kotaro-tsukaのブログ

社会の構造によってつくられる誰かのいたみ・生きづらさなどに怒りを抱き、はじめました。「一人ひとりの一見平凡に見える人にも、それぞれ耳を傾け、また心を轟かすような歴史があるのである」(宮本常一)をモットーに、ひとりひとりの声をきちんと聴き、行動できる人になりたいです。このブログでは主に社会問題などについて考えることを書いていく予定です。

変わらないことと、変わることを考える@公平な社会を実現するために…

更新がずいぶん滞ってしまいましたが(ロシアによるウクライナ侵攻の前…一月以上前にはほぼ書き終わっていたのですがショックが大きくなかなか本腰入れられませんでした…)、これまで「若者の投票率の低さ」を反省的に考えていく中で、若者の投票率が低いのは教育に大きな問題があるためではないか、ということについて書いてきました。

また、“私たち大人が”そのことに無自覚であること、認識不足のまま日々の業務に追われ、改善をしていかないことが大きな問題であり―あくまで私は素人ですが―それでも「公平な社会を目指して変わる必要性」があるのではないか、ということについて書いてきました。

これら詳しくは以下のふたつの記事をご覧いただければ幸いです。

kotaro-tsuka.hatenablog.com

kotaro-tsuka.hatenablog.com

 

ここでは「変わる」必要のある大人たち(や教育)が「変わらない」でいるのはなぜなのか。

そして、それでも「変わってほしい」「変えていきたい」と思う中で、どうしたら良い方向に変わりうるのかについての考えをまとめておきたいと思います。

なお「公正」と「平等」という言葉を使い分けており、両者には違いがあることは承知していますが、一緒くたにしているところもあることをどうかご容赦ください。「公正」は「偏りがないこと」という意味で使っているため限りなく「平等」と近いニュアンスで使用しています。

また、「バイアス」の話をしますが「無意識だから仕方ない」という誤解を強化してしまわないか少し懸念に思っています。そうではないという前提があることをここに先に記載しておきます。

 

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Photo by <a href="https://unsplash.com/@lgnwvr?utm_source=unsplash&utm_medium=referral&utm_content=creditCopyText">LOGAN WEAVER | @LGNWVR</a> on <a href="https://unsplash.com/?utm_source=unsplash&utm_medium=referral&utm_content=creditCopyText">Unsplash</a>

 

 

 

変わらない現状…

「若者の投票率の低さ」の背景には様々なことがあると考えられますが、そのひとつに若者が声を上げられない(上げにくい)教育システムに大きな問題があると考えてきたことは上記の記事の通りです。

おそらくこれはずっっっと言われてきたことでもあると思われ、「それでもそのシステムは変わらない」といった謎の現象が続いているというのが現状なのかと思われます(もちろん少しずついろいろなことが変わってきてはいますが)。

先日、そのことを象徴するかのようなお話を偶然お聞きしたのでここに記しておきたいと思います。

それは中学校の国語の教科書の中身とそのジェンダーバランスに関する話でした。

 

中学校の国語の教科書は昨年の春に改訂がされました。

改訂前の教科書は男性の作者による作品が多く取り上げらており、物語の主人公も男性であるものが多いことが指摘できるものでした(以前書いたので省きます)。

そして今回改訂の時期を迎えたのですが、改訂されたにも関わらず、教科書で取り上げられている作品の作者はほとんど男性のままであり、物語の主人公もほとんど男性である作品が適用されたようです。

盛岡大学の遠藤可奈子教授によると、このことは高校の国語の教科書でも同様の傾向があるということです。

ジェンダーギャップ指数が話題になる昨今で、ジェンダーバランスに配慮されない改訂結果となること。

その「変わらなさ」について遠藤教授は

「(変わらない理由は)文化(財)の担い手が男性中心だったからであり、女性が(表に)出てくるまでに時間がかかっているからだろう。」

と指摘されます。

 

加えて、遠藤教授は「女性の作者による優れた作品もあるのに」という前提を踏まえて、

「保守的なこうしたことから脱却する必要があるのではないか」

とも言及されていました。



教材で選ばれる作品は「優れたもの」でなければならないことは当然のことです。しかし、それと同じくらいジェンダーバランス(に限らずですが)が考えられ、中学・高校生たちに多様な学び・視点・経験に触れてもらうことは重要であると考えられます。

なぜならそれは子どもたちに「多様なモデル」を示すことになり、「自分で考え、声を上げる」ことの学びにつながると考えられるためです(たとえば、男性主人公のお決まりパターンの作品ばかりであれば女性は社会の中心に位置しないと刷り込まれてもおかしくない)。

それにもかかわらず、そのことが積極的に進められない、「変わらない」という結果であることは、教育業界や政治(ここでは特に文科省でしょうか)は「子どもにとっての最善」(を考えて動くべきにもかかわらず)を十分に考え(られ)ていないという象徴と言えるでしょう。

あるいは、「子どもにとっての最善」を考えてはいるが、女性作家・作品が評価されない(にくい)時代―そもそも評価する人が誰なのか・男たちだらけではないかったのかという視点も重要―に生きてきた男性たちが意思決定の場につき「それ」を考えているため、拾われない・気づかれないということだとも言えるかもしれません。

こうした保守的(とすら本人たちに自覚されていないかもしれない…)で固定化された構造を「変えないと変わらない」という現状がよく表れているひとつの例であるように私にはこの話は聞こえていました。



ちなみに、高校の国語についても少し調べてみたところ、今年の4月から高校の国語教育の内容そのものが変わるという話があることを知りました。

遠藤教授が話されれるジェンダーバランスの話とは異なりますが、「変わる」内容が「時代を逆行しているもの」となっているといった指摘がされており、本当に「変わらない」のだな…と呆れています。

そのことについてはこちらの記事をご参照いただければと思います。

https://dot.asahi.com/dot/2021122100011.html

一部引用すると…

20224月から高校の国語教育が変わる。新学習指導要領にのっとって、文学よりも実用的文章を重視する傾向が強まるのだ。この問題に、「江戸時代への逆戻り」「他者の気持ちがわからない人が育つ」と怒りの声を上げるのは、献学者、山口謠司・大東文化大学教授。

 

(教授によると)「文学は論理的でなく、実社会に役立たない」という改革の背後にある考え方。

今回の高校国語の「改悪」は「『庭訓往来』のように定型文を覚えればそれでいいという時代に逆戻りしろ」、と言っているのと同じ。

これをやってしまうと、自分で考えることができなくなってしまいます。明治時代になり、夏目漱石正岡子規といった文学者たちがやろうとしたのは『庭訓往来』的教育からの脱却です。

 

実用的文章ばかりを読んでいるだけでは、人間は受け身になって、発想もどんどん小さくなっていくでしょう。文部科学省は「論理国語」という「庭訓往来」的な教育でつまらない小さい若者をつくっていこうとしているのです。

文科省は「人を耕す=カルティベートする」つもりがないのだと思いますね。国語科では本来、もっと人間の深い「カルチャー」の部分まで耕すべきなのに、「論理的」で「実用的」な文章を重視するというのは、人間の表層部に機械をつかって種をまいているだけです。

といった指摘がこの記事ではされています。



「自分で考える」という部分が軽んじられる教育とは、果たして「教育」と言えるのでしょうか。

このような姿勢で行われる「教育」を受けていては、「声を上げられる」「声を上げていい」などと子どもたち・若者たちが思えなくても仕方ないとすら言えてしまうでしょう。

「変わらない」どころか、「逆行している」とも言える教育・政治の現状に対して私はひどく憂いていますし、この国はどうなってしまうのだろうと強い危機感を抱いています。。



変わらない・変われないのはなぜなのか

では、なぜこれほどまで「変わらない・変われない」のでしょうか。

正直、意思決定の場にいる人たちが保守的な層だから、ですべて言えてしまいそうなのですが…このことについて、個人や集団のレベルで考える場合には「バイアス」という概念が挙げられるように思うため、そのあたりからはじめてみたいと思います。



バイアスという概念

『なぜあなたは自分の「偏見」に気づけないのか 逃れられないバイアスとの「共存」のために』では、すべての人に「バイアス」(偏り)があるということを指摘しています。

 

 

引用すると

私たちの脳は、自分にとって重要な、あるいはすでに知っている観念や概念、不確定要素を中心に組み立てるようにできている。

とあり、

自分が正しくありたいと思う傾向は、じつに強力

これまで慣れ親しんだふるまいを変えるのは容易ではない。

と指摘されています。



当たり前のことですが、私たちは自分の見ている世界を中心に物事を考えますよね。

これもまた当たり前のことですが、だからといって、私たちが見ている世界が常に正しいわけではないですし、正しい/正しくないと割り切れるものだけで世の中が成り立っているわけでもありません。

しかし、同著が指摘するように「私の見ている世界こそ正しい」と私たちは思いがちであり、それ(そのバイアス)は思っている以上に強力なもののようです。

さらに同著では、この傾向は集団においても同様、むしろ顕著であると指摘しており、これまで多くの社会心理学者たちによって

人間は「仲良くやっていくために同調する」傾向が強いということが立証されている

といった研究結果を用いながら、

集団の同調意識に影響されると、たとえすばらしい解決策が浮かんでも、それは手放して、馴染みのある解決策や、ごく一般的な解決策に傾いてしまいがち

であること、つまり、集団が「変わる」ことの困難さについても指摘しています。



こうした指摘を受けて思い出されるのは、元東京オリンピック組織委員長であった森喜朗氏が女性蔑視発言をして辞任したことではないでしょうか。

森氏が辞任したこと自体は大きな「変化」であったと思いますが、森氏を辞任へと導いたのはその「集団」に属していない世論の力でした。

氏が実際に女性蔑視発言をした(集団の)場では、その発言は容認ないし許容され(その発言に笑いが起こったという点および指摘する者はいなかった点からその場では容認・許容されてしまったと言えるように考えます)、それだけではなく「集団」に属している人たちの中には氏をかばう人までいました。

このことは集団の同調意識の強さと「集団」が「変化」することの困難さを示しているように私には思えます。



私たちは誰もが「バイアス」を持って生きており、それは脳の仕組みでもあるとすると、「バイアス」に自覚的にならないと(なったとしても)「変化」を起こすことはかなり困難なことのように思えてしまいます。

加えて、私たちは誰もが何かしらの「集団」に属して生きているため、同調意識に支配され(される機会が多くあり)、「バイアス」を無自覚のうちに強化して生きていくものなのかもしれません。

しかし、それでも公平な社会を実現していく必要があることに変わりはありません(仕方ないでは済まないということです)。

個々が「バイアス」を自覚して改善していく必要があるのですが、このことについてはそもそも「バイアス」を自覚しなくて済む人たちとはどんな人たちなのかということを考えてみたいと思います。



「バイアス」を自覚しなくて済む人たち

「バイアス」を自覚しなくても済む人たちとはどんな人たちなのか。

結論から言えば、それは自身の「バイアス」について指摘されない人たちのことであり、その多くはこの社会で権力・権威・地位を持った人たちであると言えるように思います。

彼らは自身に「バイアス」があろうとなかろうと、社会的に成功を収めているがゆえに、「バイアス」を指摘される機会が少なく、かつ、指摘に耳を貸さなくても生活をしていくことができるという立場にあります。

一方で、力のない人たちは「力がない理由」を指摘されやすく、その指摘の中身も自身の「努力不足」や「考え方の問題」(≒「バイアス」)とされるケースが多いのではないかと思われます。

しかもそれは社会的に力のある人たちによって指摘されるという構造となっていることでしょう。

仮にその指摘によって、力のない人たちが力を持った場合(成功をした場合)には、その「力のある人の指摘」は「バイアス」ではなく「成功へのノウハウ」となり、その人の社会的な力をより強固なものとするといったスパイラルさえこの社会には存在していそうです。

こうしたスパイラルが成り立つ限り、力のある人たちは自身に「バイアス」があることなど考える必要がありません(あるいは極端に少なくて済むと言えるでしょう)。

それどころか、自身の力を維持したり広めたりすることに力を注ぐようになるため、「バイアス」を無意識に強化していく可能性の方が高いと言った方がいいかもしれません。

 

同著では、力を持った時に人はどのようになっていくかについて興味深い指摘をしています。

私たちは自分に力があると感じると、危険への関心が減り、報酬への関心が高まるようだ。また、他者を思いやる気持ちが乏しくなり、より利己的になる。そして、なぜ自分が今の地位にあるのかを忘れ、それを自力で獲得したと考えてしまう。

もちろん、この指摘に当てはまらない人も多くいることと思いますが、この指摘を目にしたときに私が思い出したのは、ある住民の方(Aさんとします)と政治について会話をしていたときのことでした。

Aさんから遠からずの関係であった方(Bさんとします)が社会的な力(権力・権威)を手にしたという話がその時にされたのですが、Aさんは、社会的な力を手にしたあとBさんが保守的な方向に変化していく様を見たと言います。

Aさんはそのことを「(権力を示す)バッジが邪魔をするんだ」と表現されていました。

Aさんにも「バイアス」があるため、Bさんに対する評価・表現はAさんの「バイアス」ゆえのものかもしれません。

しかし、Aさんの「バイアス」とだけで説明を終えるべきことではないように思いますし、Bさんが何かしら変わったこと自体はおそらく事実なのではないだろうかと私は思います。

 

これは自身の身近な経験を考えてみても想像ができるかと思います。

つまり私たちは一度何かしらの力を手にすると、その手に入れた力を「手放す」ということに抵抗を覚えるものであり「保守的になる」といったことがあるように思います。

その力が社会的な力であればなおのことです。

さらに考えられるのは、その「力」を欲したり恩恵に預かりたいと思ったりする人たちが周囲に集まるということが起こることです。

そうするとその考え方こそ「正しい」という「バイアス」が強化され、当然そこに「バイアス」に関する指摘はありません。

こうして、手にした力を守ることに力が向き、「バイアス」が強化されていき、「バイアス」を自覚しなくて済む人たちが生まれていくと考えることができそうです。

「そんなの当然で、人間の弱さ(やバイアス・心理)なのだから仕方ないだろう」と言われて、議論を終わらせられそうな気がしますが(だから変わらないということもありそう)、ここでは「弱さ」「バイアス」という個人・集団の「心理」的な問題とだけ捉えて、「仕方ない」こととして終えるのではなく、「バイアス」を自覚しないで済む人たちが「力を手放せなくなる」のはなぜなのかということを、もう少し考えてみたいと思います。



能力主義と自己責任論が横行する社会

なぜ人は力を手放すことができないのでしょうか。

個々人の「バイアス」や集団にそれが働くこと、人間の「弱さ」といったことがこのことに影響していることは間違いなさそうですが、ここには社会に蔓延している能力主義と自己責任論が大きく影響しているのではないだろうかと私は考えています。



『差別はたいてい悪意のない人がする 見えない排除に気づくための10章』によると、能力主義とは

才能と努力によって人はだれでも成功できるという信念

のことを指します。

 

 

今の(日本)社会は、自身の才能と努力次第で誰もが成功できる・活躍できるという前提で成り立っており、様々な場面でそうしたエピソードが語られているように思います。

たとえば「逆境を乗り越えて成功した○○のストーリー」などがそれに当たり、これもまたオリンピックの話で恐縮ですが、白血病と診断され闘病生活を送っていた水泳の池江選手がオリンピックの舞台に帰ってきたことは連日ニュースとなりました。

