです。



東京で気象情報についてモネが扱う場面で、災害のリスクばかりを主張してしまうことがありました。

災害はいつ起こるかわからず、人間の都合に合わせてはくれません。

明日は海水浴で楽しむ予定だから晴れてもらうことも、津波は起こらないようにお願いすることも当然できません。

それでも私たちは時に積極的に自然の中に入り、癒されたり生きる糧をいただいたりしながら自然の中で生きている存在です。

感染症や気候危機が叫ばれる中で、私たちは自然とどのような「距離」で付き合っていけばいいのか。

「漁師の意地」を含め、そうしたこともこの作品では提示されていたのではないかと思います。



何も関係ねぇように見えるもんが、何かの役に立つっていうことは、世の中にいっぺぇあるんだよ

 

というモネの祖父の言葉がこの作品では何度も出てきますが、自然の循環の中で生きる私たちはあまりにちっぽけな存在ではあるけれど、

ひとりひとりが生きることで何かの役に立つことがあり、それがめぐりめぐって自分に返ってくるという循環も描かれていたように思います。

朝岡さんが最後にモネに伝える

信じて続けることですね

という言葉も、その循環を信じるということのように思います。

壮大な「距離」を越えて人々や自然がつながっているということもまたこの作品で描かれていたのではないかと思います。



心に受けたいたみとの「距離」

『おかえりモネ』では、多くの人の「いたみ」が丁寧に描かれていたように思います。

東京のシェアハウスに住んでいた宇田川さんは、震災ではない理由でいたみを負い、最後まで人前に姿を現しませんでした。



新次さんもりょーちんも、深いいたみを負いながらそれぞれに

おれは立ち直らねぇよ

おれ、もう全部やめてもいいかな

という思いを吐露する場面がありました。

 

神野さんはいたみを何も持っていない(と思っている)人として、それでも抱えているものがあると描かれていました。



この作品では「いたみ」を負った人が治療やカウンセリングに通い、その中の様子を描くということはありませんでした。

新次さんが通院している様子、それをモネの母が付き添うという場面はありましたが、詳細な内容は描かれていません。

「乗り越えました」とか、「復興しました」とか、そういった言葉もなかったように思います。



私たちはよく心にいたみを負ったり、災害などに遭ったあとに「乗り越える」という言葉を使いがちです。

しかし、心のいたみー消せるものは消すことができたらいいのでしょうし、日常生活に大きな支障を来しているなら解消することができればいいことでしょうーを乗り越えるなどということは、先にも述べたように「そんな簡単なもの」ではありません。



みーちゃんのように、自分の背負ったいたみを誰かに見せたら、傷口が開いてしまうかもしれない、あるいは、自分が許されることになってしまうかもしれない。

だから、自分のいたみを感じ続けられる(と思う)島からは出ないという「離れないでいる」という「距離」の取り方を選択し続けていました。

 

りょーちんも「話を聞くよ」と手を差し伸べるモネたちに対して、「大丈夫」と笑顔で返すことで、自分のいたみに触れそうになるものから「距離」を取ってきました。

 

後にりょーちんは

お前に何がわかると思ってきた

と言いますが、「距離」を取ることで、そもそもわかってもらえるはずもない心の傷を「わかってもらえるはずがないもの」と自ら位置づけてきたのでしょう。

それらは簡単に「乗り越える」ことができるものではありませんし、「乗り越える」という考え方自体がフィットしないものとすら言えそうです。



耕治は最後の最後までりょーちんの船出の現場に行きませんでした。

ハッピーエンドとすることのできるこの場面に立ち会わなかったのは、立ち会ったら

おれが救われてしまうんじゃないか

そんな簡単じゃねぇだろ

と感じるためであり、それはそれぞれに抱えたいたみが、何かによって簡単に終わったものとされる・終わったとできるものではないということを描いていたと言えるでしょう。



私たちはいたみを解消し遠ざけようとする(ことを否定するわけではありません)ことが多いですが、いたみを共に抱き続けるという考え方もあります。

なぜなら、いたみが生じるのはそれが大切なものだったからかもしれないためです。



みーちゃんはおばあちゃんを助けたいと思ったけど、置いて逃げた。

おばあちゃんが、目の前にいる人の命が大切だから、いたみを負った。

りょーちんも同様に、お母さんは心から大切な人であるから、そのいたみは深いものとなって残り続けた。

「残り続けた」というよりかは「残し続けている」と言った方が相応しいのかもしれません。

そうだとするならば、いたみは解消するものとして見るだけではなく、抱き続けるものとして見ることもまた大切となります。

それは重たくしんどくなる時がある生き方であるため、その重さを共に分かつよき他者の手を借りたり、時にその重荷を降ろす自分を許したりできることが大切なのではないでしょうか。

 

モネが最後にサックスを通じて、あの日の自分との「距離」を取り戻す時、そこには重さを分かつ仲間がいました。

あの日近くにいなかった自分が抱えている、みんなとは違う重荷を降ろしたときにみんなから「おかえり」と言ってもらえ、自分が許された、ひいては重荷を降ろす自分を許すことができました。

 

戻ってたまるか

というモネの言葉は、心のいたみとの「距離」をモネがつかむことができていることを描いていたように思います。

心のいたみとの「距離」は遠くすればいいのではなく、共に生きる「距離感」を探し続けること、それを共にしてくれるよき「距離感」の他者がいることが大切なのかもしれません。

心のいたみと書きましたが、いたみには「痛み」「悼み」「傷み」があり、いわゆるトラウマとグリーフは別で扱う必要があります。ここではごちゃ混ぜに書いてしまっていることをお許しください。詳細を分けて書くことはここでは少し専門的なような気がして相応しくないと感じたため書きませんでした。



ほどよい「距離」とはなんだろうかー私自身の経験から―

ここまで『おかえりモネ』が描いていた様々な「距離」について綴ってきました。

もちろん内容が不十分でもっと深く語るべきこともあるし、違う角度から語る必要があることもあると自覚しています。

想起される場面が他にも複数あることや、「距離」と関係なく綴るべきことも多くあり、少し無理をして括ってしまった感があることもまた否めません。その点、私の力不足を感じています。

※未定ですが、この記事の内容をはじめ、ここでは書ききれないことー私が実際に見聞きし教わってきた体験談などを交えてーについてオンラインでゼミのようなものを開けたらなどと思っています。

 

しかし、なぜこのような「距離」に関する記事を書きたいと思ったかを最後に書くと、これは私自身がいわゆる「被災地」との「距離」を常に考え続けてきたためと言えます。



私は東日本大震災を埼玉で経験し、揺れは経験したものの、海なし県であるがゆえに津波被害は経験していません。

その後、埼玉から東北に2年間足しげく通わせていただきましたが、そもそも論として「何もできない中でできることをしよう」と思い、「わかりえない」という事実を大切にしながら現地に訪れていました。



「通う」生活を重ねるうちに自分の中で「距離」が縮まってきたことを感じつつ、立ちはだかる「わかりえない」現実を前に、いわゆる「被災地」を「生活」の場とすることで「距離」を0にしてみる道を選びました。

しかし、それでも(当然のことと思っていますが)そこには圧倒的に「わかりえない」ことがあり、むしろそれは日に日に感じさせられるものでした。



私は震災前から大切な人を失くした人たちや「いたみ」を抱える人たちとお会いする機会をいただいてきて、「わかりえない」ということを自覚する大切さを痛感してきました。



震災があり、「被災地」に移り住み、多くの人から地域について、地域で起こったこと―それらは震災と関係ないものを含む―などを教わる日々を過ごす中で、

「わかりえない」という自覚、自分と相手との間には「距離」があるということを自覚して、「わかることができれば」と佇むことがやはり大切なのではないかと、その思いを深めてきました。

奇しくも、『おかえりモネ』で出てきた私と同じ名前の菅波先生がそのように言われていましたね。

『おかえりモネ』の放送以前からこのことを口にしていたことをご理解いただければ幸いです。「おれたちの菅波」の方々、どうか怒らないでください。



「被災地」で、関東から訪れる大学生たちを「待つ」立場も経験してきた私は「距離」を縮めようとする人たちの持つ「いたみ」も強く感じてきました。

かつての私を重ねつつ、重ねられないそれぞれの「いたみ」を多く教わってきました。



本来、人のいたみは比べられません。

でも災害はそこに「距離」を生み出します。

物理的な「距離」が人を救うこともあれば、温度差に傷つけられることもあります。

それでも様々な関係性の中で生きるのが私たちであり、その「距離感」の複雑さと妙を経験しつつ、大きな自然の循環の中で無言の恩恵を受けたり圧倒されたりしながら生きていく。

それぞれに抱えるいたみは違うけれど、いたみもまたその人の生きた証であり、「わかることはできないけれど、わかろうとする」こと、ひとりひとりが求めるほどよい「距離感」を大切に想い、大切にされることで、人はまた生きていけるのかもしれません。



東日本大震災が発生した2011年から10年と8か月が過ぎました。

風化という言葉を使いましたが、時間は「距離感」を変えていきます。

私たちはその「距離」を自覚する暇・余裕もなく、日々を過ごしています。



作品では私たちに「距離」を突き付けた新型コロナウイルスの影響も匂わせながら、最後はモネと菅波先生が

私たち、距離も時間も関係ないですから

と抱き合い、手を繋ぎました。

『おかえりモネ』の脚本を担当した安達先生が、東日本大震災からここまでについて、自身と当事者との間に「距離」があることを自覚して、それを丁寧に扱ってくれたことそれ自体がまず多くの人の心を癒してくれたように思います。

 

