地域福祉に関する講義のゲストスピーカーをさせていただきました
先日、地域福祉に関する講義においてゲストスピーカーをさせていただきました。
当日は一時間ほどの時間をいただいて、自己紹介を少しと、私なりの「地域」を知ることの意義・「地域福祉」を学ぶことの意義についてお話をさせていただいたところです。
学問としての学びの時間とは程遠い内容ではあったと思いますが、学生さんたちは私の実体験を通じた話に耳を傾け、様々なことを感じてくれていたようでした。
この記事ではその際にお話した内容を、学生さんからいただいた感想を入れつつ、少しだけ詳しく(※簡易版はこちらに書きました)書きたいと思います。
私にとって「地域」を知る経験
私は群馬県で生まれ、埼玉県で育ち、大学院生活を修了するまでずっと埼玉の実家で過ごしました。
埼玉にいるときは、お恥ずかしいことに「地域」なんてものを考えたことはほぼなく、ましてや大学での講義などを除いては「地域福祉」なんていう言葉を聞いたこと・考えたことなど、全くと言っていいほどありませんでした。
今回の講義では触れませんでしたが、そんな私が初めて「地域」を少しだけ考えたのは、大学生活でいわゆる地方から上京してきた人たちと仲良くなったことでした。
東北や九州などから引っ越してきた人たちと仲良くなり、彼らから私の「地元」のことを尋ねられることがあったのです。その時に私は「地域」のことを「何も知らない」という自分に気付かされたのでした。
「ずっと実家」と書いたように、20年近く同じ「地域」にいたにも関わらず自分のいた「地域」のことを何も知らないということは、私としては少し恥ずかしいことのように思えました。
しかしそれは、有名な観光地のことを知って案内や説明をすれば済んでしまう話でもあり、「地域」について考えるという機会にまではならなかったように思います。
そんな私が「地域」を知る・考えるようになったきっかけは、やはり東日本大震災(以下、震災)でした。
震災後、私は埼玉から東北「被災地」に「通い」続けました。
そして、震災から2年後に岩手県へ移り住み、「生活者」として「被災地」に関わるようになりました。
※このあたりのことは以下で書いていますので読者登録していただければ大変うれしいです。
こうした「被災地」に「通う」という経験を通じて、私は「知らない地域」に出会い、知るといった経験を繰り返していきます。
「災害ボランティア」「復興支援」という名目で「地域」に訪れてはいましたが、毎回「知らない地域」を「知りに行く」経験をさせてもらっていたという表現の方が正しく、その経験が後の「生活者」となる選択を後押ししてくれたように思っています。
そして移り住んで「生活者」となって「知る地域」は、「通い」で「知る地域」とはまた違って見える経験となりました。
具体的な地名や言葉・風土・文化・歴史などを「生活」の側から「知る」ことは、私にそこに確かに「地域」があることを思わせます。
さらには「被災地」という特殊な条件の「地域」における「生活」は、「地域」を知ることとはどのような意味(意義)を持ち、「地域」はどのように作られていくものなのかということを日々肌で痛いほど感じさせる経験でした。
災害が襲った「地域」に「通う」経験、「生活」をする経験。
これらの経験を通じて、私は「地域」を知ることに「意義」を見出すようになり、その「意義」について学生さんたちに共有をさせていただいたのでした。
「地域福祉」を学ぶことの意義
続いて、「地域福祉」を学ぶことの意義ですが、私の恩師は「地域福祉の地は地酒の地」という言葉を残しました笑。
「地酒」はその「地域」の水・米・技が折り重なってできるように、「地域福祉」もその「地域」の風土や人・技が折り重なってできていく、そしてそれはその「地域」らしい形(「味」)を成していく、といった意味の言葉です(と少なくとも教え子たちは思っています笑)。
ちなみに、何を隠そう、私は東北「被災地」に関わるようになってから「地酒」を飲むようになりました。
恩師が言われるように、「地域」にはその「地域」の「味」があることを私は「通い」と「生活者」の経験を経て感じるようになりました。
ここにすでに「地域福祉」を学ぶことの「意義」があるようにも思いますが、「地域福祉」や「被災地」はそこで留まらず、私に様々な問いかけをしてきました。
「地酒」のたとえの文脈で書かせてもらっていけば、「地域」の「味」はどのように扱われてきたのかを考えさせられてきたのです。