本当にすごいことだと思いますし、多くの人が驚き、希望をもらったことは確かでしょう。

ニュースにされることもよくわかりますし、私自身(病気から回復されて活躍できている)池江選手のそのニュースは嬉しいニュースでもありました。

しかし、当然のことながら誰もが池江選手のようになれるわけではありません。

それは言うまでもなく、「努力」が足りないからではありませんよね。

それでも池江選手のエピソードを扱う際には、池江選手のようにはなれない人がたくさんいるという現実は伝えられません。

そうした人たちに「希望」という名を使って「努力」を強いてしまわないようにということも当然ながら積極的に語られません。

視聴率が求められるニュース(視聴者目線を含め)ではそのように扱えないということに過ぎない話かもしれませんが、このことは私たちが(社会として)能力主義の中で生きることを許容・歓迎している象徴でもあるかのように私には映りました。



誰もが飛びぬけた「才能」を持っているわけではありませんし、「努力」によって必ずしも「成功」できるわけではない。

つまり「能力主義は万能ではない」と私たちは理解しているはずなのですが、なぜか能力主義を社会として許容・歓迎している…この矛盾が起こっているのはなぜなのでしょうか。

このことはおそらく、これまでの封建主義・身分制度があった時代の不平等が関わっているのだろうと理解しています。

生まれた瞬間に将来(の身分・職業)が決まってしまう時代がかつてはあり、それはあまりに不平等であるために、「能力」や「努力」に応じて「成功」できる社会にしていったのだろうと考えます。

しかし、能力主義は不平等を解消できていないと考えるべきでしょうし、能力主義を許容する社会は自己責任論を横行させるということにもっと注目する必要があるのではないかと私は考えます。

同著では、このように指摘します。

努力と才能さえあれば、だれであれ高い地位に上ることが可能だと信じるなら、現に社会的地位が低いのは、最善を尽くさなかった結果であり、自己責任であると受けとれる。

 

こうした能力主義によれば、階層が存在すること、つまり不平等な構造自体には問題がない。むしろ、競争に注いだ努力に報いるためには、格差をつけて待遇するほうが公正な社会なのである。

 

また、『実力も運のうち 能力主義は正義か?』の著者であるサンデル氏は、

能力主義の理想は(略)不平等の正当化なのだ

と指摘しています。※この本についてはこちらの動画を参照しました。

https://youtu.be/N-HrFRnATTE

 



能力主義を前提にするのであれば、この社会で権力・権威を持つ、いわゆる成功している人が成功できたのは「自身の才能と努力のおかげ」であるとすることができます。

これは「希望」を与えるかもしれません。

しかし、この文脈からいくと「成功していない人」は「自身の才能と努力が足りなかった結果」と捉えられることになります。

その捉えられ方は「成功しなかった人」は本人の「努力不足」なのだから「仕方がない」と切り捨てられることをも許容してしまいます。

「失敗」もまた「自己責任」だからです。



また「努力」と「才能」によって成功する人としない人とが分かれ、それが「自己責任」の結果とされるならば、そこに格差が生じること、つまり不平等な社会ができること自体はなんらおかしくないこととなります。

成功者は自身の「正しさ」や優越感を感じられるため、その社会に心地よさすら感じてしまうかもしれません(サンデル氏の言う「不平等の正当化」ですね)。

こうした仕組み・構造の中で生きている限り、私たちは「自身の努力によって得た力」を手放すことは選択しないでしょう。

そもそも「自身の努力」で成功を得たので「変わる」必要性を感じることもないでしょうし、不平等が正当化される社会は「成功」した場合には自身は「変わらなくてもよい」という担保を与えるようなものだとも言えるように思われます。

力を得たのは自分のおかげ。その力を失うのもまた自己責任。

それでは保守へ進んでいくのも、結果自身の「正しさ」を疑い「変わらない・変われない」ということもうなづけてしまう気がします(肯定・正当化の意味では決してありません)。

こうした社会の仕組み・構造が力を手放せないこと、ひいては、「変わらない・変われない」ことを強化しているのではないかと私は考えます。

 

気づきにくい特権と歪んだ平等の考え方

上に挙げた「不平等の正当化」という文脈から、もう少し「変わらない・変われない」理由について考えてみたいと思います。

まずはじめにTwitterで批判が殺到したある方の投稿を引用したいと思います。

その投稿というのは以下となります。

「多様性というのはしんどい、厳しい、それでもやるか?」これが真実で、本来万人に問いかけられるべき内容で、それでも進もうと決まれば進めば良いと思うが…「多様性というのは優しい、素晴らしい、勿論やるよね?」これが主流になっている時点で何かが狂ってると気づかなアカンのよ

AkiraMIYANAGA、2021年11月26日

 

みなさんはこの投稿をどのように考えるでしょうか。

この投稿から伺えるのは、少なくともこの投稿をされた方は「多様性」というものを普段「考えなくて済んでいる」立場にいるのだろうということと私は考えます。

ご自身が「多様性」を周りに「考えさせる」立場にいて「しんどさを周りに感じさせている」という目線から発信している可能性も0ではありませんが、「多様性」を「考えてあげないといけないしんどいもの」という目線で語っていると捉える方が自然と思います。

これはある意味で「不平等の正当化」のひとつの例ではないかと私は考えるのですがいかがでしょうか。



この社会はマジョリティ仕様でできています。

二足歩行者が前提で町は作られており、異性愛者が前提で会話がなされています。

でも歩行困難者も同性愛者も社会には当たり前にいますよね。

このように「多様性」というのは本来すでにそうなっているものです。

それにもかかわらず、「多様性」が「しんどい」と言うことができるのは、「多様性」について「考えないでいられる」人たち(=マジョリティ)がいるということを表しており、その「考えないでいられる」人たちが「考えないでいること」を正当化していることになると考えます。

上記の投稿を「不平等の正当化」の例ではないかと私が捉えたのはこのような理由からです。

「考えないでいられる」マジョリティ側の人たちが、「不平等を正当化」し続ける限り―そのことに無自覚でいる限り―この不平等な社会は「変わらない・変われない」のではないだろうかと私は考えます。



このことについては「マジョリティ特権」という概念で考えることができます。

「マジョリティ特権」についてはこれまでもこのブログで書いたことがあったかと思うので説明は最低限にさせていただきますが、「マジョリティ」というのは「多数派」のことを示し、これは「数の多さ」に限定されるものではなく「より多くの力(権力)を持っている」ということを指しています。

また「特権」とは

「与えられた社会的条件が自分にとって有利であったために得られた、あらゆる恩恵」

(『差別はたいてい悪意のない人がする 見えない排除に気づくための10章』より)

のことを指します。

 

つまり「マジョリティ特権」とは「力を持つ側・多数派が、そうであったがために得られるあらゆる恩恵」のこととなります。

この「マジョリティ特権」で大切なところは、上智大学の出口真紀子氏が指摘するように「努力をしたから得られる優位性ではない」というところにあり、「労なくして得られている」がゆえに「特権は、持っていることに気づかないという構造がある」というところにあると考えられます。



灯台下暗し」という言葉がありますが、マジョリティ仕様の社会では、マジョリティ仕様であるがゆえに「特権」はマジョリティにとって「ふつう」のこととして成り立っています。

もしこの世界が耳の聞こえない人の方が多い社会であったら(そういう人たちの方が力があるならば)、耳が聞こえない人が前提で社会が成立していたはずです。

もしかしたら、私たちが当たり前に耳にしている音楽や声は、耳が聞こえない人が前提の社会ではほとんど価値を持たなかったかもしれません。

防災無線などは音声案内が当たり前となっていますが、それは耳が聞こえる人の方が多く、そして力を持っているからに過ぎないと考えられます。

耳が聞こえない人の方が多く、かつ、力があれば、音声案内では成立しないことは早々に指摘されているはずであり(そもそもその発想が出ない・力を持たないなど)違う方法が採用されているでしょう。

そしてそれこそが「ふつう」になっていたでしょう。

そう考えると、「耳が聞こえる」私たちは「たまたま耳が聞こえる」に過ぎないのですが(労なくして得られている)「耳が聞こえる」というマジョリティ性を持っているのは、マジョリティ仕様となっているこの社会において(安心して暮らせることを含め)「特権」を持っているということと理解できます。

しかし残念ながら、私たちは普段このように考え理解する機会を滅多に持ちませんし、気づく機会もありません。

なぜなら、そうした機会を持たなくても「ふつう」に暮らしていけるためです。

そのことがそもそも「特権」なのですが、マジョリティ特権が「特権」であるということに気が付きにくいことはご理解いただけたかと思います。



繰り返しになりますが、マジョリティ側がこの「気づきにくさ」を認識し、そのことに目を向けない限り(残念ながら)「変化」は起こりにくいでしょう。

力を持っている方が変わらなければ、変化は難しい(遅い)に決まっています。

ここで厄介なのは「気づかないでいられるマジョリティ」は「平等」を歪んで捉えている可能性がある点です。

変わらないどころか逆行する可能性(現実)について冒頭に書きましたが、それはこの点にあるように考えます。

『差別はたいてい悪意のない人がする 見えない排除に気づくための10章』では、そのことを次のように指摘しています。

すでに特権を持った側の人間にとっては、社会が平等になることが損失として認識される

「特権」を持ったマジョリティ側は、現在自分が「ふつう」に暮らせているので、この「ふつう」の暮らしは「秩序」であると考えます。

このことは意識的に差別をしたり「平等」を望まないという人はめったにいないので、自分たちの「秩序」はもうすでに「平等」となっているのだという認識に陥りやすくなることを表します。

つまり、現在がもし仮に「平等」ではないとされるならば、「平等」にするためには自分たちの「秩序」を壊さなければならない、自分たちの「力」を「手放」さないといけないのではと考えるのです。

このことについて、同著ではこのように指摘します。

平等をゼロサム・ゲームとして認識するなら、相手が得るメリットはすなわち自分の損失だと考えられる。

 

また、

平等を総量が一定の権利の配分をめぐる競争だと考えると、だれかの平等が自分の不平等につながるように感じられてしまう。ほんとうは、相手にとって社会が平等になれば、自分にとっても平等になると考えるのが論理的な考え方のはずなのに。

 

これらの指摘にあるように、「平等」というのは本来「みんなにとって」のものです。

しかし、マジョリティ側は自身の「特権」に「気づかない」がために、さらには能力主義の社会に生きているがために、「平等」はすでに実現している、とか、「平等」も「勝ち取る対象」であるなどと認識してしまう可能性があります。

これは「平等」は「得られる人とそうでない人がいる」という矛盾した考え方なのですが、それは「不平等の正当化」によって「見えなくする」ことがマジョリティ側にはできてしまいます。

こうしたことが「変わらない・変われない」という現状に大きく作用しているのではないだろうかと私は考えています。

 

それでも、公正な社会を実現していくために…

個人や集団の「バイアス」という視点、また、社会に蔓延る能力主義やマジョリティ特権という理解の欠如から、「変わらない・変われない」現実があるのではないだろうかということを書いてきました。

こうした中でー言ってしまえば大きな困難を前にー公正な社会を実現していくために私たちはどうしたらいいのでしょうか。

それがわかれば苦労はないのでしょうけど…公正な社会への実現のために考えていることについて(心もとないのですが…)いくつか書いてみたいと思います。



平等でないことの懸念

まずはじめに「平等」についてもう少し考えてみたいと思います。

先に書いたように「平等」はゼロサムゲームではなく、「みんなのもの」です。

「平等」な社会とは“みんなにとって“「平等」な社会のことであり、「平等」な社会の実現というのは“そのこと”を目指すということになります。

言い換えれば、「平等」な社会というのは「私やあなたがどのような属性・立場であったとしても平等に扱われる」社会ということです。



私たちは生まれてから死を迎えるまでに、多くの経験を重ねます。

その経験の中にはできれば経験したくないものもあり、たとえば病気や災害、失業や失恋、暴力や大切な人との死別などが挙げられることでしょう。

それらの経験は(リスクを下げることは多少できるかもしれませんが)たいていは自分で経験するかしないかを選べない経験であり、「思いがけず」経験するものです。

良好な精神状態というマジョリティ側にいた自分が、ある日突然「思いがけず」精神疾患に罹患することもあります。

健常者というマジョリティ側にいた自分が、「思いがけず」事故に遭い障害者となることもあります。

その時にもしみんなにとっての「平等」ではなく、マジョリティにとっての「平等」な社会だったらどうでしょうか。

自己責任論がまかり通るため、「不運だったね」と切り捨てられることもあり得てしまいかねません。

精神疾患になっているので働き方に配慮してほしい」とか、「障害を負って歩行が困難なのでリモートで働く機会を増やしてほしい」とか、そういうことは「特別扱いだ」と言われてしまい、「逆」に「不平等」「不公平」だと言われたりしてしまうかもしれません。

そういうことを社会が許容してしまっているということになりますが、それでいいのでしょうか。



以前、私はロービジョンの方からお話を伺う機会がありました。

その時にその方がおっしゃっていて印象に残っているのが、

「見えなくなったら人生終わり」/「なんて思わなくていい」という言葉でした。

「見えなくなったら人生終わり」という考えがあることについて話されており、「なんて思わなくていい」の間(/の部分)にはまだ溝がある、つまり“正しく知れば”「そう思わなくてもいい」というように話がされていたのです。

上記した精神疾患や事故の例はある種「災難」という側面が確かにあるのかもしれず、自分事として考えにくいところがもしかしたらあるかもしれません。

しかし、私たちはみな平等に歳を取っていずれ弱る存在であり、当然、視力も弱くなっていきます。

ちなみに、高齢者のうちの7割近くがロービジョンである可能性があることもその方は指摘されていました。

「見えなくなったら人生終わり」や溝(/の部分)は、誰もが経験している(していく)であろうことを放置しているがゆえにある考え方と言えるでしょう。今がまだまだ「不平等」(偏った「平等」)な社会であることを表していると考えられます。

みんなにとって「平等」な社会であれば、溝(/の部分)は限りなく埋まり、「そう思わなくてもいい」ことが「ふつう」となります。

それが「ふつう」という社会は、「人生100年時代」と言われる中でより多くの人が安心して生きていくことができる社会であると言えないでしょうか。



少し回りくどくなってしまいましたが、ここで私が言いたいのは私たちの立場というのは思っている以上に不安定であり、今の立場はいつ失われるか、逆転するかはわからないということ、つまり、偏った・歪んだ「平等」で恩恵に預かっていられるのは限定的であるということです。

私たちはコロナ禍を経験したことで、このことを深く理解したように思うのは私だけでしょうか。

コロナ前は外に出て人とコミュニケーションを積極的に取れる人や、多くの人を集められる人・空間こそが、社会的に「成功」していて「推奨」されていました。

しかし、コロナ禍においては外に出ないでいられる人や人と積極的にコミュニケーションを取らなくても健康でいられる人、小さな集まりが想定された空間などが注目されるようになり、見直されることになりました。

エッセンシャルワーカーという言葉もコロナ前には注目されなかったのに、コロナを経て一気に注目を集めました。

それらの価値が現実として反映されるようになるまでにはまだ時間がかかってしまう(それこそマジョリティ側が変わらないと反映されないのかもしれませんが…)、あるいは、コロナ前に戻ってしまう一時的なものであったのかもしれませんが、それでも、私たちの立場の不安定さ・危うさは誰もが実感したのではないかと思います。