「距離」を縮めることはできなくても、線をなぞり、「あなたが悪いのではなくて、そこに線があるんだよ」と丁寧に示してくれた。

それは圧倒的な「距離」の前に無力を感じていた人たちの生きてきた力を肯定することであり、私たちが線の存在を知ったうえで丁寧に生きていくことによって、いつかの誰かの何かの役に立つかもしれないということを示唆してくれたのではないか。

そんな風に思うのは私だけでしょうか。

 

当事者ではない人間の方がより深く考えられる

菅波先生のこの言葉。

このことにどれほどの可能性が秘められているものなのか。

このことはどれほどの希望となりうるのか。

モネロスという現象がその答えを表していると思います。

 

「距離」があるということは、わかることはできないということ。

それでも、わかろうとすることは、目の前にある「距離」を認め、大切にするということなのかもしれません。

そんな丁寧な歩み寄りが、「距離」をとらないとわからないことまでを内包し、私たちに癒しを与えてくれたのではないでしょうか。

モネロスとともに、いつかの誰かの何かの役に立つことができるよう、私は私の人生を生きていきたいと思うのでした。

選挙権を求めた歴史を考える@『ピータールー マンチェスターの悲劇』

周知の通り、1031日に投開票の衆議院議員総選挙が行われます。

投票日まで一週間ほどとなり、期日前投票も行われていますが、選挙が近づいてくると投票率―特に若者者の投票率の低さ―が話題になりますね。



ネットを開けば、投票率を少しでも上げるために(正しくは投票する権利を持った人がその権利をきちんと行使するために、でしょうか)「投票率が下がるとどのようなこと(損失)が起こるか」について可視化されたり、

自分の考えと近い政党はどこかがわかるようなサイトができていたりと、様々な取り組みがされていることがわかります。

その中でも今回特に話題となっているのは、政治の発言をタブーとされていた芸能人が「VOICE PROJECT 投票はあなたの声」という自主制作のプロジェクトを通じて、投票を呼び掛ける動画VOICE PROJECT 投票はあなたの声 (秋元才加 安藤玉恵 石橋静河 小栗旬 コムアイ 菅田将暉 Taka 滝藤賢一 仲野太賀 二階堂ふみ 橋本環奈 前野朋哉 ローラ 渡辺謙) - YouTubeが公開されたということがありました。

個人的にはこの動画のことを知ったときは大変感動しましたし、こうした取り組みや動きは「社会が一歩ずつ前に進もうとしている証」と捉えられる一方で、投票率の低さがかなり深刻な状況となっているということでもあり、「民主主義の危機」でもあると言えるように思われます(民主主義の危機は今に始まったことではありませんが…)。



これは非常にまずい状況のように私なんかは思うわけで、若い人たちにはぜひ投票に行ってほしいと思いますが、そもそも投票を考えていない人たちにそう言ったところで「ただの押し付け」「うるさい説教」としか映らないのかもしれないということも正直感じています。。

「こんな世の中にしたのは誰だ」という視点も持たなければならず…何もできずにいるのに、若い人たちに「投票に行って変えてくれ」みたいなメッセージを出すのは少し無責任かなと…違和感を抱いたりもします、情けないことに。。



しかし、それでも、、どうか選挙に行ってほしいと強く思いますし、もちろん「ただ選挙に行ってもらえればいい」と思っているわけではなく、「よりよい世の中にしていくための権利」であると知った上で、選挙に行ってほしいと心から願います。



その思いを強くした出来事が先日あり、それは『ピータールー マンチェスターの悲劇』という映画を観たことでした。

意図せず観たのですが、衆議院選挙を前に共有しておきたい内容であったと思うので、この映画についてご紹介しながら、選挙に関する思いを綴らせていただこうと思います。

映画のネタバレになるのでご注意ください。

 

f:id:kotaro-tsuka:20211023231012j:plain

<a href="https://pixabay.com/ja/users/planetmallika-2152290/?utm_source=link-attribution&utm_medium=referral&utm_campaign=image&utm_content=4499802">PlanetMallika</a>による<a href="https://pixabay.com/ja/?utm_source=link-attribution&utm_medium=referral&utm_campaign=image&utm_content=4499802">Pixabay</a>からの画像

 

 

『ピータールー マンチェスターの悲劇』という作品

早速『ピータールー マンチェスターの悲劇』がどのような作品かを書いていきたいと思います。

この作品は2018年の8月に公開されたイギリス映画であり、“実際に起こった軍による市民の虐殺事件”について、再現されたものとなっています。



舞台はタイトルの通りイギリスのマンチェスターで、マンチェスターにある「セント・ピーターズ広場(以下、ピーターズ広場)」で行われた虐殺事件であったこと、かつ、この虐殺が「ワーテルロー(ウォータールー)の戦い」のようであったことから、「ピータールーの虐殺」と言われるようになったと言います。



「言われるようになった」と書きましたが、こちらによると、映画を撮った監督であるリー監督ですら―マンチェスターで生まれ育ったにもかかわらず―この事件のことを知らなかったようで

 

本当に知らなかった。私たちが大きくなる頃、多くがこのことを知らなかった。

19世紀にこれだけ大きな事件が起きて、哲学者にも影響を与え、政治的にも大きい、とても大事な歴史上のできごとなのに

 

と語っていたそうです。

 

英国で公開した際も多くの人が『本当に知らなかった!』と言った。

 

とも綴られています。



19世紀に起こった事件ということは、今からたかが200年程度しか経っていないことになります。



たかが200年前に、なぜこの悲惨な虐殺事件は起こったのでしょうか。

そして、なぜこれほど「知られないでいた」のでしょうか。



私にその正しい解答など到底用意できませんが、ここからはこの事件が起こるまでにどのような経緯・背景があったのかについて、作品を参考に綴っていき、考えてみたいと思います。



虐殺事件が起こるまで

 

この作品はある軍人が戦争後にイギリスの自宅に戻るシーンから始まります(細かいところで誤りがあるかもしれませんので、そのあたりはご容赦ください)。



軍人が自宅に戻ると、戦争の影響のせいでしょうか、貧困によって生活に困る家族・町の様子があり、人々が生きるために必至になっている(まるで『レ・ミゼラブル』のような)光景が広がっていました。

その一方で、裕福で権力を持った貴族・議員たちはその様子に心を痛めることはなく、裁判では「スーツを盗んだ」罪人が気にくわない態度を示したことで絞首刑にするなどと好き勝手に振舞っています。



人びとはこうした事態に大きな不満(というレベルではない)を抱いており、選挙権を獲得するためにー格差是正のため、不正を正すため、人間らしい暮らしを送るため―集会を開き、運動をしていくことになります。



その様子を遠目から眺める権力者たちは、こうした人々の動きを「暴動」と捉え、「国を守る」という名目でどの法律を使って裁くかと考えたり、声を聴くことは愚か、人々を馬鹿にして見下し「暴力で不満を解消する」人たちと捉えます。

象徴的なのは、国民が権力者に向かって芋を投げたシーンがあるのですが、それを権力者は「石」を投げたことにし、さらには「石」ではなく「銃」を向けたという話に解釈していくのです。

権力者らは自身の都合のいいように事実を捻じ曲げ曲解していき、民衆を黙らせる方向に進んでいきます。



運動をしている民衆の中にも、「話し合い」「声を挙げる」ことで生活・政治を変えていくことを望む人たちもいれば、過激な思想を持って政治を壊そうとする人たちもおり、仲間内でも「分断」が起こります。

あるときの集会では、過激な人たちが演説を中心に行ったために、彼らを権力者が実際に捕まえるということもありました。

民衆の中にはそうした事態を恐れたり、「いくら声を挙げても無駄」と考える人たちもおり、運動にそもそも参加しない人たちもいたりします。



それでも運動をする中心人物らはあくまでも「話し合い」「声を挙げる」という「非暴力」の方法で運動を展開していきます。

これは私の解釈ですが「非暴力」であることと不満を抱く人が増えたためか、運動をする民衆の数は増していき、様々な事情・条件が重なったことによりついに「ピーターズ広場」で「非暴力」の運動をすることになるのです。

「ピーターズ広場」で大勢の民衆が「非暴力」の演説・「選挙権を求める」集会を開きます。

彼らは「非暴力」を貫くのですが、それにも関わらず、権力者らはイギリス政府の軍隊を「ピーターズ広場」に突入させます。

混乱状態に陥った広場では、出口がわからなくなり、収集の方法も見つからず、軍隊は逃げ惑う人々を次々に虐殺していってこの事態を終わらせていく…大雑把ですが、この悲惨な事件はこうした経緯・背景があり、このような帰結になったのでした。



さて、この事件を知ってみなさんはどのようにお感じになられたでしょうか?