「味」はうまいかどうかが大きな分かれ目であることは当然ですが(うまい酒を飲みたいです)、「味」がうまければ(進歩として)尊重され、まずければ見下されるということでは本来ないはずです。
もちろん、まずさの理由が「汚染」や「悪意ある行為によるもの」、「有毒なもの」ー「地域」で言えば「排除」や「差別」「暴力」に関するものーであれば、それは評価されるものとは到底言えず、批判され、なくさなければならないものだと考えます。
しかし、「地域」の「味」はこれまで資本主義社会に喜ばれる「味」かどうかで判断がされてきていたのではないだろうか、あるいは、「地域」の「味」はうまいものに画一化され、それこそを「よし」としてきたのではないだろうかと私は考えるのです。
また、キムジヘは「地域」に限りなく近い「街」についてこのように言います。
この指摘にあるように、「地域」の「味」は誰にとって「うまい」なのか、その誰かの「うまい」は誰かの「まずい」の声を消し去っていないのだろうかと私は考えさせられてきました。
これらをまとめれば、資本主義社会に喜ばれる画一化された「味」は、特定の誰かにとっての「うまい」である可能性があるということ、になります。
このことに私は非常に危機感を抱いてきました。
「味」は甘味・塩味・酸味・うま味・苦味(他にも渋味や辛味)があって構成されると言いますよね。
料理(地酒)によって、その構成要素の強弱が異なるのは当然であり、画一化されればいいものではないでしょう。当然「甘い味がいい」という特定の誰かの料理だけが重宝されることも違います。
しかし、「地域」は本当にそれが否定され、是正されたものとなっているでしょうか。
「地域福祉」を学ぶことは、こうした「地域」の「味」を学ぶことにあるのではないかと私は思い、そうした経験から感じる「意義」について、今回共有させていただきました。
今大事にしていること、これから大事にしていきたいことー学生さんの声も交えながら
結論を書いていないことから、少しわかりにくい内容になってしまったかと思い、その点お詫び申し上げたいと思います。
ただ、私の結論よりも(聞きたいと思ってくださる方はお声かけてくだされば幸いです)このごちゃごちゃした感じから考えていくことの方がはるかに大事かと思うため、そんな風な機会にしていただければ幸いです。
この講義の最後に私は、今自分が大事にしていることやこれから大事にしていきたいと考えていることについてお話をさせていただきましたので、そのことを書いてこの記事を終えたいと思います。
私は岩手県に移住しおよそ10年ほどをそこで過ごしました。おそらく、これからもそれらの「地域」とは関わり続けることになると思いますが、現在私は新天地(生活の地)や多拠点生活の可能性も考えて、様々な地域での「生活」を体験させてもらっているところでした。
それは新天地・多拠点生活を考えるほかに、このように考えてもいるためです。
この言葉は私の頭の中に常にあり、全体観をもって、広い視野から物事を見られるようになりたいという思いが強くあります。
奇しくもこの言葉は、第二次世界大戦がはじまる前に(するようにと)、宮本常一がかけられていた言葉であったそうです(確か)。
穏やかでない世界情勢を前にこうした歩みを経験することになっていることは少し不気味ですが(似た状況であることを考えたくもないです…)、少しでも「取りこぼさない」目線を持てるように「地域」から学び続けていたいと考えます。
また、「地域」を「知る」意義や「地域福祉」を学ぶ意義を実感してきて思うのは、社会的公正に向けて取り組む必要性でした。
私はこうしたことを念頭に置いて、これからを考えていきたいと思っています。
学生さんからはこのような声がありました(一部大塚修正)。
一番印象に残ったお話は、地域福祉を学ぶことの一つの意味についてです。私は人と人との間に繋がりのある地域を目指したいと言いましたが、(自分が強い力を持っていたら)この目的に沿わない人々が地域から排除される可能性もあります。これからそういうことを意識して自分の住んでいる地域を見ていこうと思います。
拙い話でしたが、より公正な「地域」や社会に向けて、共に考える仲間が増えてくれて大変光栄に思いました。同時に、今の若い人たちがこれ以上余計な重荷を背負わなくて済むようにするためにも、一歩ずつ歩みを進めていきたいと思うのでした。
以上が私のゲストスピーカーでお話した内容となります。
もしご関心くださる方がおられましたら、お声掛けいただければ幸いです。
お読みいただきありがとうございました。