映像の世紀』のシリーズで(何話か忘れてしまいました…)ナチスユダヤ人迫害の歴史に関する話では、ドイツ人と交際をする女性たちについて描かれる場面がありました。

ドイツが力を行使できている時にドイツ人と交際をする女性たちが増え、彼女らは「安定」した立場を確保することができていたのですが、ドイツが敗戦したあと、その女性たちは髪を刈られるなどといったひどい扱いを受けてしまいました。

文字通り、立場や状況があっという間に一変したのです。

これは戦争といった特殊な例ですが、本当に残念なことに戦争すら今の社会では起こりうることとなってしまっています。

当然、戦争など絶対に起こしてはいけませんし、コロナ禍であった変化のどちらか一方を完全に「善」「悪」などとすることも注意せねばなりませんが、私たちは事故や老化という個人に起こるレベルではないところでも、いとも簡単に、そして「思いがけず」立場の逆転(喪失)を経験しうる存在なのです。

そうであるならば、「思いがけない」ことが起こったときにも「平等」を享受できる社会の方が安心して暮らせると考えられますが、いかがでしょうか。



「不平等」を正当化するということは、一部の人が「不平等」を感じていても仕方ないとするということであり、これは社会全体の「平等」に対する考え方をそもそもゆがめることにつながります。

「一部の人が不平等であることには正当な理由がある」とすることは、自分がいつその「一部の人とされるかわからない」というリスクを積極的に引き受け(力を持ったものによっていくらでも理由は作られてしまうため)、そうなったときに「不平等な扱いをされてもよし」と考えているということになります。

果たして、本当にそれでいいのでしょうか。

「平等」について考える時、「平等」ではない社会を許容するとはどういうことかを考える必要があると思います。



能力主義を疑い、共存する方法を探る

では、実際に「平等(公正)」な社会にしていくためには、どうしたらいいのでしょうか。

繰り返しますが、それがわかれば苦労はありません。

ここで私が挙げられるのは、「変わらない・変われない」理由として挙げた能力主義とマジョリティ特権のあたりにヒントがあるのではないかということです。

素人なりの考えをまとめてみたいと思います。



まず能力主義についてですが、私たちはそもそも能力主義から完全に離れることは難しいだろうと考えていることを予め共有しておきたいと思います。

能力のある人に政治家になってもらいたいですし、能力のある人に教育の場にいてもらいたいというのはその通りであり、ある程度は能力を持つ人たちが社会で活躍するということからは逃れられないのだろうと思っています。

そのことを前提においた上で、大事なことは能力(力)第一主義を疑うことであり、能力の多様性に注目して共存していくということではないだろうかと考えます。



能力第一主義を疑うということについては『未来をはじめる「人と一緒にいること」の政治学』に興味深い話があるため、引用したいと思います。

 

 

著書の宇野重喜氏がアメリカの哲学者であるジョン・ロールズの考え方を説明するにあたり、元プロ野球選手で大成功を果たしたイチロー選手について話された部分となります。

イチロー選手が)野球で儲けることができる現代社会に生まれたというのも、ある意味で運と言えるかもしれません。たまたま生きた社会が、野球の才能を認めてくれる社会だった。(略)彼の成功がすべて彼の力によるとは言えない。

 

私は野球少年でしたので、イチロー選手がどれだけすごい選手であるかということ、そして誰もがイチロー選手のようになれるわけではないということをよく理解しているつもりです。

しかし、才能と努力以外でイチロー選手について語られることはこれまでなかったように思いますし、ましてや宇野氏が説明されたような考え方は全くと言っていいほど大人たちから教わることはありませんでした。

子どもたちから夢を奪ってはいけないという理由からだったかもしれませんが、私はこの考え方をきちんと学んでいたかったと今になって思います。



もう少しこの考え方を深堀りするために、同じ野球つながりで、昨シーズン大偉業を成し遂げた大谷翔平選手について考えてみたいと思います。

大谷選手の偉業については語るまでもありませんが、メジャーリーグの舞台で投手と野手の二刀流をこなし、超一流の成績を残したうえに数々の賞を総なめしました。

そうした「成功」だけでなく、メジャーリーグのルールを変えてしまうといった異例のことも実現させ、多くの人たちを魅了しました。

そんな大谷選手ですが、こうした偉業・成功は大谷選手の才能と努力だけで実現したものなのでしょうか。



私の知る範囲となってしまいますが、大谷選手はこれまでに何度もケガに見舞われています。そのたびに試合を欠場し、手術をし、リハビリをするといった生活を送っていました。

リハビリ生活においては徹底した管理がされていたと言います。

また、練習においても身体の負担を減らすために最新機器が使用され、データ等を駆使して、大谷選手が最高のパフォーマンスができるようにといった環境が整えられています。

他にも、先ほど触れたメジャーリーグで先に活躍していたイチロー選手へ相談をしアドバイスをもらったこともあれば、大谷選手の所属チームで監督を務めたマッドン監督が大谷選手の気持ちを最大限に尊重した起用方針を示し続けたということもありました。

私の知る範囲だけでも大谷選手の成功の裏には、これだけ多くの「巡り合わせ」があるということが挙げられます。

これらは大谷選手の才能と努力で得られたものなのでしょうか。



もちろん、大谷選手にずば抜けた才能・将来性(身体能力等)があったことも、苦しい練習(効率的な練習を含む)や管理に耐えられる力(努力)があったことも、愛される人柄である(磨いてきた)ことも決して否定しません。

それらがなければこれだけのことが動かなかったということも間違いないだろうと思っています。

しかし、もし、大谷選手の生まれ育った家庭が貧困などの環境であったとしたらどうだったでしょうか。

栄養が足りなかったり、勉強や運動を自由にする時間がなかったりしたら、彼の将来性は野球というスポーツで見出されていたでしょうか。

もし、大谷選手が幼いときにトラウマとなる出来事を経験し、安心して練習ができる精神状態でいられなかったとしたらどうだったでしょうか。

もし、戦争や気候危機などによって練習することもままならなかったら、大谷選手の成し遂げた偉業はあったでしょうか。

こうしたことだけではなく、宇野氏がジョン・ロールズの説明で言われていた理論で考えてみると、もし野球というスポーツが社会的に価値のないものとされていたら、あるいは、そういった時代に大谷選手が生まれていたら、どうだったかと考えることもできます。

このように考えていくと、おそらく、と言いますか、間違いなく、昨年の大谷選手の偉業・成功はなかったことでしょう。

大谷選手の偉業・成功にはかなりの「運」が関係していると考えることができると思います。



「努力している彼に失礼だ」とか「そんなことはただの妄想であり極端な話だ」とかと言われてしまうかもしれませんが(言いたくなる気持ちもわかります)、才能も体型も人との縁も、時代も家庭環境も経験する出来事も生まれてくる時代も世の情勢も…すべて偶然に大きく左右されているものではないでしょうか。

言い換えれば、どれも自分で選び、思い通りにできるものではないということです。

2030年までに脱炭素社会にしないといけないと言われていますが、大谷選手が2050年に生まれていたら、夏も冬も外で野球ができない環境となってしまっていたかもしれません(シャレにならない話です)。

今起こっている戦争が世界を巻き込むものとなってしまったら(考えたくもないくらい恐ろしいことです…)野球どころではない時代がきてしまうかもしれません。

未来を見れば、第二の大谷選手や大谷選手を越えるかもしれない逸材が生まれる可能性がありますが、彼らは芽の段階で閉ざされてしまうということもあり得ます。

これは過去を遡ればすでに「あったかもしれない」ことでもあると考えられるでしょう。

成功・偉業は「偶然」、つまり「運」に大きく左右されている。

このことにもっと私たちは目を向ける必要があると考えます。



この章の冒頭に書いたように、私たちはある程度能力主義からは逃れられないでしょう。能力主義が求められている部分があることも確かです。

「努力をすれば誰もが成功できる」という信念は、ある種「夢」のあることであり、たとえば、ジェンダーギャップ指数の低い日本において「女性でも」努力すれば報われるといったことが問題解決のカギと思えてしまう側面すらあります。

https://youtu.be/iugjCPB3oz4参照

しかし、能力「第一」主義は「不平等」な構造だけでなく、この「偶然性」や「運」を隠します。

成功に才能や努力があったことは否定できませんが、「偶然性」や「運」が大きく関与していることもまた否定できないはずなのです。

まずはそのことを理解することが重要となるでしょう。

そのことが理解できれば、サンデル氏も言うように成功者は「謙虚になること」ができます。

謙虚になるということは、自身の得た力ないし「特権」を自覚し、周りに分配・還元できるようになるということにつながる(可能性を高める)と私は考えます。

それは公正な社会にしていくために重要な動きです。

そして、成功してないという現象もまた「偶然」「運」によって成功していないと考えられるため、そのことはその人にすべての責任があるわけではないという理解を促します。

それは自己責任論からの脱却へつながるように思います。



「それでは怠惰のままの人が出てくるじゃないか」と言われてしまうかと思いますが、これについては「時代」を考えるべきではないかと私は考えています。

おそらくこれまでの時代では、人々が「怠惰」でいては世の中が回らなかったということが確かにあったのだろうと思います。

コロナ禍で経済活動がストップしてしまうということを私たちは経験しており、今もその面はもちろんあって非常に厳しい状況に立たされているわけですが、AI導入が進み人口減少が進み、SDGs的なことが必要とされる「時代」となっており、そうした「時代」においてはエッセンシャルワーカー以外の仕事は極力、「人の手がなくても」人が豊かに生きていくための方策・システムを考えねばならないのではないかと思われます。

また「余暇の過ごし方」と言われるようになって久しいですが、これまでのような経済成長右肩上がりから、私たちの暮らし方が見直される必要性は言われており(これも久しいですがなかなか変わらない…)「暇」な時間をどう豊かに過ごすか、人間らしく過ごすかが問われているはずです。

「怠惰」が歓迎されているとまでは言いませんが、いかに人間の活動をなだらかなものにしていくかが今後求められていくことはおそらく間違いないと思われ、先の指摘は「時代」から見ると本筋からはずれが生じるように考えます。



また、人々が「怠惰」になる理由とは何かを考えてみると、私はマッチングがうまくいっていないということが挙げられるのではないかと考えています。

つまりその人が活躍できる場・環境とのミスマッチです。

これは能力の多様性に注目する必要があるという話とつながります。



私たちは様々な能力を有しています。コミュニケーション能力とか、論理的思考能力とか、文章力とか、表現力とか…様々な「能力」がありますよね。

個人的にはそれらの多くは数値化が難しいものなので、そもそも適切な評価などされるものなのだろうか…という疑問を抱いていますが、様々な能力で構成されているのが私たちであり、社会や時代によってその能力に「優劣」がつけられているというのは、大谷選手の例でもお分かりかと思います。

この「優劣」が見直され、多様な能力を有している存在であり、どれも同等の価値があるものとされる必要があるのではないかと私は考えています。

さらに言えば「○○力」などと言われない能力(たとえば、優しいとか、慎重さがあるとか、一緒にいるとなんとなく落ち着くとか)を私たちは多く有していますよね。

人を傷つけたり法に触れたり人道に反したりするもの以外のこれらの力の価値も見直されるべきではないだろうかと考えます。



こうしたことが見直されるために(非現実的かもしれませんが…)社会システムとして、きちんとそれらに報酬が発生するようにならないだろうかと思うのです。ひとつの能力や能力そのものにとらわれないシステム(評価・報酬の発生に関するシステム)が導入されるということです。

Youtuberが職業として当たり前となりましたが、ひとりひとりの持つ多様な力ーそしてそれは取るに足らないと今はまだ思われているものも多いーが誰かにフィットする(マッチングする)ことというのは多くあります。

それだけで生活ができるという時代はまだまだ先(あるいは来るかどうかわかりませんが)かもしれませんので、ベーシックインカム累進課税制の導入などとセットで、こうした風潮・評価システムが作られていくことが望ましいかもしれません。

こうした社会は完全に能力主義を脱したわけではありませんが、能力第一主義が疑われ、能力の多様性が社会的にも評価されていくことになったとき、「平等」への視点が少なくとも今よりは歪んだものとならずに、目指されていくことになるのではないだろうかと(素人ながら)私は考えます。



マジョリティ特権に気づく機会を 

続いて、マジョリティ特権について考えてみたいと思いますが、これはマジョリティ特権に気づく視点・機会を持つ(ような教育・研修が導入される)ことが必要ということに尽きるように思っています。

多くの人がマジョリティ特権を自覚することは公正な社会にしていくために重要なことであり、同時に、ひとりひとりが安心して生きていくためにも重要なことなのではないかと私は考えています。



「特権」と言われるとどうも抵抗・反発・拒否を示す人が多いようですが、私はこの「特権」という概念はひとりひとりにとって生きやすくなる概念ではないだろうかと考えています。

というのは、マジョリティ特権を考える際には「社会モデル」と言われる視点を持たざるを得なくなるためです。

 

これは障害に関して用いられてきた言葉であるようなのですが、ある方の障害について考える時に、その人の障害を「個」の問題として考えるのを「医学モデル」と言い、「社会」に問題があるとして考えるのを「社会モデル」と言います。

たとえば、歩行が困難になった方がいた時に、「医学モデル」はその人の歩行の困難さが自身の足の動かなさ(たとえばです)にあると考え、そこに焦点を当てて(これもたとえばですが)リハビリをするというアプローチを取ります。

一方、「社会モデル」で捉えると、歩行が困難であっても暮らしていけない社会の側に焦点を当てて、たとえばエレベーターをきちんと整備するということや、車いすでも安全に通行できる道路の幅にするよう動くといったアプローチが取られることになります。

どちらも大事な視点ではありますが…もうお気づきの方も多いかと思いますが「医学モデル」は自己責任論と近くないでしょうか?