「これは昔のことだし海外のことだから今の日本で起こるわけないでしょ」と思われた方も多いのではないかなと思います。

たかが200年前ですが、確かにあまりにも時代が違うので同じことはおそらく起こらないと私も思います。

ですが、似たようなことは起こらなくもないし、むしろ水面下で起こっていると言えてしまうのかもしれないと考えたりします。

その理由を綴りたいと思います。



なぜ事件は起こったのか―貧困・格差・分断、そして…―



このような残虐な事件を冷静に考えることなど困難な作業ではありますが、、流れを俯瞰して眺めてみると、この事件が起こる原因として、貧困・格差・分断、そして政治の腐敗があるように私は考えます。



戦争の影響により、人々の暮らしは大変貧しくなっていました。

明日食べていけるかどうかわからないような暮らしをしている人たち、仕事に就けない人たちが多くおり、格差はあまりに大きいものがありました。

それゆえに、富裕層と「そうではない人」との分断も進み、この作品では虐殺事件が起こっているときに、貴族らが優雅に競馬を楽しんでいる様子が描かれていました。

「私には関係ない」と傍観していられる人たちがいるという現実がまた事の深刻さを映していたように思います。

そして「そうではない人達」の間でも分断が起こっていました。

分断を広げっていったのは政府への強い怒りであり、そこには政治の腐敗があったと言えるでしょう。

それを表しているのが、この作品に出てくる婦人会の集まりでの以下の言葉です。

「我々は嫌と言うほど見てきた。不当に議員を独占する貴族によって労働者が搾取されるのを。」

また、婦人会の中には運動を反対する人らもいるのですが、彼女らは

7週のストをやってきたけど、結局殴られて仕事に戻されて賃上げもなしだった」

という経験があると語り、権力者らに力を奪われていることが描かれていました。



この作品を見る限りでは、こうしたことがこの事件を起こしてきた原因と言えるかと思います。

中でも根本的な原因は最後の「政治の腐敗」と言えるでしょう。

それが貧困を生み、格差を広げ、分断を加速させていったと解釈できるからです。

これは「いまの私たちの国」とは全く別の話でしょうか。



なぜこの事件は「知られなかったのか」

もうひとつ、これほどの事件がなぜ知られていなかったのかについて考えたいと思います。



(私の考え)結論から言えば、これほどのトラウマ的な出来事―加害の歴史―はそもそも記録に残すということが難しいものだということが挙げられるかと思います。

国内で虐殺を「起こしてしまった」ため、記録に残し後世に伝えるということは容易ではないということです。



しかし、この事件はそれだけではなく、やはりここでも「政治の腐敗」が大きく関係しているように私は思います。

映画の最後で、事件を聞いた王はこの軍隊の対応に「満足している」と伝えるシーンがあります。

この事件はまるでどこか遠い国で起こった小さなことかのように扱われていたのです。



歴史はより力を持ったものが書き記すと考えられます。

負けたもの、殺されたものに語る力はないためです。

もちろん、事実を伝える人たちもいるわけですが、もしそこに表現の自由報道の自由がない世界であれば、それは表に出てきません。

芋を銃と、運動を暴動と曲解してきたように、権力が集中しそれが悪用されるとき、事実はいくらでも捻じ曲げられ、もみ消されもしてしまうものです。



「知られていなかった」ということについての事実が何かは、実際には私はわかりません。

しかし、こうした「政府への不信感」も考えられる案件ではないかと私は思っており、これもまた「いまの私たちの国」と別の話なのだろうか…と思うのです。



改めて、「民主主義の危機」を考える

 

貧困や格差、分断、政治の腐敗(不信感)…これらが「いまの私たちの国」と別の話かどうかについては、あえて書きません。

書くまでもなく、コロナ禍で私たちはこれらを多く目の当たりにしてきたのではないか…と思っているためです。



こうした現実を前に私たちは冒頭に戻って、「民主主義の危機」を自覚する必要があるのではないかと私は思います。



この事件があった時代、一般庶民に選挙権はありませんでした。

つまり、政治に参加することも、声を届けることも、自分たちで国を作っていくことも階級の高い貴族たちにしかできなかったということです。

階級の高い貴族たちが人格者であればこのようなことは起こらなかったということは言えるかもしれませんが、どんな人格者であろうと、長く権力の座についていればその力を自分たちの都合の良いように使っていく可能性は高くなります。

従って、国民が政治を監視・管理することが必要なのですが、選挙権がないためにそれすらできなかったことになります。

監視や管理のための運動も「暴動」と捉えられてしまえばおしまいというわけです。

これは民主主義ではありませんね・



日本もかつて(『10歳から読める・わかるいちばんやさしい民主主義』引用)、

 

大日本帝国憲法では、国の主権を天皇がもって

 

おり、

 

天皇が政治家などに利用される場面もあり、国民は逆らうことができませんでした。

日本初の選挙は、今から130年以上まえの1890年に行われました。

このときは25歳以上の男性で高い税金をおさめている人にしか、選挙権はあたえられていませんでした。

つまり若い人や女性、庶民の政治参加がみとめられていなかった

 

 

時代がありました。



このような中で、この作品の民衆運動をしてきた人たちのように、闘ってきた人たちがいたから、選挙権を得ることができ、民主主義を実現してきたのです。

ちなみに、この作品では婦人会の人たちは

 

男性たちの支援に力を注ぎ共通の目的を達成しよう

 

 

と言い、

 

すべての成人男性に一票を、自分たちの代表者を自分たちで選びましょう

 

と主張しています。

女性が選挙権を持てるなんて思ってもいなかったためです。

それが「女性も選挙に行けて当たり前」の時代となったのは、少しずつ歩みを進めてきたためということになります。

「選挙に行くことができる」というのは、そういうことでもあるのです。



 

よりよい民主主義のために

結局、お説教のようになってしまいました…自分の力量のなさに愕然としますが、どうかこうした歴史から学び、彼らの努力を無駄にしないためにも選挙に行ってほしいと私は思います。

つまるところ、(私の力では)そこにたどり着いてしまうのです。。ごめんなさい。。



作品の中で彼らは言います。

 

選挙権がないということは生活も自由も財産も保障ないということ

 

同志たちよ、家に帰って家族に呼びかけてくれ、運動に参加しようと、勇気こそが救済の道、我々は自分たちの力で世の中を変えられると

 

本当の恐怖は人が光を恐れること

 

政治に声を反映できれば威厳をもって働けるようになる

 

繰り返しますが、この言葉には女性の声は含まれておらず、これは「成人男性にのみ選挙権を」という世界で発せられた言葉です。

それでもこの言葉は普遍的ではないだろうかと思います。



最後の最後に、民主主義の国に住むものとして、再度『10歳から読める・わかるいちばんやさしい民主主義』を引用して終えたいと思います。



民主主義は、国が民主主義になったらそれで万事うまくいくわけではありません。

花に水をやり、手入れをしなければすぐにかれてしまうのと同じで、

民主主義もよりよくしようと日々考えて参加し続けなければ、

あっという間にかれてダメになってしまいます。

自分の自由を守るために、だれもが幸せに暮らせるよりよい民主主義を目指しましょう

 

そのために、ぜひ選挙に。

政治参加も人権です。人権を大事にする党へ投票に。

私は投票に行きます。

ワクチン接種と副反応悶絶を終え、ワクチン陰謀論について思うこと

つい先日コロナのワクチン接種二回目を終え、盛大に副反応を経験してきました。

その経験をしたことを含めて、いわゆるワクチン陰謀論について思うことがあったので書いておきたいと思います。

 

結論から先に言っておくと、ワクチン陰謀論を否定した書きぶりになりますが、正直そのあたりは確固たる証拠がない(おそらく陰謀の主催者?でない限り)と言えばないので、「わからないけどさぁ…」という私の印象論みたいな感じとなっていますことをお許しください。

で、このことはつまり、私もワクチンを積極的に推奨できる立場にいないですし、どちらかを「説得」しようとしているわけでもないので、そのあたりも悪しからずでお願いします。

 

 

f:id:kotaro-tsuka:20211011232601p:plain

「いらすとや」より

 

 

 

ワクチンの副反応について

さて、まずはじめにワクチン接種後の私の副反応について書かせていただくと、二回目接種当日は接種箇所やその周辺に痛みがあった程度で思ったより元気に過ごすことができました。

しかし次の日になると、全身の筋肉痛(特に足)があり、また37.6度と少し熱が出てきてしまいます…その程度で副反応は収まるだろうと思いつつ(願いも半分)24時間後には38.3度まで熱が上がり、頭痛までするようになってしまったのです。。



8度以上の熱が出たのは何年ぶりだろうか…とちょっと驚きつつ、なかなか熱は下がってくれず…さすがにきつかったので市販の解熱剤を飲みました。



解熱剤を飲むと身体の痛みはだいぶなくなってくれて一安心だったのですが、熱は8度台キープのままで、とにかくこれが早く終わることをひたすら願って早めに睡眠をとります。



次の日(3日目)になると熱はなんとか引いてくれていましたが、身体の疲れのようなものがあり(筋肉痛のあとだからかな?)、また接種箇所とその脇に痛みがあり、私の場合、4日目にしてほぼ元の状態に戻ることができたという感じでした。



私の周囲では9度とか40度とかまで熱が上がったという人もいて、ほぼ何も副反応もないという人もいて…人によってだいぶ違うのだなぁと改めて感じたのでした。



さて、ここからが本題です。

どうやらワクチン陰謀論には様々あるようですが、私が目に耳にしてきたのは

コロナワクチンは前代未聞の治験が行われたものであり、ワクチンによる人口削減の必要性の主張がされてもいる

ワクチンでマイクロチップが体内に入れられ闇の政府に監視される

系のものでした。

繰り返しになりますが、これが「絶対にない」ということの証拠を私は持っていないので、結論は「わからない」となります。

が、「わからないけどさ…」について書いていこうと思います。



「コロナワクチンは前代未聞の治験が行われたものであり、ワクチンによる人口削減の必要性の主張がされてもいる」の件part1

 

早速①ですが「前代未聞の治験」についてですが、公のサイトを見るとコロナワクチンとして使用されているmRNAワクチンというものは体内に入った後に分解されるものであり、治験もしているというようなことが確かに書かれています。

でも、これも専門家でない限り「本当かどうかはわからない」ですよね。



ただ、このワクチンの仕組みについては宮坂先生という方の以下の動画

www.youtube.com

で詳しく話されていたので(私には難しくて結局全然わからなかったですが笑)科学的な説明がしっかりされている=「無理に作った論理」で取って付けたような説明がされているわけではない、ということは理解できるような気がします。