すごくざっくりと言ってしまえば、個人で努力をして自身の障がいを乗り越えていき社会に適応していくようにする(少し乱暴な言い方ですが)のが「医学モデル」です。

この考え方を否定するつもりはありませんが、これまで書いてきたように、この考え方には限界があります。

限界があるにもかかわらず、なお強いられてしまったり、周囲から「がんばれ」と言われる可能性すらあります。

それは強者以外にとっては大変苦しいものとなると考えます。

 

一方で、「社会モデル」だとどうでしょうか。

先ほどの例で、あなたが歩行困難者になったときに、「医学モデル」的にがんばってリハビリすることもいいと思いますが(ある程度は必要でしょう)、社会が歩行困難者にとって理解がある社会であれば生きやすいのではないでしょうか。

そこに限界はありませんし(試行錯誤は続きますが)、同時に、理解ある社会になったとして誰かが特段に困る・苦しむということもありません。

「社会」というとわかりにくいので身近なことで単純化して見てみれば、あなたが子どもの時に歩行困難者になっていたとして、学校にエレベーターが設置されることになったら、誰かが苦しんでいたでしょうか。

あなたが会社員の時に歩行困難者になっていたとして、職場の通行スペースが車いすでも通れる広さになったら、誰かが苦しむのでしょうか。

むしろ、豊かな空間・生きやすさの恩恵を得られる人が増える可能性すらあるように思うのですがいかがでしょうか。

もちろん「予算はどうするんだ」という話や時間がかかるということもあると思います。そして、「エレベーターを使ってはいけない生徒からしたらずるいと思うじゃないか」「通路を広げたら職員のデスクスペースが狭くなってしまうじゃないか」といった話が出てくるのかなとは思うのですが、それこそがマジョリティ特権に無自覚でいるということになります。

なぜなら、マジョリティ特権というのは「社会」における優位性(力の傾き)を自覚するということだからです。

 

マジョリティ特権について考えるときは、必然的に「社会モデル」で考えるということになるため、マジョリティ特権に気づくことができる(その視点を持って考える)ということは、みんなにとって(社会にとって)の「平等」(公正)を考えるということになります。

みんなにとっての「平等」が考えられる人が増えれば、ひとりひとりが安心して暮らせることに近づきます。

そうしたことから、公正な社会にするためにはマジョリティ特権に関する教育がより多くのところで実践されていくことが重要なのではないだろうかと私は考えます。



できることは身近に「も」ある

能力主義を疑い共存することや、マジョリティ特権に気づくように訓練することはシステムとしてそのようにしていくことが重要と思います。

ただ、矛盾するようですがこのシステムを変えられたら多くのことを変えていけるのですよね。なぜならそれは意思決定の場が変わったということだからです。

その点ではこの記事を書くことになった「投票率」の問題や政治を変えていくということが最も重要な動きになるのかなと思うのですが、身近な部分でできることについても考えておきたいと思います。

無論、能力主義を疑い共存するように意識することや、マジョリティ特権に気づくための研修を受けるということなどはそれに当たりますが、もっと身近なレベルで考えてみるということを最後にまとめたいと思います。



能力主義を疑い共存することやマジョリティ特権に気づくということは、「自分と他人とでは違う人間であり属性が異なるため、見えている景色が違う」という当たり前のことを自覚するということと少し近いように私は考えています。

そこにある抑圧構造などに着目していくことがより重要になると思うのですが、まずはその当たり前を共有することからでもあるのかと思うのです。

そのためにできることはたくさんあるように思います。

たとえば、積極的に誰かと立場を逆転する経験(機会)が学校や職場などで導入されたり、ジェンダーバイアスをはじめ、様々な偏りに気づく経験(機会)を積み、なぜそれが生まれているのか、そしてそれがどのように是正されていくことがよいのかということを学んでいくことなどがあるように思います。

 

私は関東から東北に移り住んだものですが、関東から見る日本といわゆる地方から見る(東北からというのもまた重要でした)日本では全く違って見えるという経験をしました。

また、関東では内にいる人間でしたが、東北では「よそ者」という立場となり「外からの視点」ということの重要性(偏りを含む)も学ばせていただきました。

その経験は私にとって大変大きなものとなっています。

その経験がなければ、こうした記事を書くこともなかったかもしれないと思うとぞっとします。

もちろん、これは大掛かりなことなので容易なことではないのですが、立場を変えてみる、違う意見(外からの意見)を聞いてみるということ自体は簡単にできるはずです。

 

私の場合は普段相方と共にテーブルで食事をするのですが、座るイスを逆(相方のイスに私が座る)にしてみたり、普段お願いしてしまっている家事を私が意識的にするようにしてみたりといったことをしています。

それだけでも「あっ、こっちに座るとエアコンの風が当たりにくくて寒いかも」とか「自分はここが気になっていたのだけど、この家事をやってみるとここには手が届きにくいな」とか、そういう気づきがあるものです。

それでも気づかないことがあるということや、相手のことをそれで理解できた、立場を変えて見ることができるようになった!などと思うのは的外れなのですが、こうした取り組みを意識的にしてみる、会社や行政、企業などはそうしたことを仕組みとして導入してみるということは少しはよい方向に向かうのではないだろうかと思います(希望的観測を込めて…)。

たとえば、意思決定の場に普段立たない人に立ってもらう機会を作る。そもそも必ずその位置に多様な人を配置する体制づくりをする。

もっと小さなことで言えば、お茶出しを女性に無意識にさせてしまっているようであれば、普段そういうことをやらない男性社員にしてもらう機会を多く作るとか、性別と関係ないルーティン性にするとか、そういう取り組みはいくらでもできるだろうと思います。

会議などの話し合いの席には、利害関係のない第三者ー異質なよそものーに入ってもらい指摘をしてもらう、といったこともできるでしょう。

それらの体験から気づくことや、自身の特権についても気づくことについて話し合う機会を積極的に作ることは大事なことのように思います。

 

繰り返しますが、システムを変えることが重要ですし、こうした取り組みで「理解した」「偏りを解消できた(平等が実現した)」などと考えるのは短絡的すぎますし、そういう話ではないので注意しないといけません。

ですが、どこに自分の「特権」があったのか、どこに偏りがあるのかに気づく機会があまりに足りないのが今なのではないかと思うのです。

これは社会の偏り・抑圧・差別構造を矮小化する意味に聞こえてしまうかもしれませんが…右利き仕様になっている社会で左利きの生活を実際に試してみるということからでもいいのかもしれません。

こうしたことから、日常にある特権・優位性に積極的に気づこうとしてみるということが重要なのかもと感じています。

その積み重ねが、自らが気づかずにしているマイクロアグレッションに気づくことにもつながっていくようにも思います(マイクロアグレッションについての教育も無論必要ですが)。

これらは、子どもたちに「バイアス」を再生産していかないという取り組みにも(わずかながらかもしれませんが)つながるのではないでしょうか。

そういう取り組みを積極的にしていきたいものです。

 

ずいぶん長くなりました。

長くなりながら、全然まとまらず、また斬新な意見も解決策も見いだせず、、大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。

この記事の最後に、この記事で引用してきた著書の重要な部分(多すぎて載せられないのですが)を引用して終えたいと思います。

お読みいただき、ありがとうございます。公正な社会に向けて、できることをしていきたいです。

 

『なぜあなたは自分の「偏見」に気づけないのか 逃れられないバイアスとの「共存」のために』より

これまで慣れ親しんだふるまいを変えるのは容易ではない。(略)とりわけ無意識の信念体系を変えるのは一筋縄ではいかないが、人との交流がもたらす「鏡」を通して自分のふるまいをよく観察すれば、それを変えることができる。

 

その行事自体に、排他的な意味合いは露ほどもなかった。それでもかなりの数の社員が、疎外感を覚えていたのである。(略)一部の人のみ受容し、残りには疎外感をあたえるような活動を無意識に行ってはいないだろうか?

 

『差別はたいてい悪意のない人がする 目に見えない排除に気づくための10章』より

私はどこに立って、どんな風景を見ているのか。私が立っている地面は傾いているのか、それとも水平なのか。

もし傾いているなら、私の位置はどのあたりなのか。この風景全体を眺めるためには、世の中から一歩外に出てみなければならない。それができないのなら、この世界がどのように傾いているのかを知るために、私と違う位置に立っている人と話しあってみなければならない。

私たちの社会はほんとうに平等なのか。私はまだ、私たちの社会がユートピアに到達したとは思えない。私たちはまだ、差別の存在を否定するのではなく、もっと差別を発見しなければならない時代を生きているのだ。

ばぁちゃんの人生を思う

2022年になってもう二週間が経ちますね。

遅れてしまいましたが、旧年中はありがとうございました。

本年もちょこちょこ更新していきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。



「若者の投票率の話」の記事からシリーズ的な形でこれまで記事を書いてきて、次は「変わらない大人たち」のことについて書く予定でいましたが、その前に、年末年始に二年ぶりに帰省し、私の大好きな祖母に会うことができまして、以前からずっと書きたいと思っていた私の祖母のことについて書かせていただこうと思います。

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祖母のことは「ばぁちゃん」と呼んでいたため、ここでは「ばぁちゃん」として書きます。

ばぁちゃんとの思い出・ばぁちゃんから直接聞いた話とばぁちゃんの家族から聞いた話を通じて、私の大好きな「ばぁちゃん」について記したいと思います。

小学生が書く夏休みの日記的な部分が多いですが()、どうかご容赦ください。

 

 

 

ばぁちゃんとの思い出

私のばぁちゃんは群馬県の山奥にひとりで住んでいました。

私が幼いときから、たとえば夏休みになれば家族で山奥のばぁちゃんの家を訪ね、23日から長くて一週間くらい、ばぁちゃんの家でばぁちゃんと一緒に過ごしました。

ばぁちゃんの家は山奥にあるので冬は雪が積もります。

車で行くため冬に訪れることは難しかったのですが、その代わり夏は涼しくて、川は目の前にあるし家の周りは木々で覆われているし、自然豊か過ぎてとても気持ちがいいところで、避暑地的な感じで毎年夏にばぁちゃんの家に行けることは私にとってはいつも楽しみでした。

まあ、ただ正直言うと、昔ながらの家だったのでお手洗いがいわゆるぼっとんでして、、それだけはちょっと嫌だったかな…とは思います。

あっ、あと、ばぁちゃんはいつもお小遣いをくれたので子どものころはそれも楽しみだったところも正直ありました(打算的でごめんなさい)。



ばぁちゃんの家に行くと、ばぁちゃんの畑のちょっとした手伝いをしたり、うどんを「ぶつ」(足で踏んでこねたり、うどんを曳く機械があってそれを手伝ったり)作業をしたり、「たばこ屋」と言ういわゆる駄菓子屋さん的なところにばぁちゃんと一緒に行ってお菓子やアイスを買ってもらったり、お墓参りを一緒にしたりして過ごします。

夏に訪れていたので、ばぁちゃんの家のテレビでよく甲子園を見ていたなと、そんな記憶もあります。

すいかわりや花火をしたり、きれいな星空を見たり、肝試しみたいなことをしたり、贅沢な夏休みを過ごせる時間がばぁちゃんの家での時間でした。



幼いときの記憶は正直あまりありませんが、ばぁちゃんがたくさん私をかわいがってくれたことは肌感覚であります。

それこそ記憶にはないですが、ある日訪れたら家がリフォームされていて、その理由が「光太郎が家が怖いって言うから」と言われたことがありました。

ばぁちゃんの家は昔ながらの家のため天井が炭で真っ黒だったのですが、どうやらそれを幼い私が怖がっていたようです。

今思えばもったいないし申し訳ないと思いますが、それを私のために直してくれたという話を聞いたときは驚きました。

他にも、猫アレルギーの私のために、ばぁちゃんが大好きな猫(ペット)は天井裏にいてもらったりしたこともよくあったなと思い出します。

それでも目が腫れて大変になったこともありましたが笑。



他にも、私が大人になって「お小遣いはもういいよ」と言っても巧妙にお小遣いを渡してくるばぁちゃんとのやり取りがいつも楽しかったことを覚えています。

ある日、ばぁちゃんが「そのじゅうたんめくってみろ」と言うからなんだろうと思ってめくると、お小遣いが隠されてあったのです。

それが毎回のように続いたため、私はばぁちゃんに会うや否や「ばぁちゃん、今日はどこにお小遣い隠したんかい?もうお小遣いはいいから、通帳とハンコをくれよ」と冗談を言って対抗したりしていました笑。



一年に一度訪れるくらいでしたが、改めて書き出してみると書ききれないくらい、ばぁちゃんとの思い出があります。

 

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りんご畑で転んだついでにりんごをかじってるばぁちゃん(本当はモザイクなしにしたかったけど本人に許可取っていないのでとりあえずぼかします)

 

強くてかわいいばぁちゃん

思い出からわかる通り、ばぁちゃんはものすごく「やさしい」人(情にもろい人)なのですが、私はどちらかというと、ばぁちゃんのことを「強くてかわいい」人として見ていました。



ばぁちゃんは私が知る限りでは70歳過ぎ?くらいになるまで大きい病気をしたことがなくて、ずっっっと、ひとりで畑作業ーしかも畑はだいぶ広いーを黙々とこなしていました。

野菜が採れればいつも送ってよこしてくれてもいました。



「百姓」であるばぁちゃんはまさに「百の仕事」をこなす人で、思い出の中で「畑のちょっとした手伝い」をしていたと書きましたが、ばぁちゃんは「畑作業を手伝ってくれ」と言いながらも、素人の私たちの仕事ぶりを「へたくそ」と言って「こうやるんだよ」と文句たれながらほとんど手伝わせず、自分でやってしまいます笑。

年齢を重ねて膝を悪くしたり手を悪くしたりしても、いつも畑に行っていて野菜のできを見たり畑をいじったりしていました。

外に出るのがしんどくなってさえて「畑を見たい」と言っていたばぁちゃんが印象的で、その時は「そんなにこだわってどうするんだよ」と思っていましたが、ばぁちゃんにとって畑は自分が生きてきた証であり、プロとして生涯関わっていたいところだったのかな…なんて今になって思います。



「へたくそ」と言われると書いたように、ばぁちゃんは口が悪い(強い)人でもありました笑。

いつもは穏やかでやさしすぎるくらいやさしいのですが、譲れないことに対しては強い口調で「口撃」してきます。

ばぁちゃんの地域の言葉なのか、ばぁちゃんのオリジナルな言葉なのかは不明なままですが、悪いことをした人や嫌なことをする人に対しては「やくざ野郎め」と言って怒鳴ったり、「ばか」と言ったりすることはしょっちゅうでした笑。

個人的に最高におもしろかったのが、ばぁちゃんの娘=私の母は半身が若干不自由なのですが、あるとき、足を痛めて杖を使うようになったばぁちゃんがこんなことを私に言ったのです。

「光太郎、足がヤクザになってな(足を悪くした、痛めたの意味)。動けなくなって初めてわかるぞ。身体動かせねぇのがどんなにつらいか。母ちゃん(私の母)の気持ちがいてぇくらいわかる。大事にしてやってな。」

情にもろいばぁちゃんは、涙をボロボロ流しながら私にこう話してくれたのですが、その直後、そんなことを言っておきながら母のことを「くそがき」と言って、杖でどんっと軽く殴ったのです笑。

何か気にくわないことをしたのでしょうけど、それはないだろと笑ってしまいました(笑いごとじゃないけど)。

このこと以来、私はばぁちゃんに会うたびに「ねぇ、ばぁちゃん、涙流して「身体動かなくてかわいそうだ」って言っておきながら、その人のことを杖でぶん殴る人がこの辺にいるみたいなんだけど知らないかい?」と尋ねるようになりました笑。

ばぁちゃんはそれに対して「知らねぇなぁ。そんなやつがいるんかや?」ととぼけて笑いながら返してきます笑

私はばぁちゃんとのこういうやり取りが楽しくて仕方ありませんでした。



ちなみに、これまで書いてきた通り、ばぁちゃんの家は山奥にあるので虫がたくさん出ます。

特にアブがよく出るのですがーそれも私はちょっと嫌でしたがーばぁちゃんはアブくらいだったら平気で手でつぶしていました笑。

あと、さすがに熊が出ることは(多少)警戒していましたが、猿が出ると追い払ったりしているということもよく聞いていました。

さらにちなみに、ばぁちゃんは「天下取り」とも言われるますかけ線の手相を持っている人です笑。

医者によく「これはすごい線ですね」と驚いて言われるというエピソードを聞くのも定番で、そんなこんなで「ばぁちゃん最強説」が私の中で創られていき、ばぁちゃんは私にとってはやさしいけど「強い」人だったのです。



ただ、ばぁちゃんは「強い」だけでなく私にとっては「かわいい」人でもありました。

ばぁちゃんは演歌歌手の島倉千代子さんによく似ていると言われてきたようで、たまにばぁちゃんのことを「千代子ちゃん」と私は呼んだりしていて、そうするとちょっと照れたように笑って「ばか」と返してくるばぁちゃんがかわいくて仕方ありませんでした笑。

また、ばぁちゃんはこれまた演歌歌手の氷川きよしさんのことが好きで、「きよしのズンドコ節」に合わせて「きよし!」と言っていたりして、アブを手で平気でつぶすばぁちゃんがそうやっている姿を見ることが最高に好きでした笑。



だからこそ、こんなにも強くてかわいいばぁちゃんが病気になり、弱ってきたときはなんとも言えない気持ちになりました。

ばぁちゃんは(確か)肺がんになり、それはなんとか(確か)完治しましたがそのまま立て続けに身体を壊し、思うように動かず痛みが伴う身体となって、いつもしんどそうでした。。

「死にたい」「早くむかえさきてくれねぇかと願ってる」といつも言っていて、どうにもしてあげられないことを悲しく思っていました。

今ばぁちゃんは認知症のようになったところも少しありますが、車いすで施設で生活をしています。

さすがに弱ってきているばぁちゃんですが、一年前だったか、心不全、敗血症、腎盂炎誤嚥性肺炎になってしまったそうで、医者から「覚悟するよう」にと言われたのですが、まさかの大快復をして医者も「奇跡だ」と言うといった体験をしています。

それを含めて、今回コロナ禍でばぁちゃんに会うことができ10分程度ですが一緒に過ごしてみて、やはりばぁちゃんは私の中で「強くてかわいい」ばぁちゃんのままでした。



ばぁちゃんの人生ー私の知りうる範囲のことー

ばぁちゃんのこの「強さ」と「かわいさ」はどこからくるのでしょうか。

私は大人になってから、ばぁちゃんがどうやって生きてきて、私の大好きなばぁちゃんになったのかを聴きたくなり、ばぁちゃん家に行くといつもばぁちゃんに話を聴かせてもらうようになりました。

話を聴きたいと思うようになったひとつのきっかけは、ばぁちゃんが施設に通うようになって施設で字を書く機会があったときに「字が書けねぇ」と、自分のことを恥ずかしがるという話があったことでした。

恥ずかしながら、こんなにも強くてかわいいばぁちゃんが「字を書けない」ということを私は全然知りませんでした。

そして、当時の私は「字を書けない」ということの意味をあまり理解できていませんでした。

ばぁちゃんはよく私のことを「頭がいい子」と言って、周りに自慢をしていたと言います。

大学院まで行った私はそのことを「迷惑」というか「やめてよ(事実と異なるという意味)」くらいにしか思っていませんでしたが、ばぁちゃんにとって孫が大学院まで行くということは純粋にうれしいこと(誇らしいこと)であったと同時に、「うらやましい」ことでもあったのかもしれないと今思って反省しています。

ここからは、ばぁちゃんの人生について―本人の言葉と周りから聞いたことを中心に―綴らせてもらいたいと思います。



ばぁちゃんは私がよく遊びに行っていた山奥の家からさらに山奥にある家で生まれました。

昭和6年の16日生まれ(先日92歳になりました)と聞いていますが、正確にはわからないそうです。

10人兄弟の中の5番目だか6番目だかということで、役所への届け出や手続きなどがその当時は正確ではなく、とりあえずその日に生まれたことになっていると言います。



その当時は食料増産で畑仕事ばかりさせられたため、ばぁちゃんは「学校に行けない」生活を送っていました。

「わりぃけど手伝ってくれ」と家族にいつも言われ、学校に行くことはほとんどできず、「学校に行っても薪割りや炭運び」ばかりさせられたと言います。

だから「字が(を)知らない」とばぁちゃんは言い、「学校に行きたかった」と私に話してくれることがありました。



甥っ子ちゃんとともにばぁちゃんの家に行って、私が昔話の絵本を読んであげているとヒエやアワの話が出てきます。

それをばぁちゃんに尋ねると「(ヒエやアワを)よく食べた」と話してくれます。

「不況も多くて隣の村まで歩いて行ったなぁ。うさぎの肉を食べたりもした。学校にはほとんど行かないで畑の手伝いして…」

と話してくれ、2町分(一周200メートルの校庭と同じ広さ)の田んぼと畑を「朝2時に出て誰よりも稼いだ(働いたの意味)」という話もしてくれました。



それだけではなく、

「蚕が(うちに)いて、たまごからやったもんだ。100gはいた。」

「昔はおおごとしたんだ(大変だったんだの意味)。一升(2キロないくらいかと)を背負って、〇〇から□□まで(平坦な道で歩いて3時間程度の距離、ただし山道であり整備されていない)歩いていって、通りすがりのトラックが来れば乗せてもらって、でも砂利道だからたまにトラックは止まっちまうんだ。そしたらその石をどかしてってして…」

「敵機来襲で電気消して、背中に子ども(自分より年下の子のことかと)背負って隠れて」

赤痢100日咳くらいで入院する人なんてあの時はいなかった。○○医院まで背負って歩いた4歳の子が途中で亡くなったのはかわいそうだった」

私には想像ができない、こうした数々の体験を教えてくれるばぁちゃん。

ばぁちゃんにとって「学校に行く」なんてことは贅沢で相当恵まれていないと行けないものだったことが少なくともこれらからわかりますし、ばぁちゃんを苦しめた(恥ずかしいと思わせた)「字が書けない」ということは、こうした背景があってのことだとわかったのです。



ばぁちゃんの家族は10人兄弟と書きましたが、女の子が多かったようでばぁちゃんは奉公として早くから病院に送り出されたと言います。

そこで働き続け、当時としては少し遅めのようですが、24歳になって結婚をし私が一年に一度訪れていたばぁちゃんの家に嫁ぎました。



残念なことに、この結婚はばぁちゃんの望む結婚ではありませんでした。

ばぁちゃんには当時好きな人がいたようですが、財産のあった家に強制的に嫁がされたかたちだったと言います。

そのせいか、酔ったときによく夫から「身上(しんしょう)つぶし」と言われたと言います。

「身上つぶし」というのは「財産目当てで来た人に(財産を)つぶされた」といったような意味の言葉です。

望まない結婚だったにもかかわらず、ばぁちゃんは言われもないそんな言葉をかけられていたと思うと、胸が苦しくなります。

それでもばぁちゃんは、当時は牛や馬も飼いながら農作業や山の作業をし、旅館のようにもなっていたというその家で働き続けてきました。

また「毎朝な、皇大神宮様・天照皇大神宮様、仏様、十二様、おしら様(蚕の神様)、えびす様、大黒様…八百万の神様に煮立てのごはんを皿に盛ってやる。山に入るときには、十二様に山でケガをしないように拝んでから入る。」

と、自然やご先祖さま・神様との暮らしをし続けてきて、3人の子どもを育てあげました。

ばぁちゃんのこの苦労はどれほどのものだったのだろうかと思わずにはいられません。

 

他にも多くの、ばぁちゃんにしかわからないばぁちゃんの人生があるわけですが、残念ながらこれ以上のことを私は綴ることができないので、ばぁちゃんの人生の話はここで終えようと思います。

もっとばぁちゃんに話を聴きたかったし、コロナが落ち着いてゆっくりまた会って話が聴ける日がくることを願うばかりです。



ばぁちゃんの人生から私が受け取るもの

コロナ禍で大好きなばぁちゃんに会うことができ、感情のままに、ばぁちゃんのことを書いてきました。

これまでにもばぁちゃんの人生については書きたいと思っていましたが、それはこのブログのプロフィールにあるように(宮本常一が言うように)

一人ひとりの一見平凡に見える人にも、それぞれ耳を傾け、また心を轟かすような歴史があるのである

と私が思っているためでもあり、同時に、私はばぁちゃんの人生の証人でありたいと思うから、そして、きちんとばぁちゃんから渡されているものを受け取らないといけないと思うからでもあります。



人はいたみを経験することで、人のいたみがわかるようになると言います。

確かに、ばぁちゃんのやさしさと強さはこうした数々の苦難があってこそ培われたものなのだろうと思います。

また、苦労した人の分までしっかり生きようになどとも言いますよね。

確かに、選挙権の話ではありませんが、誰かが闘ってきたことなどで今私たちが当たり前に享受・行使できる何かがあり、それを享受・行使することは大切なことと思います。



でも私はばぁちゃんの人生から受け取りたいのはそうしたことではありません。

私は「ばぁちゃんには違う人生があった」ということを受け取りたいと思っています。

これは一見残酷な表現のようにも思いますが、このことを私は直視していたいと思います。



学校に行きたいと思っていたなら、当たり前に学校に行けた人生がばぁちゃんにあってほしかったです。

好きな人と結婚したかったなら、相手も望んでくれるなら、当たり前に好きな人と結婚してほしかったです。

当たり前に病院に行き、当たり前に子ども時代を過ごすことができ、当たり前に自分の道を選べていてほしかったです。

ばぁちゃんには他にも多くのできなかったことがあったことと思います。

これを「時代だから」で済ませてはいけないと私は思うのです。

なぜなら今も「時代だから」で「できるはずのことができていない」人たちがいるからです。

それを黙認することは、今「できていることがたくさんある」人たちもいつかそれが「できなくなった」時に文句を言ってはいけないことにもなります。

それではいけないと私は思います。



ばぁちゃんの夫(じぃちゃんと呼ぼうと思います)に私は会ったことがありません。

じぃちゃんは早くに亡くなったためです。

会ってもいないのでわかりませんが(正確には会ったことがあったのかもしれませんが私が赤ちゃんの頃かと)「身上つぶし」などと酷い言葉をばぁちゃんに浴びせてきたじぃちゃんのことを私は好きになれません。

でも、じぃちゃんは顔も良くて頭も良く(もてたとも聞きました)すごい人であったと聞きます。

そんなじぃちゃんがおかしくなったのは、戦争から帰ってきてからだったようです。

戦争に行ったじぃちゃんは(詳しくはわかりませんが)馬に乗る仕事を任されたそうですが、ある時、馬にケガをさせてしまったか何かのミスをしてしまったようです。

そのミスを上司から叱責され、ものすごい暴行を受けたそうです。

そこからじぃちゃんは精神を崩してしまったようで、帰ってきてから酒に溺れては、ばぁちゃんにきつく当たるようになってしまったと言います。

ちなみに、この話をじぃちゃんはじぃちゃんの母(ひいばぁちゃん)にだけ話していたようで、じぃちゃんはこの苦しみや恐怖(トラウマ)を酒以外で対処することができなかったのだろうと思います。

娘である私の母は実の父(じぃちゃん)を「親として欠如(欠落)した人」と言いますが、そこにはこうした背景があり、誰も望んでいないことが戦争によって起こってしまったと言えるのかと思います。



こうして見てみると「時代のせい」は延々と繰り返されており、私たちは「時代」に影響され続けているわけですが、これは「時代」に大きな影響を及ぼしている「為政者らのせい」であり「私たちが取り組まないといけない」ことでもあるのだろうと私は思います。

ばぁちゃんができなかったことは「時代のせい」だけど、「時代のせい」で終えてはいけない。

そのことをばぁちゃんから私は受け取りたいと思い、ばぁちゃんのことを書きました。

 

ばぁちゃんはこの多くの困難な中でも私に多くの愛をくれ、それを私はたっぷりと受け取らせてもらいました。

感謝してもし足りないです。

私はばぁちゃんから「強さ」(と「かわいさ」)も受け取って、生きていきたいと思います。

ばぁちゃんが大好きだから、ばぁちゃんに「いい人生だった」と思ってもらいたいから、恩を送っていけるように在りたいと思います。



今回ばぁちゃんに会って、私はこう言われました。

善光寺の牛参りがあるべ。そこの部屋は光太郎にあげるからな」

この意味が私にはわかりませんでしたし、ばぁちゃんも少し認知症があるので正確な意味はわからないのですが、かつてばぁちゃんが娘夫婦に善光寺に旅行に連れて行ってもらったことがあり、そこで泊まった部屋のことを言っているのではないかということでした。

その部屋はとてもいいところで、自分の部屋だとばぁちゃんは勘違いをしていて、それを私にくれると言ってくれたのではないかと思われます。

お小遣いではなく、ついには部屋をまるごと私にくれようとしてるようで、まったくもう、困ったものです。

「その部屋にはちゃんと通帳と印鑑があるのかい?」とまで聞けませんでしたが笑、「ばぁちゃん、いい男が会いに来たでしょ」と言ったら「どこかで見たと思った。器量がいいから誰かなぁって思ったら、なんだい、光太郎かい」と笑ってくれたばぁちゃん、あなたと会えて孫は本当に幸せです。

天寿を全うするまで、どうか少しでも幸せに生きてね。大好きです。

「若者の投票率の低さ」を反省的に考える②教育現場と広い意味での教育について

前回「若者の投票率の低さ」を反省的に考える①として、問題点と仕組みについて考える記事を書きました。

kotaro-tsuka.hatenablog.com

この記事では『大人の問題としての反省…今すぐにできること・すべきこと@仕組み編』という題で、投票の仕組みや方法の改善点などについて言及しました。

今回はその続編の意味合いで『教育編』を書きたいと思います。

 

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学ぶことをやめない

 

 

 

大人の問題としての反省…今すぐにできること・すべきこと@教育編

仕組み編では「若者の投票率の低さ」を緊急課題として、すぐにでも大人が取り組むべき改善点について言及しました。

こうした話がニュースなどで全然されていないことを鑑みても、大人たちが怠惰なままでいることが明らかになっているように思い、深刻な状況であることを感じています。。

ですが(残念なことに)ここからはさらに深刻と感じる…大人が取り組むべき教育(広い意味での教育を含む)について考えたいと思います。



教育現場で最低限取り入れるべきこと

教育現場の問題点として、「みんなで一緒に」という風潮の強さや偏った刷り込み教育、隠れたカリキュラムなどについて書きました(しつこいですが詳細は前回の仕組み編の方のご確認をお願いいたします)。

教育現場は本当に大変だと思う中で問題ばかり上げてしまって申し訳ない気持ちと…とは言え、「変わらないとダメだろう」という危機感とが私の中で混ざり合ってい書いた次第です。

その中で、教育現場で最低限このことには取り組んでもらえたら…と思うことについて書きたいと思います。

 

自治の経験の機会を保障すること

まずは、子どもたちが主体的な存在であるということを教員が理解し、自治の経験の機会を保障することです。

子どもの権利条約には4つの原則があり、そのひとつに「意見を表明し参加できること」が定められています。

これは

子どもは自分に関係のある事柄について自由に意見を表すことができ、おとなはその意見を子どもの発達に応じて十分に考慮します。

という内容であり、すべての子どもに保障されているものです。



デンマークの学校ではコの字型に机を配置している学校もあるという話を前回の記事で書きましたが、そこまですることは難しいにせよ、子どもが自由に意見を表すことができ、子どもの意思が尊重されやすくなるためにはどうしたらいいかについて、ハード面からソフト面まで、学校現場にはぜひ検討していただきたいと思います。



つい先日行われた『Learn by Creation NAGANO プレーヤーズコネクト 2021』において、『違いの味わい方 “みんな違って、みんないい”の半歩先へ』で登壇されていたインクルージョン研究者である野口晃菜氏は「どういう学校にしたいかを子どもたち自身が決めていく」学校の例を話していました。

その学校では、たとえば、いじめをなくしたいと子どもたちが考えて、その方法も考え実行に移していくという経験をしているということでした。



そうした経験、つまり、自治の経験の積み重ねを子どもたちができれば、「社会を変えられない」という無力感を抱くことも少なくなるのではないだろうかと思います。

それは先に書いた子どもの権利が保障されているということでもあり、子どもたちが「人権」や「権利」について学ぶことができるということになります。それは、しいては「参政権」を体感として理解するようにもなると言えるのではないかと考えます。