そのため、「前代未聞」かどうかは少しあやしい気がします。

もちろん、ワクチンを作るには数年かかると言われているようなので、スピードが早すぎるため大丈夫なのか…と思う気持ちも全くないかと言われれば嘘になります。

ただ、それだけの大ピンチが世界的に起こっているということであり、世界中の優秀な専門家・科学者が結集すれば、こういう偉業?も成し遂げられるということかもしれません。

そのことを「否定」できる証拠もないように私は思っています。

したがって、どちらの世界を見るか、信じるかということになるのかなと、ここまでに関してはそう思います。



「コロナワクチンは前代未聞の治験が行われたものであり、ワクチンによる人口削減の必要性の主張がされてもいる」の件part2

続いて①の「ワクチンによる人口削減」についてですが、これも上記のように「本当に大丈夫なの?」という疑問がついて回る限り、その可能性を考えてしまうのもわかるような気がします。

ハッキリ申し上げて、肝心な公(国・政府)が信用できないということがそれを助長していると思い、この可能性に脅える人がいるのは、民意を反映してこなかった、また「安心して生きていけない」世の中にしてきてしまった国づくりの問題が大いにあると私は思っています。

正直、私もワクチンはできれば打ちたくないと思っていたので、この不信感と掛け合わされば、陰謀論を唱える側になっていたかもしれません(0ではないという程度の可能性ですが)。



で、ワクチン接種をしてもらっていて考えたのが、ワクチンを接種する医療従事者系のほとんどはおそらくワクチンを接種していますよね。

それが「強制」だった可能性ももちろんあるのですが、ポイントはそこではなく、医療従事者の多くが数年後にワクチンで死んでしまったら、誰が得するのでしょうか?

闇の政府でしょうか?

彼らはさすがに不老不死ではないと思うので、いつか死にますし、病気にもなるし事故やケガなどもするかと思います。

その時に医療従事者が不足する可能性を選びますかね?



やったことないですが、よくまちづくりのゲームとかありますよね。

私はあれをやるとなったら、まず間違いなくしっかりした(ハードもソフトも)病院を建設すると思います。

その方が安心して長く健康に暮らせると思うからです。



なので「人口削減」を本当にするのであれば、違う方法が選ばれるかと思うというのが私の考えです。

違う方法というのは(書くのも最高にいやですが違う方法を言ってみろよと言われたりしかねないので)エリアで狙うとか、世代で狙うとかということになるでしょうか。

そう書くと「ワクチンは高齢者を優先にしていたので世代で狙っているじゃないか」と言われるかなと思いますが、それをどんどん引き下げていく説明が必要になるかと思います。

「子ども以外みんな削減するんだ」と言うのであれば、子どもだけでどうやって生きていくのでしょうか。

子どもが「子ども以外みんな削減」を主体となってやっているのであれば、本当にそういう可能性もあるのかもしれませんが、さすがに超天才でないとワクチン開発は難しいでしょうし、それをこれだけ世界に回す交渉術?も少し厳しいかと思います。



仮に本当にワクチンによって数年後に接種者が亡くなったとしたら、闇の人たちが真っ先に困ると思うので、その陰謀論を説く、あるいは信じてやまない場合には、そうまでしてそれを行う納得できる理由を説明できた方がいいと思います。

パッと浮かぶのは世界を征服するためとかでしょうかね。

また、闇の世界の中に医者もいるということなのですかね。

でも、だとしたらあまりに疑われすぎだし、人数も限られているのでゴミ出しとか浄水の管理とか、そういう人があまり進んでしない(エッセンシャルワーカーのみなさまに改めて感謝です)仕事もそのメンバーの中でしないといけないですよね。

階層でもある感じでしょうか。階層の下の人は告発しそうですが、それもできないほど支配されているということなのでしょうかね。

私が想像できるのはこのくらいです。

でも納得のいく説明ができていない気が私自身していてもやもやします。

納得できる理由を説明できれば、その陰謀論の支持者も増えるかと思いますが、私にはちょっとこれが限界であり、よく「わからない」という回答になりそうです。



「ワクチンでマイクロチップが体内に入れられ闇の政府に監視される」について

続いて②「マイクロチップが入れられて監視される」についてですが、これは確かにあり得るのかもしれませんね。

今は本当技術が進みに進んでいるので、「あり得ない…」ということが知らないところでたくさん起こっているというのは多くあることです。



いずれ本当に、体内にマイクロチップ的なものをいれて、自分の内臓の状態や血液の状態などを管理するものなども出てくるのかもしれません。

それをワクチンに混ぜて、知らない間にしてしまって、何年かあとに「実はね…」ということもなくはないのかもしれません。

このことは私には「わからない」としか言えないのですが、でも、そもそも論、私たちはすでに監視されている存在であると私は思っておりまして(マイナンバーなどもそうですし政府への不信は私は募るばかりです)…たとえばスマホなんかがそれにあたります。

スマホ脳』という本を読まれたことがあるでしょうか。

 

 

詳細はここでは書きませんが、私たちがデジタル機器、中でもスマホSNSにどれだけすでに管理・監視されているかについて書かれたおもしろい本ですので、よろしければ読んでみてください。



位置情報で自分がどこにいるかもわかるし、自分の検索履歴で好きなコンテンツをすぐに出されたりするし…もうこれはふつうに監視されているのとほぼ一緒です。



何が言いたいかというと、すでにほぼ監視されているのに(監視を肯定・正当化する意味ではないです)わざわざワクチンを打って監視するシステムを作る必要性がそんなにあるのでしょうか?ということです。



またマイクロチップという点ではそれは優れた方法であるかと思いますが、私はスマホで監視する方法の方が優れていると思います。

なぜなら、スマホにはそれをあまり思わせないで「必要不可欠」なものとして多くの人に思わせ、わざわざ自ら足を運んでまで入手させて、私たちの日常生活に忍び込ませているからです(言い方悪いですが)。

その方が巧妙ではないでしょうか?



ワクチンは陰謀論ではなくても、打ちたくない人はいます。

私ももれなく打ちたくない人だったので、もしもっと早い時期に落ち着いていれば打たないでいたかと思います。

 

で、打ちに行ってみて思いましたが、(打ってくれた方々には申し訳ありませんが…)わざわざ足を運んで、いろいろ聞かれ待たされて…打った後もアナフィラキシーが起こらないかと15分間座らされて…ということが待っているわけでして、はっきり言って、ワクチンの効果を信じてない、あるいは陰謀と捉える人にとっては、そもそもが無駄な時間・労力と思わせるに違いないシステムになっているものです。そのあとの反応もしんどいだけですし…。

 

それに体質?的に打てない人もいるようですよね。

スマホはそういうのありますかね?持てない人って(心臓系のご病気の方などはそうなのかもですが)いるのでしょうか?



さらに言えば、もし仮に闇の政府等が私たちを監視したいのであれば、陰謀論を唱える人たちの方も監視したくないでしょうか?

なぜなら、陰謀論を唱える人たちは一定数は「信者」として「信じ込ませやすい」人たちですが、宗派があり宗教戦争のようなことが起こってしまっているように、見方によっては(いずれ)「敵」となる可能性が高い人たちなはずです。



世界を征服しようとする人たちが、その可能性を考えないわけないでしょうから、ワクチンで監視しておきたいリストの上位にいるはずの陰謀論者内の人たちを、ワクチン接種から遠ざけておいて、どう監視するのでしょうか。

それが無策なのが気になります。

もちろん、人口削減を終えた後に何か別の方法を考えているのかもしれませんし、対立が起こらないような何かが考えられているのかもしれません。

残念ながら、私はその「何か」を思い描けるほど能力がないため、結局「わからない」で終わるのですが、ひとつ思い描くとしたら武力行使などの穏やかでない方法となるでしょうか。

そうだとして、陰謀論が正しく、仮に生き残った人たちにお聞きしたいのは、そんな世界に生き残って大丈夫ですか?ということです。



武力行使がされる場合、犠牲になるのは力のない人です。

陰謀論を積極的に唱えて支持を得ている人らは、生き残った後も大丈夫なのかもしれませんが、支持をしている人たちに安全が保障されているとは私には思えません。

なので、その点は気を付けていた方がいいのかと思われます。



長々と書いてきました。

このようなテーマについて書く日が来るとは正直思ってもいませんでしたが、私にも陰謀論について教えてくれ(親切心で)、ワクチン接種を考え直した方がいいのでは?と言ってくれた大切な人がいたため、こうして書かせていただいた次第です。

その情報をいただいてからは正直複雑な気持ちもありましたが、私がその方のことを大切に思う気持ちに変わりはありません。

関係性等から考えても、そうしたことを話せること自体が信頼関係にある証と理解しているためです。

 

繰り返しますが、陰謀論については、それが正しいかどうかは私には「わかりません」。

ですが、不安や不確かさ、不信感があって成り立つ部分があることは、今回実際に接種してみて考えたことで感じるに至っています。それは日常に潜んでいるものと思うので、私もいつそちら側の人間になるかなんて正直わかりませんし、誰もがそのリスクを持っているかとは思います。

最後にこのことについて少し書こうと思います。

 

不安や不確かさ、不信感とともに

誰もが陰謀論を信じる側になる可能性があると考えた上で言いたいのは、「不安」というのは実は大事な気持ちであるということです。

不安は命の危機を避けるために必要なものだと思うためです。

「なんかここにいても私大丈夫かな…」という不安は、その場にいたら身の危険(自分が傷つくとか)が迫るかもしれないから生まれますし、「うまくできるだろうか…」という不安は、うまくできなかったときに仲間外れにされてしまうとか、自分が傷つけられる(傷つく)とかいう可能性があるから生まれます。