学校や先生という身近な大人をはじめ、社会が不完全であることがわかり、「批判」も不完全な社会をよりよくしていくために必要なものだと理解するでしょう。

それが政治であるということを子どもたちが学ぶ機会が保障されるといいなと思います。

そうした学びが保障されれば、「若者の投票率の低さ」を憂うことは少なくなり、そもそも「若者の投票率を上げよう」などと上から目線(自覚しています)の物言いをする大人もいなくなるのではないかと思います。



隠れたカリキュラムの是正に向けて

日常の中に多くあるバイアスを、学校・教育現場だけなくすなどということは到底無謀なことなのですが、それでも学校は学ぶ場であることから教育現場に携わる人たちは学び続けねばならないだろうと思います。



私たちは誰もが偏見を持っています。

しかも厄介なことにそれは無意識に持っているものであるため(今度書けたらと思っています)、その自覚を大人―特に教育現場に携わる大人―はきちんと持つことが重要になります。

なぜなら、子どもにとって学校の先生や親という身近な大人はある種「絶対」だからです。

「絶対的な存在が言うことに間違いはない」と子どもたちが思ってしまう可能性を想像しながら、偏りがあることを前提として(わからない、ということを含めて)オープンに話をする機会を設けてもらいたいと思います。

 

また同時に、学校にはぜひ外からの風を積極的に入れてもらいたいと思います。

「隠れたカリキュラム」はその名の通り、「隠れている」ので内側から見ても気が付かないことが多くあります。

外から見た時、違う文化との交流があった時などに「隠れている」それが発見されるということはよくあることで、その発見があるからこそ、よりよいものにしていくことができるのだと思われます。

保守的な閉ざされた空間となりやすいのが学校・教育現場かと思いますが、どうか閉ざされた空間でなくなってほしいと思います。

そうすることで、学校も先生も完全ではないという気づきを子どもたちも感じられるでしょうし、「おかしい」と気づく力、気づいたときにそのことについて「声を上げていい」と思う力にもつながるのではないかと思います。

外からの風を入れつつ、大人も共に子どもたちと気づきを重ね、学び続けることもとても重要と思います。



ここまで、大して知りもしない教育現場の話(しかも理想的な世界の話)をしてしまいました。

現場の皆様には「わかった風に言いやがって」と不快な思いをさせているかもしれませんね。すみません。

学校では部活もあり、イベントもあり、修学旅行もあり…と、あまりに忙しい中で先生方が奮闘されており、できることが限られてしまっているというのが現状かとは思います。

個人的には部活動の時間を減らすべきだと思いますし、イベントも練習をそんなにする必要もないでしょうし、クラスの人数の規定と先生の配置数・先生への待遇も見直されるべきではないかと思っています。

教材で使われる作品のジェンダーバランスもしっかり考えてほしいですが、このあたりにきてしまうと保守的な「上」に問題があると考えられるわけですしね(このこともまた書きたいと思っています)。。

ここではその点についてスルーして願望を書いてしまったことをお詫びしつつ、それでもできることがあるのでは?ということで、上記二点のみ書かせていただいたということをご理解頂ければ幸いです。

そしてここからは、教育というものをもっと広くとらえて、ひとりの大人としてすべきことについて書いていきたいと思います。



政治に関心のない人を生まないために、関心のない人とつながるために

『政治をもっと身近に!~U30の声を聞いて一緒に考えよう(以下、U30の声)』では、多くの若者が当日のイベントに参加しており、中には普段から政治の話をしたり、政治に関するテレビ(地上波ではないもの)を見たりしている若者もいるということが話題に上がっていました。

それは素晴らしいことですし、希望を感じたのですが、一方そこで私が感じたのは、やはりそもそも政治や社会問題に関心のある人たちがこうしたイベントなどに集まるのだよなということでした。

そうした人たちが誰かに伝えることで「変化」が生まれるということは、「声を上げること」で書いたので省略しますが、それもとても大切なことでありつつ、政治に関心のない人を生まない(極力少なくする)ためにはどうしたらいいか、関心のない人とつながるためにはどうしたらいいかというあたりを考える必要があるように思います。

ここでは教育現場に限らず、すべての大人がすべきこと(教育)について考えてみたいと思います。



意思決定の場に就く人を多様にし、若者の声を大人がきちんと聴くこと

以前、「若者の投票率の低さ」について意見をくれた方がいたため、記事にまとめたことがありました。

kotaro-tsuka.hatenablog.com

その意見には

政治家にいいイメージがありませんでした。

政治家といえば、失言、不正、おじさんばかりで難しいことを言っているという偏ったイメージでした。

といったものがあり、『U30の声』でも

政治はおじさんがするものというイメージ

があったと話していた人がいたように思います。



言うまでもなく、日本の政治家の多くは高齢男性ですね。

政治家だけでなく、多くの業界で「上の立場」にいるのは男性がほとんどだろうと思います。

まず私たち大人はこれを変えないといけないでしょう。

「隠れたカリキュラム」の話をしたように、そうした偏った傾向は間違いなく子ども・若者たちに刷り込みを与えています。

この意識を私たち大人が持ち、具体的に変えていかないといけないでしょう。



また、今の時代に求められているリーダーシップ像にサーバント・リーダーシップというものがあると、政治学者である宇野重喜氏は『未来をはじめる~「人と一緒にいること」の政治学』で言います。

 

 

サーバント・リーダーシップというのは

あなたはどう考えているのだろう?と聞いてあげられる人

のことを指します。

『仕組み編』で書きましたが、どのような動線上に若者がいるのか。

どうしたら投票をしやすくなるのか、したいと思えるのか、「声が反映される」と思えるのか…そういった声を若者から聴くために、若者の考えに普段から耳を澄ます大人の存在が必要なのではないでしょうか。

しかも耳を澄ます大人は高齢男性だけではなく、多様な人が「上の立場」と(自覚も)してすることが大切ではないだろうかと思います。



宇野氏は同著の中で

一人ひとりの個人が、自分をかけがえのない存在として認めてほしいと願っています。自分の声を聞いてほしいと思っています。しかしながら、多くの人の実感は、「自分の存在なんて、誰にも認められていない」ではないでしょうか。「私の声は、どこにも届いていない」、そう思っている人が少なくないはずです。

と言います。

これは若者だけに当てはまるものではないと考えられますが、より声が聞かれにくい(未熟とされ)若者の声にきちんと耳を傾け、自分の過ちや偏見に気づき是正することができる大人の存在が必要なのではないでしょうか。



政治家の声が若者に届くように

これもまた「若者の投票率の低さ」についていただいた意見となりますが、

公約は調べてみたらわかったけど、これまでの実績が分からないから知ることができたらいいのに。

どのような活動をしているのか日頃からもっと伝わったらいいのに。

という声があったことを以前書きました。



政治家が普段何をしているかと言われると、多くの人のイメージでは国会議事堂でヤジを飛ばすか、寝ているかになるのではないだろうかと思います。

TwitterなどのSNSが使われるようになって変わってきているとは思いますが、政治家はもっと何をしているかを発信していき、実績を可視化していく必要があるのではないでしょうか。



これは同時に、広告やメディアの問題でもあるように思います(表現の自由にもつながる話ですがここでは触れないでおきます)。

多数決の問題や在外投票が間に合わないことなど、大問題とも言えるこうしたニュースがメディアなどで全然取り上げられないということを『仕組み編』でも書きましたが、広告業界やメディア業界は変わらないといけないだろうと強く思います。

政治の番組も放送されているとはいえ、政治家の声が若者に届くためにどうしたらいいかを真剣に考えているところがどれほどあるだろうかと率直に思います。



よくネット検索などをしているときに出てくる広告は、それこそバイアスだらけのものだったりします。

こうした広告がもしもっと身近な問題、政治の問題、問題だけでなく学びにつながることであればどれだけ世の中違うだろうかと思います。

日々目にするもので構成されていくのが私たち不完全な人間です。

そのことについてもっと反省する必要があるのではないでしょうか。

少し脱線してしまったようにも思いますが、政治家も広告・メディア業界も、もっと声を若者へ、国民へ届けてほしいと思います。



若者を理解しつつ、批判の大切さを伝えること

これはこれまでに同様のことを書いてきたので短くしますが、若者の声を聴くことで共に学び合い、不完全であることを共に理解し合う。そして、批判を含めて、対話や議論を重ねることで世の中をよりよくしていく。

こういった姿勢を大人が持てるかどうか、というシンプルなことが結局は大切になってくるのだろうと思います。



『ほんとうのリーダーの見つけ方』の著者である梨木香歩氏は

批判って、難癖をつけるとか、文句ばかり言う、ということとは違います。正しい批判精神を失った社会は、暴走していきます。批判することは、もっとよくなるはずと、理想を持っているからできること。

と言います。



言ってしまえば、私たちがこの世を生きていく中で、「人に迷惑をかけない」など無理な話なのだと私は思っています。

迷惑をかけあいながら、どうやって共に生きていくか。よりよく生きていくことができるかを話し合い、考えていくしかないのだと私は思います。

批判は「迷惑」をかけることかもしれません。が、批判がなくなったら、「迷惑」はかけないかもしれませんが、多くの人が生きづらい世の中になるということを、もっと私たちは自覚することが大切ではないかと思います。



政治とは何かを語り続け、大人が学び続けること

『仕組み編』の続編として書いてきましたが、これで最後になります。

記事を分けましたが、ずいぶん長くなってしまったことをご容赦ください(お付き合いありがとうございます)。



最後もまた詰まるところ、政治とは何かを大人が語り続け、大人が学び続けるというシンプルなことが大切ではないか、という話を書きます。

ここでも、この記事でたびたび登場している宇野氏の言葉を引用します(『未来をはじめる~「人と一緒にいること」の政治学』より引用です)。



政治とは本来、互いに異なる人たちが共に暮らしていくために発展してきたものです。



(高校生からの質問)政治とは何かという定義からいくと、友達同士で話しているときとか学級会で物事を決めるときとか、そういうのも政治っていうのでしょうか。異なる利害や価値を持つ人との共生を考えるというと、そういうことでも全部政治に含まれてくるのかなっていう感じがしたんですけれども。

(宇野氏の回答)それも今回の大事なポイントだと思います。僕は政治をそこまで広げていいと思っています。

 

 

そのような(一人ひとりが自由かつ平等であることが大前提であること)自由かつ平等な個人同士が、言葉を交わし、共に秩序をつくっていくためにはどうしたら良いのか、それを考えるのが政治です。



働き方をどうしたら変えていけるか、これを決めるのも政治なのです。

どうすれば男性も女性も自分の人生に合わせて自由に働き方を選んでいける社会にしていけるのか、これを考えるべきです。多くの人が少しでも満足のいく仕事と暮らしを実現するために、社会は何をすべきか。社会として、どのような働き方を目指すか。このようなことを考えるのも、政治の仕事なのです。

 

政治は政治家だけのものではありません。一人ひとりが安心して、希望を持って生きていくにはどうしたらいいのか、このことを考えるのが政治なのです。



著書の中で、宇野氏が「政治とは何か」について明確に言及している部分を引用させていただきました。

私のような素人からは何も言えることはなく、このことを私たち大人が理解できれば、世の中がずいぶん変わるのではないでしょうか。



Global視点での幸福、教育のベースにあるモノ【大人のデンマーク留学見聞録】~びっくり!しかなかった大人のデンマーク滞在日記(以下、Global視点)』では、デンマークの教育の特徴として

教育は子どもだけが受けるものではなく、国民全員の義務であり権利

であるということが話されていました。

日本もこのような認識になるといいなと個人的には思っています。

教育はそれほど大切なものだからです。

最後の最後に、元南アフリカ大統領であり、アパルトヘイトの終焉に貢献したネルソン・マンデラが教育について残した強烈な言葉を載せておきます。

ネルソン・マンデラ:「教育は、世界を変える……」|英語名言ドットコム

The Collapse of education is the collapse of nation — Steemit

 

教育の崩壊は国家の崩壊です。

 

国を破壊するために、原爆や長距離ミサイルを使用する必要はありません。教育の質を低下させ、学生による試験で不正行為を許可するだけで済みます。

 

教育は、世界を変えるために使用しうるもっとも強力な武器である。

 

「若者の投票率の低さ」は、私たち大人のこの自覚、認識の不足を表しているとも言えるのではないでしょうか。反省したいと思います。

次は、それでも(深刻な…)変わらない大人たちやそのバイアス・特権などについて書くことができればと思っています。

お読みいただき、ありがとうございます。

「若者の投票率の低さ」を反省的に考える①問題点と仕組みの話(素人の仮説)

前回、

kotaro-tsuka.hatenablog.com

について考える記事を書きました。

 

その記事の最後に、日本財団の調査

日本財団「18歳意識調査」第20回 テーマ:「国や社会に対する意識」(9カ国調査) | 日本財団

(第202019年)によると「自分で国や社会を変えられると思う」人は5人に1人であり、数字の低さが際立つ結果となっていることが指摘されている、ということを書きました。

ここでは、「声を上げること」の延長線上として、なぜこのような状況になっているのかを通じて、「若者の投票率の低さ」について改めて“反省的に”考えてみたいと思います。

 

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調査結果が示していること(素人の私の仮説)

 

上記の日本財団の調査以外にも、内閣府の「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」(H25年度のもののため少し古いかもしれませんが&参考にしたのはこちらのリンクです)によると、「私の参加により、変えてほしい社会現象が少し変えられるかもしれない」という項目に「そう思う」と答えた日本の若者の割合は30.2%であり、調査対象国の中で最も低い割合になっているとされています。



日本財団の調査結果も、内閣府の調査結果も両方とも(結果が重なるのは当然と言えば当然ではありますが)「声を上げた」としても「社会は変わらないだろう」と多くの若者が思っていることを示しているわけですが、このことはもしかしたら、

「声を上げる」経験の不足、あるいは、「声を上げた」けど「社会は変わらなかった」という経験の積み重ねによる無力感

というものが背景にあるかもしれないということと、また

そもそも「社会を変える」ということについて、若者が消極的、あるいはネガティブなイメージを抱いている

といったことがあるのかもしれない、と私は考えています。



内閣府の同調査では、若者が「自分の将来について明るい希望をもっている」かどうかについても、諸外国よりも低い割合であることが指摘されています。

これは①の無力感を想起させますし、一方で、同調査における「自国のために役立つと思うようなことがしたい」という項目においては諸外国よりも高かったという指摘があり、これは「社会の役に立つ」ことと「社会を変える」こととがリンクしていない(解離している)という②の可能性を示唆しているのではないだろうかと私は思います。



この二点はあくまで素人の私の仮説に過ぎないのですが、この二点を中心に「若者の投票率の低さ」について考えたことをここでは書いていきたいと思います。



自らが選び変える経験の機会不足



まず、①「声を上げる」経験の不足、あるいは、「声を上げた」けど「社会は変わらなかった」という経験の積み重ねによる無力感、について考えてみたいと思います。



若者が社会に出る経験を考えると、最初に思い浮かぶのは学校という空間であるように思います(保育園や幼稚園もありますが、より長く大人と関わり時間を過ごす場所としては学校のためここでは学校が相応しいかと思いました)。なお、「若者」と書いたり「子どもたち」と書いたりすることがありますが、基本的には「子どもたち」というのは広く「子どもの頃」(特に若者の子どもの頃)という意味合いで使っていることをご理解いただければと思います。



以前も何かの記事で書いたかもしれませんが、学校には決められた授業があり、日本では特に子どもたちがそれを「みんなで一緒に」学んで過ごします。「みんなで一緒に」学び、「みんなと一緒に」できることがよしとされる、そんな風潮が強いように思いますが、いかがでしょうか。



この話をすると「学校とは何か」という話となってきてしまうかと思いますが、それはここでの主題ではないので触れません。

ここで注目したいことは「みんなで一緒に」学ぶことをよしとする風潮は、大切な部分があることを少なからず認めつつも、それが強すぎた場合に、個人の声・力が削がれる可能性があるのではないだろうか、という点です。



「強すぎる」ということをどのように定義付ければよいかは難しい部分がありますので、比較対象として他国(デンマーク)の教育について少し見てみたいと思います。



先月行われた『政治をもっと身近に!~U30の声を聞いて一緒に考えよう(以下、U30の声)』というイベントの中で、参加者が「デンマークの若者の投票率が高い」ことについて言及していることがありました。

なぜデンマークの若者の投票率が高いかというと、そのひとつには

 

声を上げて動けば政治を変えられると思える

 

ことがあると言われ、さらに

 

民主主義の担い手を育てる仕組みや制度が学校などにあり、思いもある

 

と言われていました。



また、以前『Global視点での幸福、教育のベースにあるモノ【大人のデンマーク留学見聞録】~びっくり!しかなかった大人のデンマーク滞在日記(以下、Global視点)』を聴講しましたが、そこではデンマークと日本の中等教育の違いなどについて様々な話がされていました。

すべてご紹介したいくらいですが、学校・教育の現場の違いとして特に私の印象に残った話は、学校が「自由である」ということと「机の配置はコの字型が多い」という話でした。

「自由」というのは(その方のお話によると)制服や校則が特にないということで、髪型やピアスなどの禁止もなければ、足を机に投げ出して授業を受けていても特に罰則があるわけではないということです…これは日本では考えられないですよね…。



「机の配置」についてですが、コの字型というのは「お互いの顔を見合え、対話、参画がしやすい」構造であると言われ、「教師にとっても動き回り、個々の状況を把握しやすい」というメリットがあるということです。



デンマークのすべての学校がこうしたシステムとなっているわけではないのかもしれませんし、デンマークは意外と自殺率が高いこともその講義で言われており、こうしたシステムが「万能」とはもちろん言えませんが、デンマークの「若者が声を上げれば政治を変えられる」と思っていることと、こうした教育のシステムとがリンクしていることは間違いないように思います。



デンマークの事例のみではありますが、これをもとに改めて日本の学校・教育を見ると「みんなで一緒に」(をよしとする風潮)が「強い」ことは否めませんし、少なくとも、日本の学校ではコの字型に机が配置されているというところはほとんどありませんよね。

コの字型が促すと言われる対話よりも、みんな同じ机を使って前を向き、先生の話を聞く。そして、残念なことに、時にブラック校則とも言われるものすらある校則に従って過ごす。そうしたこに適応できることこそがよしとされているのが日本の教育現場ではないだろうかと思います。



このことは私たち(より上から)世代のことかと思っていたのですが、TwitterのあるZ世代のつぶやきに驚かされたことがありました。

引用させていただくと…

言うことを聞くこと、先生から学ぶこと、お利口であること、従うことが正解だと教えられてきた期間が長すぎて、恥ずかしながら未だに私たちが生きる社会が不完全であることを理解しきれていない。

Z世代と言われる若い世代でも、私たちと大した違いのない教育を受けているということに衝撃を受けましたし、これだけ時代が変化しているにもかかわらず、なぜそこが大して変わらずにいるのだろうかとその根深さに少し怖さを覚えます。

これでは、自分が「声を上げる」主体であることにすら気づけない可能性があるように思いますし、「声を上げた」ところで大人に取り合ってもらえない(変えられない)ということが多くあるのではないかと思われます。

自らが選び、変える経験の機会は乏しく、声を上げる経験(機会)が不足しているのが日本の教育の現状と言っても誤りではないように思います。



刷り込まれ続けるバイアス

また、「声を上げること」の記事でも引用した、盛岡大学公開講座での遠藤可奈子教授のお話の中に、国語教育の教科書におけるジェンダーバランスについてのお話があったため、引用していきたいと思います。



遠藤教授によると、H15H27年までの高校国語教科書の小説掲載上位5位までの作家は全員男性作家であるということでした。

小説の主人公も男性で、女性は悪いやつや無力なキャラとして出てくる作品の掲載が多いことを指摘しています。

遠藤教授は

高校生は生き方を学ぶ時なのに(略)これ(上記)を女子高生は違和感なく学んでいる

と言います。



中学の国語教科書については今年の春に改訂がされたそうですが、それでも作者はほとんど男性で、主人公もほとんど男性のものが使用されており、高校国語教科書と同様の傾向があると指摘されています。

改訂したのになぜ大して変わらないのかというと

これ(変わらない理由)は文化(財)の担い手が男性中心だったからであり、女性が出てくるまでに時間がかかっているからだろう(優秀な女性の作家はいるのに…)。

と言われ、

しかし、保守的なこうしたことから脱却する必要はあるのではないか

とも言及していました。



大人が変わることや変えられない理由・バイアスについて考える記事はまた別で書きたいと思っていますが、私は遠藤教授がこの話をしてくれなかったら、この偏りに気づかずにいたと思います。。

私たちが学校で学んできた「ふつう」は、そうした偏った教材による「ふつう」である可能性があり、それは大変怖いことであると感じています。



遠藤教授は日本の教育における問題として、「隠れたカリキュラム」についても話されていました。

「隠れたカリキュラム」とは、日常的な言動や男女の色分けなど、日常の中で平然と性別による役割分担などが刷り込まれることを言います。



私が某レンタルショップで「声を上げた」ように、ジェンダーバイアスは日常にあふれているわけですが、それは学校や教育の世界でも(無意識のうちに)溢れてしまっているということであり、そうした「隠れたカリキュラム」によって子どもたちは大きな影響を受けているだろうと言われます。



「みんなで一緒に」をよしとする風潮が強い中で、ジェンダーをはじめとした、多くの偏りを子どもたちが刷り込まれ続けていくことは、「おかしい」と思う力や機会を奪い、たとえ「おかしい」と思っても「言えない(言ったところでどうせ変わらない)」という思い・無力感を積み重ねさせていくのではないでしょうか。



アクティブラーニングなど、最近は学校でも自ら考えて動く時間をなるべく設けているようですが、それを無駄とは思いませんが、決められた数時間を主体的に過ごすことができたとしても、それ以外の時間・空間が周りに同調させられる力や偏った刷り込みで覆われているのであれば、子どもたちが受ける影響がどちらが強いかは言うまでもないだろうと思います。



初めての社会生活である学校の場が、自ら選び変える経験の機会が不足する場であり、強い同調と刷り込み(特に無力な女性像など)で溢れた世界であれば、子どもたちに「変えられないものがある」と思わせるには十分すぎるだろうと思います。

そもそも「声を上げる」機会が(気づけないことを含め)少ない中で、「声を上げた」けど「社会は変わらなかった」、あるいは「声を上げてもどうせ変わらない」といった無力感が、無意識のうちに子どもたちに積み重ね続けられているのかもしれません。



「人様に迷惑をかけてはいけない」教育と批判・対立への抵抗感

続いて、②そもそも「社会を変える」ということについて、若者が消極的、あるいはネガティブなイメージを抱いている、という可能性を考えてみたいと思います。



これについては「声を上げること」の記事で書いた私のホテルでの「声を上げた」経験から思うことがあるため、そのことから書きたいと思います。

先の記事では書きませんでしたが、私がホテルの部屋を変えてもらえるよう「声をあげよう」としたとき、一緒に泊まっていた私の相方からは実は「言わなくてもいいんじゃないか」と言われ、実質止められました。

その理由には「我慢できる範囲だし(できると言えばできるくらいの感じでした)他の部屋もそうなのかもしれない」というものがあったようですが、「言ったところで変えてもらえないだろう」という理由があったこともわかりました。

というのも、移った部屋で下水の臭いがしなかったときに「どうせどの部屋も臭いがすると思ったけど、全然違うね。言えば変えてもらえることもあるんだね」と相方が言ってくれたためです。



この時に私が思ったのは、あえて強く言わせてもらえば(ホテル関係者の方、申し訳ございません)たかがホテルの部屋を変えてもらうだけのことですら、私たちは「声を上げること」を躊躇し抵抗感を抱くということがあるのだなということです。

私もですが、相方は「人様に迷惑をかけてはいけない」ということを学んで育ってきたということをよく話します。

確かに「声を上げる」ということは誰かに「迷惑をかけてしまう」ということがあり得る行為です。

そもそも「声を上げること」は「批判」や「対立」というものを生む可能性があることであり、「みんなで一緒に」の空間においては「よくないこと」と言えるでしょう。

「みんなで一緒に」の教育を受けてきた私たちは、「声を上げること」、すなわち「批判」や「対立」というのは誰かに「迷惑」をかける行為だと認識しており、それが、たかがホテルの部屋を変えてもらうというだけのことであっても抵抗感を抱かせるのではないかと思います。



先ほど引用した、あるZ世代の方のTwitterでのつぶやきには実は続きがありました。

それは

いつになったら自信もって政府批判が出来るようになるんだ……

というものです。



確かに

先生から学ぶことやお利口であること、従うことが正解だと教わってきたことで、社会が不完全であることを理解することが難しい

のであれば、自信をもって政府批判などできるわけないですよね。。



仮に「社会の役に立ちたい」と思っていても、それが「社会を変える」とか「声を上げる」とかいうこととつながらないのも、やむを得ないように思います。

日本の教育の問題がこれほどまでに根深いとは…と、自分で書いておきながら痛感させられています。。



大人の問題としての反省…今すぐにできること・すべきこと@仕組み編

以上、2つの仮説について書いてきたわけですが、これが正しいかどうかまではわかりませんが、大きくずれていることはないように思います。

そう思うと、「若者の投票率の低さ」は愚か、日本財団内閣府の調査結果に起因している、なんならその結果を促しているのは、教育をする側である我々大人ですよね。。

ひとりの大人として、深く反省するのと同時に、申し訳ない気持ちになっています。。



しかし、ただ反省したり申し訳ないと思っていたりしても仕方ないですし、若者にとって、あるいは社会にとって何にもならないので、どうしていったらいいかについてここから考えていきたいと思います。

言うまでもなく、教育現場や広い意味での教育を変えていくことは当然必要なことでしょう。

そのことについても考えたいと思いますが、それはあまりに根深くエネルギーも時間もかかるため、その前にまず取り急ぎ「若者の投票率の低さ」を緊急課題として大人がすべきことについて考えたいと思います。



「若者が声を上げやすい」仕組み・若者が「声が反映されている」と感じられる仕組みを急ピッチで導入すること

生活の動線上、かつ、メリットとなる投票(所)のシステムを

唐突ですが、私は車が必要な地域で暮らしていることから、普段、車を使用することがよくあります(ここ数年は極力歩くようにしていますが)。

車検の関係から思い切って車を買い替えたのですが、その車には寒さ対策としてハンドルを温める機能があることを知りました。

最近だいぶ寒くなってきたため、その機能を先日初めて使ってみたところ、ハンドルの一部しか温まらないことがわかりました。

その一部はどこかというと、いわゆる「1010分」にあたる部分です。

私は結果、安全運転の基本である「1010分」でハンドルを握って運転をしています。



突然なんのこっちゃなお話をしてしまいましたが、私は普段の運転の時に必ずしも「1010分」のハンドルポジションをしない人です(そういう人の方が多いのではないかと)。

ですが(そのハンドルポジションが本当に安全運転になるのかどうかまでは正直わかりませんが)安全運転のために推奨されているハンドルの握り方を私が結果しているのは、「私の思い」とか「それが正しいことだから!」みたいな理由ではなく仕組みとして「マッチング」しているためと言えます。

「寒さ」と「温める機能」との「マッチング」が、否が応でも私に「1010分」のハンドルポジションを取らせているということです。

これは、若者が投票に行くためにも大事な発想ではないだろうかと私は思います。

つまり、「強制」の意味ではなく(投票を強制している国もあるようですが)、若者の「日常生活の動線上」に「投票の機会」をきちんと整備することで「マッチング」が増えるのではないだろうか、と思うのです。



たとえばですが、現在の投票所は市役所や公民館などとなっていますが(閉まる時間が突然変わるなどの不可思議なこともありましたが…)、これを若者が通う大学の中にも設置していいのではないかと思いますし、若者がよく利用するレストランやカフェ、図書館といった場所に設置してもいいのではないだろうかと私は思います(あくまで素人考えですが)。



また、いわゆる高学歴ではないとか、安定した雇用に就くことができていない若者(たち)が投票につながりにくいだろうということが今回(私の中で)考えられたのですが、たとえば(実現できるか、またそれが相応しいかとかが私の頭ではまだわかりかねますが…)投票に行ったことが選考の際に評価される項目となったり、給料の上昇あるいは休暇取得数の増加などの何かしらの「メリット」となるようにされていたら、そうした方々の投票率も違ってくるのではないかと思います。



その方法については様々リスクもあるだろうと思うので、吟味しないといけませんが、いずれにしても、投票に行くことが若者にとって生活の一部と化し、さらには「メリット」となるような仕組み(ハンドルを握れば温かいみたいな)が考えられ、実行に移されることが大事ではないだろうかと思います。

できることはいくらでもあるはずなので、そうしたことを急ピッチで進める・試すことが大人に求められているのではないでしょうか。



投票の物理的なハードルを下げる

先の衆議院選挙で問題となったことに、在外投票が間に合わないということがありました。

これをもし与党が計算していたのだとすれば非常に悪質であり、民主主義の崩壊と言わざるを得ませんが…こういったことは今後もあり得るため、「在外ネット投票の早期先行導入を求めます!」というキャンペーンが行われたりしていますね。

ネット投票は選挙における「秘密投票」をどのように守るかが難しいということが言われていますが、郵送が間に合わないという理由で投票できないというのはおかしいことであり、せめて期間を変更するとか、在外「オンライン」投票なるものなどもできるようになってもいいのではないだろうかと思います。



それには専用アプリの開発が必要になるかもしれませんが、オンラインで選挙管理委員会とのやり取りを経て、オンライン上で投票ができるなどということも、これからの時代にはできてもいいのではないかと思います(私は機械に弱いので私が言うセリフではないですが、そうした技術を持っている人たちはすでにいそうな気がしているので言いたいことを言っています…)。



大学に投票所が設置されるということもそうですが、オンラインでの投票の仕組みが進めば、通学等のために住民票のない(移していない)地域に住んでいる学生たちも、わざわざ帰省して投票をしたり、あまりに非効率な方法での取り寄せを行ったりもしないで済み、結果、投票率が上がるのではないかと考えます。

これは『U30の声』でも話題に上がっており、私自身もそれに似た経験があったため(最高にめんどくさかった思い出があります)、その手間がなくなればだいぶ違うだろうということを感じています。



世代別投票の検討

これまでは「若者が声を上げやすい」仕組み=投票のしやすさを物理的な視点から言及しました。

ここからは若者が「声が反映される」と実感できる仕組み=「声が反映される」と実感できれば投票率も変わってくるといった精神的?な視点における投票のしやすさについて考えたいと思います。