だから、身を守るためには必要なものです。



しかし、不安は一方で判断をあやまらせたり、増幅させてしまい見境がなくなってしまうこともあります。

先の例で言えば、「うまくいく」かもしれないのに、不安に支配されてその場から去っていたら「あなたの力を見誤った」ということになります。

「ここにいても大丈夫かな…」は、「何あの音?」とか「後ろに何か得体のしれないものがいるような気がする」とかというように、不安を増幅させていきます。



なので、不安は大切なものでありますが、それに支配されないように気を付ける必要があるものです。

「別に自分は不安に支配なんかされてないし」という顔をして、不安を隠すこともできるので、それは気を付けてほしいなと思います。

まずは、不安をきちんと認めてあげること、不安でいてもいいと嘘でも自分に言葉をかけてあげてほしいなと私は思います。

でもそこにいる不安によって見誤ることがないように、そこにいろいろな別なものをくっつけないように点検する。

その作業を一緒にしてくれる存在(友人、家族、専門家、尊敬する人―すでにこの世にいない人を含めなど)を持つことが大切なのかと思います。

不確かさも不確かなままをよしとしてみること。

不信感に対しては、信頼できる姿とは何か定義を作り、それを周りと話し合うこと。

もし政府への不信感がぬぐえない場合には選挙に行くのはもちろん、アクションを起こしているたくさんの人たちと連帯する。

そういうことが大切かと思います。



これだけは言っておきたいこと「選民思想は危険」です

 

最後の最後に、陰謀論を唱える方、支持する方の多くに散見されるように感じるものとして「選民思想」があると思われますので一言言っておきます。

これは断言しますが、選民思想は危険です。

なぜなら「みな、尊い存在である」という基本的なことから外れているためです。

 

人は誰もが特別で在りたいし、「選ばれた」と思いたい存在だと思います。

でも、それを自己顕示欲とともに前面に出して「選ばれた人」風で生きていくことは、本人にとっても辛いことだと私は思いますし、それを支持するのもまた辛いことです。

そうでないと安心できないという裏返しだと考えられるため、それは自身の弱さを認められないことだからです。

別に何も持っていなくても、弱くても、選ばれた存在ではなくても、私は価値のある人間であり、あなたもそうである、ということこそが本当の強さだと私は思います(それがなかなかできないからしんどいのですが)。



そして、陰謀論が仮に正しかったとして、生き残った世界は選民思想の人たちだらけです。

その世界を想像してみてほしいのですが、その世界はだいぶしんどい世界ではないでしょうか。

なぜなら、選民思想の人たちは、自分たちが「選ばれた」と証拠づけられる世界を仮に得られたとしても(世界征服ができても?)自分が「選ばれた」とさらに思える方法を探し続けるからです。

あなたとは違うんだよということを保ち続けるからです。

そこに深いつながりはないでしょう。

分断もいとわない方法で「選ばれよう」としてしまう人たちもいるはずなので、犠牲になる人も出るかもしれません。

その犠牲になる人はより力を持っていない人たちでしょう。仲間と思っていた人が次の日には変わっていて、それこそ人を信じられなくなるということもあるかもしれません。

生き残った後の世界のことは当然私などにわかりはしませんので、私はそういう世界を想像してしまいますという話として捉えていただけたらと思いますが、そんなに遠くない気もするのですがいかがでしょうか。



極論。

別に何を信じてもいいとは思います(デマを発信することなどはそれに当たらない)。

でも、その情報源はあなたが本当に大変な時に助けてくれる(そういう義務があることを含め)人・団体・組織から発信されているかどうかを大切にして生きていくことができたら、より安心して生きていけるような気が私はするので(残念ながら数年後に亡くなるのかもしれませんが)助けてくれる(義務のある)人たちの情報を大切にし、ワクチンを接種しました。

大切な人のことを書きましたが「信じないと関係を断つ」系の話で困っている方もおられるかと思います

その場合、上から目線にならず(なっていることを自覚し)でも自分の不安も自覚して話し合うことが大切かと思います。

お読みいただきありがとうございます。

みなさまの健康や今後の幸せを心から祈ります。

大学でのゲストスピーカーでお話したこと―地域に関わるを考えるー

はてなブログの投稿が滞ってしまっており、ちょうど二か月ぶりの投稿となりました。

また、今回の記事の内容は今年の5月に母校の大学で(オンライン)ゲストスピーカーをした件というかなり遡ったものとさせていただいています。



ここではゲストスピーカーで登壇した際に、私からどのような内容をお話したかについて(かなり抽象的ですが)、また、学生たちからいただいた感想について、ざっくりとではありますが記載したいと思います。

 

ameblo.jp

ちなみに上記の記事でも簡単に書いたのですが、より詳しく(学生の感想を中心に)記載したものとなる感じです。

もし内容にご関心持ってくださる方がおられましたら、同じようなお話をさせていただければと思いますのでお声かけてくだされば幸いです。

 

 

どのなうな授業で話したか

まず今回私は、私の母校のとあるゼミの一コマをゲストスピーカーとして担当させていただきました。

地域福祉に関する授業・ゼミであり、学生たちが地域に関わるための「入り口」について考える、または自分の地域を知ることや、自分の人生にとっての地域を考える機会について学ぶものとなっています。



コロナ禍でフィールドワークが制限される中で、学生たちがどのように地域を感じ、地域に関わっていくかを考えることはなんとも難しい命題のように思います。



しかし、コロナ禍でオンライン導入となったからこそ、他地域の実情や他地域での暮らしなどを知る機会が作りやすくなったということや、「ステイホーム」のかけ声と共に自身の地域に留まる機会が増える中で、自身のいる地域およびそこでの暮らしについて考えを深める機会が作りやすくなったとも言えるのではないかということから、今回私にお声をかけてくださったということでした。



学生時代というのは様々な背景を持つ人々と出会ったり交流をしたり、読書をしたり旅をしたりすることで、多様な価値観・生き方・文化等に触れ、自身の視野を広げ、よりよい生き方を問うていくものではないかなと私は感じています。



コロナ禍がそれらを圧倒的に制限している今、私にどんなお話ができるとよいだろうか…と考え、自身の無力さを感じながらも、今回貴重な機会にお話をさせていただいた次第です。

以下、内容を簡単に書いていきたいと思います。

 

講義内容について

私にお声がかかった理由に私のバックグラウンドがありますので先に書いておきますと(詳しくはこちらをご参照いただければ幸いです)、私はもともと海なし県で育ちましたが、現在は海が目の前にある地域で暮らしています。

いわゆる「移住」を経験した立場であり、つまりは複数の地域での「生活」経験があるという立場になります。

さらに言うと、私が「移住」した先は東日本大震災で「被災した地域」であり、「地域」として特殊性があると言えるかと思われます。



こうした「移住」の経験と「被災した地域」での「生活」が、私自身の「地域」に対する見方をどのように養っていったか、あるいは変えていったのかなどについて学生と共有することによって、学生たちの「地域」に対する考えが深まりうるのではないか、ということで今回お話をさせていただきました。



そうした自己紹介をはじめにお伝えし(母校出身というのも親近感湧いてくれるかなと思ったのでお伝えしました)、私の「移住」までの経験および「移住後」の「生活」の経験を主にお話しました。

 

移住までの経験

私は大学院生になる時に東日本大震災を経験し、大学院の2年間を東日本大震災の「被災地」に「災害支援・ボランティア」で通い続けました。

今後別の媒体で(codocの予定でしたがthe Letterで書きたいと思っています)災害支援等に特化した記事を書いていくつもりですので、はてなではそのあたりは割愛させていただきます。



つまり私は東日本大震災の「とある地域」に「災害支援・ボランティア」という切り口(入り口)で関わるようになったと言えます。



外から通い続けるうちに私が自覚するようになったのは、「外」から「災害支援・ボランティア」という枠で見える「地域」と、「内」から「生活」という枠で見える「地域」に大きな違いがあることでした。

 

 

それは至極当然のことなのですが、私はこうした経験から「内」から「地域」を見てみたい、感じてみたいと思うようになり、様々ご縁をいただいて「移住」の選択をするに至りました。



移住をしてみて

大学院の2年間を修了し、移り住んでみて私自身にとって衝撃的だったのは10キロ太ったことでした笑



もともと瘦せ型で食べても食べても全然太らない体質だった私が、あっという間に太っていった経験を通じて、なぜ太ったのかについて考えました。



そのことに気が付くために大切なのは、海なし県の頃の「暮らし・生活」と現在の「暮らし・生活」を「比較」してみることです。

f:id:kotaro-tsuka:20210909145907j:plain

比べてみるからわかることがある

 

私はそれぞれでの「暮らし・生活」の違いを写真やクイズにしながら学生たちと共有し、今の「暮らし・生活」の場である「地域」がどのようなコミュニティなのか、どういった課題を抱えているのか、どういう力があるのかといったことについて、考えられることをお話しました。



災害の経験

とは言え、冒頭にも書いた通り、私の移り住んだ先は東日本大震災で「被災した地域」であり、その特殊性や影響について触れないわけにはいきません。



「震災から10年」と言われますが、私のわかる範囲で「10年」よりも広い範囲で「被災地」と呼ばれる「地域」のことについて、そこで目にしてきたこと、「生活の場」として強く感じてきたこと、経験してきたこと、今後考えられることなどなど…それらについて共有しました。

このあたりの詳しい話は、先ほども書いたように別媒体で今後書かせていただきますので割愛します。



私がこれらについて学生たちと共有できるようになったのは、やはり「生活」の経験があったためだと思っています。



「地域」にどう関わるかという話に戻れば、私はもともと「災害支援・ボランティア」として「被災した地域」に関わるようになりました。



そうした関わりから「生活」として「地域」に関わるようになったことで、「外」から「災害支援・ボランティア」の視点でいては気づくことのできなかった「地域」に気づくことができたのだろうと思います。



同時に「違う地域」での「暮らし・生活」の経験があったことが、私にとって現在の「地域」での「暮らし・生活」がどのようなものなのかと気づくにあたってとても役に立ったと考えられます。



大学というのは専門的な視点を培っていく機関だと思いますが、私はこうした経験から、専門的な視点を深めながらも、他と比べることや違う入り口(視点)から学んでみるという経験は非常に大切なものであると感じています。



私自身まだまだ視野も経験も浅いと自覚していますが、今回震災に関することはもちろん、地域の多様性や地域を知るという経験について学生たちにお話することで、改めて「地域」で「暮らす」ということを考える機会となりました。



この記事では、ほぼ具体性のないざっくりとした内容しか書きませんでしたが(すみません)、以下の学生たちの感想に私の話を一生懸命聞いて考えてくれた、とても大事なものが書かれていると感じますのでご参照いただければ幸いです。



学生たちがくれた感想

多くの感想をいただいたため、すべてを書き込むと長くなってしまうことから省略しながら箇条書きのかたちで感想を載せさせていただきます。



・私は宮城県出身なので東日本大震災は経験しているが、内陸部だったため津波の被害を受けなかった。津波を受けた地域がどのように復興を遂げているか知っていると思っていたが、知らないことがたくさんあった。その地域らしさを残しつつ、震災以前より良い街を作るのが本当の意味での復興ではないかと考えた。これから調査を進めていくにあたって、様々な視点・角度から地域を見るということを意識していこうと思った。人間が生きていくには人との関わり合いは欠かせないことだと東日本大震災・コロナ禍を経験して感じた。それを実現するために地域の役割はとても重要なものであると思った。



・被災地の被害は家が壊れたり、土地が崩壊したりなど、可視化できるものだけでなく通常通り近所づきあいができなくなるなど、行ってみないと分からないことがあると感じた。また、その土地の特徴というのはその住民からしたら当たり前のことなので、自分の土地を調べる際はその他の地域と比較することが必要なのではないかと感じた。



・今回震災の被災地に住む人から実際にお話を聞ける機会があり良かった。私自身、東北に行ったこともないし、関わりを持ったことがない。外側から見たことしかないため、どのような支援があるとかはニュースなどで見たきりで、最近はほとんど耳にしてなかった。だから、今もなお、困難やダメージと共に生きている人がいることを改めて知った。自分の地域に対してもっと尊厳するべきだ。また、深く知るために地域を知る楽しさを感じたい。そのためには、地域のどこが楽しいのかを、もっと調査を通して知りたい。



・被災地に対してのイメージはダメージを負った地域「かわいそう」だが、それだけではなく、実際の暮らしの場であり、固有の文化を持った、「被災地」ではなく固有の地域名がある。実際にコミュニティで起こっていることは推測だけでは判断できない、内側から生活を見ないと分からないことがあると学んだ。ゆくゆくは地域にあった形の支援、震災後の生活を見据えた生活を考えなければならないと考えた。東京のような都会は人がつながらなくとも社会のシステムが回っていくが、地方地域独特のシステムで互助が成り立っているのではないかと考えた。



・今回、大塚さんのお話をお聞きして、「外から見える世界」と「中から見える世界」とのどちらも重要であると感じました。その視点での当たり前が他方で通じるとも限らず、広い視野で多角的に見ることで新たな情報を得ることが可能となることを学びました。これは言い換えると、外からしか見えないモノもあるということになると思います。ずっと中にいることで定着していた当たり前が、外からの視点では特異に見られることもある。地元を調べるだけでは、中で持っていたこれまで通りの当たり前の尺度での調査となってしまうので、あえて外から見る、外を知り比較するという要素も加えていくべきだと感じました。今回学んだ内容や考え方は今後に生かしていきたいと思います。



・私が特に考えさせられた点は、「外側からの目線と内側からの目線の違い」についてです。自分の当たり前は実はあたりまえではなく、外からみていたものを内からみることによって新たに発見できることも沢山あることを学びました。一方、グループワークを行った中で、「私たちは地元について調べる際、内からの視点に偏っている」という意見を聞き、2つそれぞれの視点(内、外)から地域を見ることが主観的、客観的な良さ、悪さを知れることに改めて気づきました。



・住民目線で地域を考えることがとても大切だと考えさせられました。今、私は、地域の調査を進めているところですが、地域をデータ的にみる方法、ひとつのことに焦点を当ててみる方法、他の地域と比較してみる方法、客観的にみる方法など、多様な見方で地域を体感していくことの大切さに気付かされました。



・復興支援は国、政府から支援してもらうと思いますが、その過程にあたって国、政府は果たして『地域』のことをより深く考えて行っているのかどうか、疑問に思いました。結局は国家が潤滑に回るために、そしてその地域を『発展』させることを良いことだと思い、物事を勝手に進めてしまっているのではないかと思いました。これらのことを考えると、よりコミュニケーションの重要性を感じました。



・これから私が調査を進める予定である東京都○○区は、大地震が発生した直後から対応は迅速に行われるでしょうが、土地柄国にとって重要なインフラ等が暫く機能しなくなり、結果として周囲に与える影響はとても大きいはずです。災害発生時の都心ならではの福祉的対応や人間関係の変化も含めて地域福祉の調査を進めたいと考えました。



・私の地域では地縁型コミュニティは衰退してきているなと感じましたし、東北地方の文化的宗教的慣習に触れて私の地元にも小規模ではあるもののそのような行事はあるなと気付きました。さらに住民側の視点でのお話から、地域を知っていく上で人口や歴史、産業、気候などの客観的事実だけでなく、生活習慣や慣習、コミュニティなどの住民の主観的な視点も今後重視していきたいと思いました。

 

 

・地域での暮らしが違いすぎて思わず笑ってしまいました。今日の授業を聞いて本当の意味での復興とは目で見えるほんの一部のものではなく、その地域の文化や習慣、元からあった暮らしをないがしろにして行うものではないと考えました。効率や見た目ではなく、心に寄り添う復興が必要だと感じます。そのためには、地域を知り、多角的にみるということが重要だと思います。



・私もそうでしたが支援や復興と聞くと支援する側、支援される側(被災地)と分けられることが多く、「地域」のためではなく「被災地」が活動力を取り戻すためというイメージが着いてしまっていると思います。広い視野をもって住民の生活や大切なもの、地域のアイデンティティを知っていることは復興や支援など地域内でアクションを起こす際に非常に大切なのだと気づかされました。



・以前までの私は地域のつながりなど意識せずに、ただお金と人材のみが重要だと思っていましたが、本当に必要なのはそれだけでなく、地域とのつながりを断たないことなんだなと理解しました。



・私は上京してから地域というものにほとんど触れていないと思っていましたが、大塚さんの体型の変化の話を聞いて知らず知らずのうちに関わっていたのかもしれないと感じました。震災当時に原発の影響で避難してきて私の学校に転校してきた人たちは、未だに元の場所には戻れていません。復興が進んでいるとは聞いていても、その子たちやその親の故郷が無くなってしまっている状況に疑問を感じていたため、何が復興なのか、切り口を変えてみてみると違う面が見えるということにとても納得しました。それと同時に、地域らしさを守ることの難しさ、大切さを感じました。発表に向けて、比較ということを取り入れて、今までは気づかなかった地元の魅力や、今住んでいる地域の魅力を調べていきたいです。



感想から改めて思うこと

ひとつひとつにしっかりお返事をしたいくらい、学生さんたちが一生懸命話を聴き考えた上で感想を書いてくれたことを感じました。心から感謝です。



学生さんの感想を読み、思うことはたくさんあるのですが、今回の講義の中でも引用した言葉がやはり思い浮かんできましたので、いくつか載せたいと思います。

 

宮本常一(著),田村善次郎(編)『宮本常一講演選集 郷土を見るまなざし 離島を中心に 郷土大学開校記念講演講義録1980』より

 

大事なことは規格化されることではなくって、みんなが企画し、お互いがお互いに発見していくことである。

その発見していく一番大事なもとになることは何であるかというと、やはり自分が今住んでいる場を、その生活の場をもとにしてその中から新しい生き方をみつけていくことです。

 

 

続いて同じく宮本常一の『民俗学の旅』より(渋沢敬三の言葉ですが)

 

ある地域、あるテーマについて集中的に詳しく掘り下げてゆくことは大事なことであるが、それ以上に、つねに全体観を持ち、広い視野から部分を見ることが必要である(渋沢敬三

 

これは私がお世話になった方が話されていたことなのですが、私たちは自分自身の髪型に気づくために、鏡を見たり、実際に触ってみたり、誰かに教えてもらったりするものです。

むしろ、そうしないと自分の髪型に気づくことすらできないものですよね。

きっと「地域」や「暮らし・生活」も同じなのではないだろうかと私は思っています。

 

それらがどのようなものか気づき、よりよくしていくためには、自分の今いる「地域」を照らす何かや、実際にあるくみるきくをすること、そして誰かと話し合って見つけていくことが必要なのだと思います。

宮本常一渋沢敬三の上記の言葉は、そうしたことを言っているのではないかと私は思っており、学生さんたちは私の拙い話からこのことの意味を今回理解してくれたのではないかなと思っています。

 

また、これも宮本常一の『民俗学の旅』からの引用となりますが、

 

私は長いあいだ歩きつづけてきた。そして多くの人にあい、多くのものを見てきた。それがまだ続いているのであるが、その長い道程の中で考えつづけた一つは、いったい進歩というのは何であろうか、発展というのは何であろうかということであった。

すべてが進歩しているのであろうか。停滞し、退歩し、同時に失われてゆきつつあるものも多いのではないかと思う。失われるものがすべて不要であり、時代おくれのものであったのだろうか。進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、時にはそれが人間だけでなく生きとし生けるものを絶滅にさえ向かわしめつつあるのではないかと思うことがある。(略)

これからさきも人間は長い道を歩いてゆかなければならないが、何が進歩であるのかということへの反省はたえずなされなければならないのではないかと思っている。

 

という言葉も私の中では浮かんできました。

 

これから先、長い人生を生きる学生さんたちがこうした考え・視点を持ちながら「地域」を見て、「地域」に関わっていくことができれば、世の中は大きく変わっていくのではないだろうかと―願いも込めて―感じています。



私の頭の中に常にある言葉は宮本常一の父親の10の言葉のひとつである



人の見残したものを見るようにせよ。

その中にいつも大事なものがあるはずだ。

 

という言葉です。



コロナ禍で時代がどんどん変わってきていると思いますし、今後もその変化は加速していくと想像がされます。

その変化が果たして進歩と言えるのかを私たちは注視していかないといけないと思いますし、同時にその変化の先に見残されたものが多く出てくるだろうと思います。

私はそのことを忘れずに生きていきたいと思いますし、この貴重な機会、そして学生さんとの感想を通じたやり取りからも、改めてこの言葉の重みを感じました。

 

大切なものを当たり前に大切にできるように。

その大切なものに気づくことができるように。

そんな風に在ることができるよう精進していきたいと感じます。

貴重な機会をくださった先生、学生さんたち、そして私にこれらを教えてくれた方々に心から感謝して終えたいと思います。

中学生への自殺対策授業のまとめ―思春期の子どもたちへの思いと、実施後の子どもたちの声および私の感想

中学校で行った自殺対策授業内容について、これまで細々と記事にしてきましたが、この内容に関する記事はこちらで終わりとなります。

ここまでお読みくださったみなさま、どうもありがとうございます。

 

最後の記事では、この授業の最後に私が中学生へお伝えしたこと、そして、4つのテーマを扱った理由に改めて触れ、子どもたちからいただいた声、私自身の感想についてまとめていきたいと思います。

 

f:id:kotaro-tsuka:20210709195803j:plain

<a href="https://pixabay.com/ja/users/sasint-3639875/?utm_source=link-attribution&utm_medium=referral&utm_campaign=image&utm_content=1807500">Sasin Tipchai</a>による<a href="https://pixabay.com/ja/?utm_source=link-attribution&utm_medium=referral&utm_campaign=image&utm_content=1807500">Pixabay</a>からの画像



 

思春期を生きるということ


今回のこの授業は中学生全学年に向けて、同時にお話をさせていただく形式で行われました(体育館に集まる形式)。

 

コロナ禍で休校になるなど、時間制限が生じたことなどからそのような形式で行われることになったようで(中学生は学年ごとにずいぶん色や課題が違うものですが)

思春期真っただ中で身体や心の変化を様々経験している子どもたち全体に向けて、内容を構成してみたつもりでした。

 

そのため、私は4つのテーマを話し終えた後に「思春期という時期を過ごしているみんなに」というお話を少しだけする時間を設けました。

 

私は最初に子どもたちにRPGゲームを思い浮かべてもらって、このようにお話しました。

 

「思春期というのは、高価な武器や鎧などを簡単に買うことができないのに、めっちゃ敵やイベントが出てくる時期」

 

中学生の子どもたちはまだ、自身で稼ぐ術も車を運転してふらっと出かける権利も持ち合わせていません(最近はYouTubeなどで収入が得られたりとかもあるとは思いますが一部と言えるかなと思っています)。

学校に行く時間を選ぶことも、好きな習い事を自分のスケジュールに合わせて通うということもままならないかと思われます。

 

つまり、自由で融通の利く(高価な)ストレス解消の方法(武器)や、自分を守る方法(鎧)を簡単に選べない、入手することができない状態と言えると考えます。

 

それにも関わらず、中学生になった途端に、上下関係が生じたり(それもかなり厳しかったり危険が伴う可能性もある)、部活動がはじまってハードになり、勉強も高度なものになって受験や進路を考えることが迫られるようになります。

これは敵やイベントがたくさん出てくると言えることであり、その敵やイベントには結構きつい(と人によっては感じる)ものも出てくると言えるように思います。

 

上記したように思春期は身体や心の変化が伴うものであって、不安やイライラがつきまといますし(しかも本人もなぜかわからない類のもの)、悩みごとも増える時期です。

 

プレッシャーを感じる場面も増え、戸惑いや焦りを感じたり、トラブルや失敗をしてしまうことも多いでしょう。

他人からの目線が気になるようにもなり、人間関係も複雑になるものとも言えます。

 

思春期というのはそもそもそうした「大変な」時期であるのですが、それを知らされずに、適応できることが自然なことと暗黙の了解でなっているように私には思えます。

 

思春期にはいろいろな思いが過ぎり、いろいろなことがあって当然なのですが、そのことに察しが悪い大人も多くいるという方が現実であり、学校では特に、統制された秩序ある集団をつくるために子どもたちの思いを抑圧させてしまう可能性もあるというのが私の考えです。

 

私は子どもたちにそうした察しの悪い大人もいるであろう現実については謝り、でも、信頼できる人の存在、そういう人と出会えることを諦めないでほしいということをお伝えしました。

 

私の思春期と人生の妙


その後、私の思春期と人生の妙についても大雑把にお話をしました。

 

私は中学生の時、今思えばいつもソワソワしていたし、いつもどこかイライラしていて多くの不安を感じながら過ごしていました。

 

そして、高校生になって人生で初めて挫折を経験し、「死にたい」「消えたい」と思う日々を過ごしていました。

こうした経験を自分がすること、こんなことを自分が思う日がくるとは微塵も思っていませんでした。

 

そんな経験をしていくうちに「人間は意外と傷つきやすいし、この世界には傷つくことが結構あるものだ」と気づくことができ、人の痛みを大事にしたいと思うようになり、

信頼できる存在である恩師に大学に入って(ようやくー今までの先生には申し訳ないけど笑―)出会うことができ、岩手とのご縁を得て、今こうしてお話をさせてもらっている…その人生の妙についてお話させていただきました。

 

人生は何が起こるか、何がどこにどのようにつながるかわからないものであり、世界は知らないことだらけであること、今日の話が決して“絶対”ではなく、まだまだいろいろな物事の見方や考え方があるということもお話しました。

 

そんな世界を、今を、不安に思いながらでいいし、周りと比べながらでもいい、助けを求めながら、時に手を差し伸べながら、知らないことだらけの世界を生きてもらえたらと思っている、そんなお話をして授業を終えました。

 


子どもたちの声

 

授業後、子どもたちは感想を書いてくれ、後日私のもとにもそれが届きました。

 

これまでの記事を見てくださっている方はお察しかと思いますが、、子どもたちにとってはやはり意味がわからない時間でもあったようで()、様々な感想がありました。

 

一部、そのことをきちんと書いてくれている感想があったので、ここに載せさせていただければ、

 

「何をテーマに話しているのかが途中でよくわからなくなってしまい、話が頭に入ってこなかった」

 

という感想や

 

「あまり「命の授業」という感じではなかったと思いました、なのでもっと「命が大切だ」という授業をしてほしい」

 

という感想がありました。

 

後半の感想については後で触れようと思いますが、私自身の至らなさをとても反省する感想でした。

 

一方で、

 

「相談することは恥ずかしいことじゃないこと」

「自分にとって当たり前のことが他人にとっては当たり前ではないということ」

「自立をするとは自分ができないときに誰かに助けてと言えることというのが本当の自立ということが印象に残った」

「自分には合う人と合わない人がいるんだってことを覚えておきたい」

 

といった感想もありました。

 

私が今回

「みんな仲良く、いつも元気に」

「人と比べず、個性を大事に」

「人に頼らず、自立をしよう」

「強く生きていこう」

という4つのテーマを持ち出して、違う見方をしてみようと設定したのは、子どもたちの中にある(あるいは刷り込まれている)「当たり前から一度出てみること」を経験してほしいと思ったためでした。

 

いつも仲良く元気にいなくてもよくて、なるべく傷つけあわずに暮らせること。

 

人と比べても別にいいし、そのことで自分をダメだと思わなくてもいいこと。

 

人に頼ったり相談したりすることを通じて、自立というものが見えてくること。

 

マッチョ的な強さだけでなく、多様な生き方があり、逃げてもいいし泣いてもいいこと。

 

これらはおそらく、子どもたちが教わることのないことであり、そのことに触れてもらい、視野狭窄に陥らないでいられる力、多様な視点をもって生きていく力、ガチガチなつながりではなくほどよくつながっていられる力を身に着けてもらえたらと思ってお話したところです。

 

子どもたちの上記した感想は、そのことが伝わっているかもしれないと感じられる内容であり、少しでも子どもたちの力に役立つことができていれば大変うれしい限りです。

 

もうひとつ、自殺対策ということにもっと焦点を当てて、今回の授業を振り返ってみた時に、とても大事な気付きを与えてくれた感想がありましたので、載せさせていただきます。

 

それはどのような感想かというと

 

「私は人と接するのが苦手なので命の授業で人に相談したり話しかけるのに何年かかってもいいことがわかってちょっと安心した」

 

というものです。

 

上記したように、今回この授業を「意味が分からない」と感じた子どもたちも一定数いたと思われます。

「もっと「命が大切だ」という授業をしてほしい」とありましたが、授業後、そういう声が大人からも実はありました。

私の至らなさについては心底反省していますし、このことについて言い訳をするつもりはありません。

 

しかし、偶然にも、自殺対策についてとても大事な指摘をされている文章と出会ったのでここで引用します(少し長くなります)。

 

精神科医になってはじめの頃、ある学校に薬物乱用防止教育の一環として、講演に行ったことがある。

薬物がどんなに害があるのか、一回やると止まらないこと、手を出したら廃人になること…壇上に立って、学生たちの前でそんな話をした。

9割の子が「薬物の怖さがよくわかった」「人生何があっても自分は薬物を使わない」「薬物を使うのはバカげている」といった期待通りのことを書いてくれた。

だけど、自傷経験のある1割の生徒たちの答えは、僕のやり方を考え直させるものだった。「薬物は、自分の体を傷つけるだけで人を傷つけるわけじゃない」「薬物をやりたければ、勝手にやればいい」そんなことが書かれていた。

一緒に行ったアンケート調査で、全体の1割は、リストカットやお酒を飲んだり、タバコを吸ったり、市販薬の乱用をしていたのが明らかになっていた。さらに拒食や過食といった摂食障害の傾向を持つ子も多かった。

実は、10代でこういった経験のある子たちは、成人した後に違法薬物に手を染めたり、アルコール依存症になるリスクが高いことがこれまでの研究で分かっている。

本当に伝えなくてはいけない1割に、まったく届いていなかった、っていうことに(呆然とした)。9割の子は、僕の講演なんて聞かなくたって、このクリーンな日本という国にいれば、おそらく将来も薬物の危険はないと思う。

僕ら大人は、自分たちの求めているもの、こうであってほしい、という姿を勝手に子どもに押し付けているだけだったのかもしれない。

ものを教える立場にいる大人は、きっと学生時代も勝ち組にいて、居場所がない子のことをうまく想像できないんだな、と思った。「ダメ、ゼッタイ」ではダメなんだ。

 


これは『「死にたい」「消えたい」と思ったことがあるあなたへ』という著書の中にある、精神科医で子どもの薬物問題や自傷行為などが主な専門である松本俊彦先生が書かれた文章です。

 

表現が相応しくないと思いますが、百戦錬磨であろうと思われる専門家の先生の失敗体験と気づきがそこには綴られており、同時に、自殺対策を考えるうえで本当に重要なことは何かが綴られているように感じさせる、そんな文章であるように私は思いました。

 

私の至らなさはもちろん前提に置いた上で書きますが、今回の授業が「意味がわからなかった」子どもたちはきっと「(いまは自殺を考えていない)大丈夫な子」であり、松本先生のお言葉を少しお借りすれば、私の話を「聞かなくても(ある程度は)よかった」子どもなのかもしれないと私は感じています。

 

薬物の問題と違うのは自殺対策≒「死にたい」と思うことは、人生で一度や二度は誰もが思うことであるという点であり、正確には「聞かなくてもよかった」子どもという表現は相応しくないのかもしれないと思われます。

ただ、「意味がわからない」と思った子はおそらく、「いま」は「死にたい」などとあまり思う可能性がない状況にいる子どもであり(当時の私のように)いつかそういう危機があったときに、この話のどれかが支えになったらいいとそう思うのです。

 

今回の授業を通じて、「人と接するのが苦手」という子が「焦らなくてもいい」と感じてくれたこと。

そのことに大きな価値があると考えてもいいのではないか。

そんな風に私は感じ、勉強させてもらったと思っています。

 


中学生の自殺対策を改めて考える―今回の授業の感想を通じて

 

今回とても貴重な機会をいただけたことに、私自身は深く感謝しています。

 

子どもたちにとって本当によいものだったかどうかについては反省して、検証していく必要があると思いますが(ご意見いただければ幸いです)、ひとりでも肩の力を抜いて生きていけることにお役にて立てていたなら、そんなにうれしいことはありません。

 

この記事の最後に、改めて、中学生の自殺対策において大事だと思っていること、私自身が今回の授業を通じて感じたこと・思ったことを書きたいと思います。

 

自殺対策授業に関する最初の記事で、子どもたちの環境にある閉塞感について書きました。

また、視野狭窄に陥らないようにすることが大事であることも、繰り返しこれまで書いてきた通りです。

 

書き忘れていましたが、今回の授業で私はあるルールを設けていました。

 

そのルールとは

・いろいろ尋ねますが、答えたくないときは答えなくていいです。「パス」って言ってください。

・誰かや自分の心・体を傷つけなければ、何を言っても否定や助言をしないでください。(敬語は使うにしても「先輩がいるから」とかはなしです)

というものでした。


ちなみに、「「わけのわからない」50分になると思います。肩の力を抜いて参加してくれたら嬉しいです。」とも最初に示していました笑。

 

また、コロナ禍であることもありましたが、自分の気持ちや意見は紙に書くようにしてもらい、書くけど見せたくなかったら見せなくてもいい、ということで授業を行いました。

 

このことについて、授業終了後に「なぜそのようにしたのか」ということを大人に問われました。

「もっと子どもたちに話をさせてほしい」という文脈での問いでした。

 

私は「子どもたちは正解を答えないといけないと思っていると思うので、ここではそうではないので自分の意見を大事にしてほしいためです。また、答えたくない!と思ったことについては答えなくてもいいという選択肢があって、それが尊重される経験をしてほしいためです」と回答しました。

 

私が問いかけられたこと自体やその内容の意味はとてもよくわかりますが、私の回答に対して納得をされていないような反応が見られ、その時、私は子どもたちの大変さ・閉塞感を思いました。

 

それ以外にも今回の授業を通じたあらゆる経験は、子どもたちの環境について(の問題点)、多くのことを私に感じさせました。

 

それを踏まえて、子どもたち(中学生)にとって大切な自殺対策とは何かと考えた時に「命を大切に」という精神論ではないということは、確実に言えることであると私は考えています。

 

それが「絶対に自殺を防がない」とまで言うつもりはありませんが、「命を大切に」と言いたいのは誰なのか、どんな立場の人がどんな立場の人にそれを言うのかを考える必要はあると思います。

 

子どもがそういう話をしてほしいと求める声もありましたが、それは大人が「命の時間」というものを作り、そういう話を聞く設定をしているためだと思います。

 

そういう話が好きな人(子ども)もいるだろうということは、その通りと思います。

しかし、残念ながら、それで自殺が防げるということは考えにくいです。

なぜなら、「命が大切」や「自殺はしてはいけないこと」なんてことは、誰だってわかっていることだからです。

 

必要なことは、「命が大切」なのになぜ私はいじめられるのか、殴られるのか、大切にされないのか…ということが起こっている現実に真剣に向き合い、すべての子どもたちに逃げる選択肢が与えられ、安全で安心できる存在や場・人生が保障されることです。

 

必要なことは、「(自殺はしてはいけないことなのに)死にたい」と思うその気持ちを言うことのできる、安全で安心な場・人・地域・社会が創られていることです。

 

子どもたちの自殺の問題や生きづらさは、心の問題「だけ」のものでは決してありません。

もちろん、思春期特有の心理状態などが影響していることは否定できないと思いますが、身体の痛みがないか、不安を共有できるつながりがあるかどうか、信頼できる大人が周りにいるかどうか、男女が平等に扱われているかどうか、人間関係を強制されていないかどうか、「ふつう」であるように力を行使されていないかどうか、偏見や差別にさらされていないかどうか、弱さが大事にされる空間にいると思うかどうか…

そういうことが大きく影響していると思います。

 

その現実に目を向けて改善していくことこそが、子どもたちの自殺対策において重要なことではないかと私は思います。

 

年に何度か、心の健康を測るアンケートを取って大丈夫かどうかを判断する。

子どもたちに援助希求能力向上のスキルを教える時間を持てば、大丈夫。

道徳で命の大切さを伝えているから…。

 

こういうことをよく耳にします。

これらを全否定するつもりはありませんが、もっと子どもたちの日常に目を向ける必要があるように、私は今回改めて感じました。

 

心の問題だけで自殺対策はできないし、形式的なもので子どもたちの自殺の問題・生きづらさに触れることの限界に、私たち大人は敏感である必要があると思います。

 

実際に本当にしんどい時に助けを求めに行くというのはかなり困難なことであり、加えて、その時になって助けを求める先を見つけるということは(痛みを悪用する人もいることを含めて)かなり難しいことです。

 

スキルは大事ですし、道徳で様々な人の生き方に触れることも大事だとは思います。

でもそれよりも大切なことは、日常で自身を大事にする経験を重ねることで、困っている他者の話を一生懸命聴こうと思える存在が育つこと、「自分の命が大切」にされる経験を積めることではないかと思います。

 

どれも子どもたちの日常に織り込まれていることが大切と言えるものです。

それを特別な扱いにして「子どもたちには伝えていた」とし、何か問題が起きたときにはそれは子どもの未熟さに焦点があたる、自己責任とされる…もうそういうこととは決別しないといけないと思います。

 

今回の私の授業でこれらが網羅され、メッセージとして届いていたとはとても思えず、偉そうなことを言いながら自身の力の無さを情けなく思っていますが、子どもたちの日常をどのような日常にしていくのか、子どもたちに何を大切にしてもらいたいのかを考え続け、教わり続け、子どもたちと共に変え続けていくこと。

そうしたことが、子どもたちの自殺対策において何よりも大切なことであるのではないかとこの機会を得て全身で感じました。


子どもたちがよりよく生きていくことができるような何かにお役に立てるよう精進していくことを誓い、記事を終えたいと思います。

お読みいただき、ありがとうございます。