誰もがご存じのように、日本は高齢化社会です。

もう2021年も終わろうとしていますが、総務省によると、今年の総人口に占める高齢者の割合は29.1%と発表がされました。

20年後の2040年には35.3%が高齢者となると予想がされており、若者の声はそもそも届きにくいのに、それは今後も深刻になる一方であると言えそうです。

「若者の投票率が低い」ことでもうすでにシルバー民主主義と言われたりしているわけですが、このままでは若者のための政策はより軽視され、それはつまり「若者の声は反映されにくい」と感じる社会となり、それがまた「社会を変えることなどできない」という無力感となり…といった悪循環が生まれてしまうことを私は懸念しています。



ただ、これほど高齢化が進むと、シルバー民主主義になるのはある程度はやむを得ないことだろうと思うので、それを前提とした上で違うシステムを導入し、それが「若者の声が反映される」システムであるとなるのがよいのではないだろうかと私は考えます。

そのひとつとして世代別投票の導入があるのではないでしょうか。



これは政治学者の宇野重喜氏が、高校生に向けて講義をした際の記録を冊子とした著書『未来をはじめる「人と一緒にいること」の政治学』で触れられていたのですが、たとえば「二十代選挙区」なるものが作られれば、二十代の人たちの当事者性も増すでしょうし、著書を引用させてもらえば

(投票)数は少なくても二十代の代表者が必ず議会に送り込まれる

ということになります。

 

 

それは政治と自分とが近い距離にあるといった基本的なことを感じさせるでしょうし、自分たちの社会は自分たちで作っている・作っていくという民主主義の醸成につながるでしょう。

投票しなかった場合の結果についても、責任を感じやすいのではないかと思います。

そうなると、これまで切り離されていた「声を上げる」ことと「社会の役に立つ」こととにつながりが見えるかもしれませんし、「若者の声が反映される」ことを若者たちが実感できるようになれば、より多くの若者が投票に行きたくなるのではないだろうかと考えます。

そういった意味において、世代別選挙区制の導入は崩壊しつつある民主主義の再建になりうるひとつの有効な手段として考えられるのではないのかなと思います(繰り返しますがあくまで素人考えです)。



ボルダルールの導入の検討

もうひとつ、若者が「声が反映される」と実感しやすくなる投票の仕組みにボルダルールという方法があるように思います。



これも『未来をはじめる「人と一緒にいること」の政治学』で紹介されており、元は坂井豊貴氏による『多数決を疑う』にあるのですが、著書の坂井氏は

多数決は、みんなの意見を集約するための一つのルールに過ぎない。しかもあまり出来がよくない

と指摘し、ボルダルールについて紹介をしています。

 

 

ボルダルールとは何かというと、候補者に一位~三位までランキングをつけてそれぞれ三点―二点―一点と点数をつける方法のことを言います。

以下の「たとえ」は著書の内容を私が若干書き換えたものとなります。

 

たとえば、三人(X,Y,Z)の候補者がいたとして、二十一人が投票するとします。候補者にそれぞれランキングをつけてもらったところ、以下のような結果になりました。

 

一位:X、二位:Y、三位:Z →四人

一位:X、二位:Z、三位:Y →四人

一位:Y、二位:Z、三位:X →七人

一位:Z、二位:Y、三位:X →六人



この場合、現在採用されている「多数決」だと、一位の票が多いXが当選することになりますよね。

しかし、ランキングをよく見ると、Xだけは嫌だ(=Xを三位にしている人)という人が十三人もいることになります。

Xがいいと思っている人は八人です。それにも関わらず、Xが当選となるわけです。



これをボルダ・ルールで考えるとX37点、Y45点、Z44点となります。

つまりXではなくYが当選することになり、多数決の時と結果が異なるのです。

ちなみに、Yを一位にしているのは七人で、Yだけは嫌だ(=Yを三位にしている人)という人は四人となっています。



この結果をみなさんはどのように考えるでしょうか。

数が増えた場合には見え方が異なる可能性もありますが、私はXよりもYが選ばれる在り方の方が「声が反映された」と感じられる人が多いのではないかと思います。

また、その方が「公正」な世の中になるのではないだろうかと考えます。



宇野氏は

多数決ルールは、二者択一ではそれなりの合理性がありますが、選択肢が三つ以上の場合、高い確率で変な結論が導き出されてしまうのです。強い人同士が潰し合って、弱い人が勝ってしまうことが多々あるのが多数決のルールの性質なのです。

と言います。



ボルダルールも完璧な方法ではないということは宇野氏も坂井氏も指摘しており、私も何もボルダルールが絶対必要だ!などとは思っていません。

ですが、現在は多数決ルールがあまりに強調され過ぎており、その一方で本当に民意が反映されているのかというと、いかがなものかと思うことばかりです。

大切なことは、投票の方法に完璧がない以上、多数決ルールが絶対とされたままであってはいけないですし、「若者の声が反映される」かどうかは高齢化社会において多数決ではますます難しいだろうということをきちんと考えることです。



宇野氏はこのように言います。

多数決というのは、勇気のいる仕組みです。人数を正確に数えて、少しでも多い方を勝ちにするというのは、共同体や組織を二分してしこりを生む可能性があります。それでも多数決という仕組みが拡大したとすれば、その前提には、多数と少数の入れ替え可能性が必要でした。すなわち、今日は勝った人が、明日は負けるかもしれないという建前があってこそ、多数決は意味があります。

また、多数決を成り立たせるための前提には、少数派になったとしても最低限の人権は保障されていることが重要です。少数派になったら命が奪われる可能性があるのでは、多数決のたびに流血の騒ぎとなります。その上で(略)勝者は敗者に、敗者は勝者につねに変わりうるという前提があってようやく、多数決制は広く認められるようになったのです。それでも、いまの社会においてなお、これらの条件が整っているかは怪しいですね。

 

私たちはこの指摘を謙虚に受け止め、「(特に若者の)声が反映される」投票方法についてもっと考え、変えていく必要があるように思います。



「大人の問題としての反省…今すぐにできること・すべきこと@教育編」も作成したのですが、ここからまた6000文字くらいになってしまっていたので…一度ここで記事を区切ります。

お読みいただきありがとうございます。次の記事もよろしければ、お読みいただければ幸いです。

声を上げるということ@「若者の投票率の低さ」を考える前に

以前、「若者の投票率の低さ」について考える記事を書きました。

kotaro-tsuka.hatenablog.com

 

その続きを書くことができればと思っているのですが、その前に、投票(率)

とも近い概念(投票もそのひとつの表れ)である「声を上げる」ということについて書いておきたいと思います。



  • 私の些細な「声を上げた」経験
  • 「声を上げること」は「身近」なこと
  • 誰かの「気づく」にきっとつながる
  • 本当に変わらないのだろうか…
  • 「声を上げる」ことは、次の加害を防ぐことでもある

 

 

私の些細な「声を上げた」経験

まずはじめに、私の些細な「声を上げる」経験について、ふたつ書きたいと思います。

このふたつは些細な経験ですが、「声を上げる」ということについて書きたいと思ったきっかけとなった経験でした。

 

早速、一つ目の経験についてですが、これは昨年のとある旅先のホテルでのことです。

詳細はこちらにあるので省きますが、どのような経験であったかを要約すると、宿泊先の部屋が臭かったため(下水の臭いがする)、部屋を変更してもらったことがあったのです。

 

一つ目の経験は以上です笑。

…いくら「些細な経験だ」と前振りがあったとは言え、こんなこと?と思われた方もおられるかもしれませんが、この経験をした際、私は「声を上げる」ということについて書きたいと思ったのでした。



二つ目の経験は、とあるレンタルビデオ店でのことです。

DVDを借りに、とあるレンタルビデオ店に行ったのですが、その時にふと私の目に入ったのが、子ども向けDVDコーナーの陳列棚の表記でした。

そこには「男の子」と「女の子」という表記がされていたのです。

「それがどうしたの?」と思われた方も多いかと思いますが、私は「これは果たして誰が「男の子」あるいは「女の子」の作品だと決めて棚に並べたのだろうか」と思いました。



「それがどうしたの?」と思われた方のご想像通り、「男の子」のコーナーにはいわゆる戦う系のアニメやギャグ系のアニメのDVDが並んでおり、「女の子」のコーナーにはプリ〇ュアなどのアニメのDVDが並べられていました。

でも、冷静に考えて、「男の子」でもプリ〇ュアが好きな子はいますよね?

「女の子」でも戦う系やギャグ系が好きな子もいますよね?

なぜ性別でそれを仕分けられないといけないのでしょうか?



この件、Twitterでつぶやいてみたところ

 

「少年漫画」「少女漫画」という括りを無くしたら乱雑で探しづらいと思います。

アニメについてはほとんどの場合「原作」と呼ばれるものがあります。購読層に合わせて「少年」「少女」「青年」「女性」など。

これらについては単独の漫画ではなく複数の漫画が綴られている以上グループ分けがされます。

グループによる属性分けは「商品を見やすくする」という理念から来ているので「元々存在しているグループを解体して並べる利点」が薄くなってしまいます。

 

といった(略していますが)コメントをいただきました。



この方のコメントの意味はわかりますし、確かに『週刊少年ジャ〇プ』などには「少年」の文字があり、その意味で「少年ジャ〇プ」コーナーなどがあるのはやむを得ないのかと思います(今の社会では)。

しかし、未就学のお子さんが見るアニメに関しては、『未就学児男の子コミック』など、特にありませんよね?

年齢で分けるのはまだわかりますが、性別で分ける必要性については、「子どもにとって」どういう利点があるのかはわかりません。

 

この方のおっしゃるように、「探しづらい」のであれば、それこそ「戦隊もの」とか「作品名」もしくは「作者名」、「放送時間帯」などで仕切った方がいいかと思いますし、現在のその属性分けが必ずしも今の時代(これまで見過ごされてきたことを含め)に適しているとも言えないでしょう。

 

「それは手間だ」と言うのであれば、他にも様々工夫のしやすさはあると思いますし、そもそも、子どもの権利条約には4つの一般原則があり、その一つに「子どもの最善の利益」があることを、私たち大人は理解する必要があると思います。

「子どもの最善の利益」というのは、

国や大人は子どもにとって「何が最もよいことなのか」を考える。

子どもはそれを「考えてもらう権利」がある。

といった内容であるため、これを「手間」だとして無視することは大人としての責任を果たしていないことになります。

 

唐突ですが、この絵本をご存じでしょうか。

 

 

『女の子だから、男の子だからをなくす本』

この本には、性別の枠組みや役割から自由になるために、ジェンダーに関する知識が様々描かれています。

「男の子だから○○でないと」「女の子だからこれはさせない」など、私たちの世界では性別による偏見(ジェンダーバイアス)がはびこっています。

私はもともとジェンダーバイアス関連に関心があり、この絵本も読んだことがあったため、レンタルビデオ店の陳列について疑問に思うことができました。

(すみません、ここでようやく「声を上げた」経験の話に戻ります)そこで、私はこのレンタルビデオ店の本部に以下のようなメールをしてみたのです。

 

f:id:kotaro-tsuka:20211214153435j:plain

お問い合わせをしてみました

 

これが私の二つ目の「声を上げた」経験です。

「声を上げた」というか、「問い合わせた」経験に過ぎないのかもしれませんが笑、この行動を取ったときにも私は「声を上げる」ことについて、記事を書きたいと思ったのでした。

 

ちなみに、その私の問い合わせメールにはこのように返ってきました。

 

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お返事いただきました

 

私はこのお返事を読んだ時、私の「声」に対して前向きな考えを示してもらえたということを単純にうれしく思いました。

これでもし陳列棚の表記が変わっていたら、それは子どもたちにとって生きやすい世の中にほんの少しでもつながることかもしれないなどと思うと、ワクワクもしていました。

そして後日です。

同じレンタルビデオ店に行ってみたところ…棚の表記がなんと!変わっていませんでした。。

 

…大変残念に思いましたが、この結果も含めて、私は「声を上げる」について記事を書きたいと思ったところです。

 

「声を上げること」は「身近」なこと

私の些細な「声を上げる」経験について、お付き合いいただきありがとうございます。

ここからは、「「声を上げること」について記事にしたい!」と思ったということのほかに、私がなぜ上記ふたつの経験を挙げたかについて書きたいと思います。



ひとつ目の、ホテルでの経験を挙げた理由についてですが、これは結論から書くと「声を上げる」ということはとても「身近なこと」であると私自身感じたためです。

 

「声を上げる」と聞くと、私たちはどこか大変なことのように思いがちです。

大勢で集まってプラカードを持ち、町を歩き回るデモのようなイメージを描く人が多いのではないかと思います。

それも「声を上げる」ことには間違いありませんが、何もそれだけが「声を上げる」ということではありません。

むしろそうではないことの方が多く、私がした「ホテルの部屋を変えてもらう」ということも、ひとつの「声を上げる」ことなのです。

なぜなら、この経験は私には「ホテルで安全に過ごす権利があり、それを主張した」と言い換えることができるためです。

 

「声を上げること」が「身近なこと」であると知ることは、私たちには「人権」があるという当たり前の意識を高めることにも貢献するのではないだろうかと考えます。

どういうことかというと、今自分が「声を上げられる」環境で生活できているかどうかと考えた時に、「そうでない」のであれば、それは権利が脅かされていることになります。

何かによってあなたが抑圧されているということであり、あなたにはあなたらしく生きる「権利」があるのです。

もし普段、家庭や学校、職場などで「声を上げる」ことがしづらいようでしたら、それはあなたが悪いのではなくて、関係性や構造に歪みがあり、「抑圧」がそこにあるということを表しています。

それはあなたをはじめ、「抑圧をしている側」以外、往々にして「生きづらさ」を感じているものです。

もし可能であれば(そんな簡単なものではないことは理解していますが)、同じように「声を上げづらくされている」仲間を見つけて共に構造を変えるための話し合いをしたり、そのために第三者や相談機関などの力を借りたりできるとよいように思います。

 

このことは同時に(反対に)「上げられた声に耳を傾けているか、傾けようとしているか」どうかについても私たちが気をつけねばならないことを示していると思います。

もしあなたが「声に耳を傾ける」べき立場であるにも関わらず、それを怠ってしまっているとき、そこには「抑圧」が生じている可能性があるのです。

反対に、もし家庭や学校、職場などにおいて、あなたが人の「声に耳を傾けている」のであれば、それは「声を上げる人」「声を上げようとする人」の意思や力、存在を肯定する行為となり、あなたは大変重要なことをしているということになります。

「大げさ」に聞こえるかもしれませんが、そんなことはありません。

その積み重ねが「声を上げる」人を育てていくからです。

ただし、繰り返しますが、逆(耳を傾けないということがいかに重いことか)もまた然りであることを改めて残しておきます。

※このあたりのことは、次の記事で触れる予定です。

 

「声を上げること」が「身近なこと」であると知り、今現在の環境を振り返りつつ、自分にできる「声を上げる」(または声を聴く)について、少しでも考え取り組んでいく仲間が増えていくといいなと思っています。



誰かの「気づく」にきっとつながる

もうひとつのレンタルビデオ店での経験を挙げた理由についてですが、これも結論から書くと、「変化はすぐに起こるものとそうではないものがある」ということを共有できたらと思ったためでした。



コロナ禍のような大きなインパクトは、物事を劇的に変化させます。

コロナ禍によって、リモートワークが当たり前になり生活様式もガラッと変わりました。

コロナが落ち着いても、「元に戻らない」変化というものは必ずあり、この点は多くの人が実感していることではないでしょうか。



一方で、なかなか変わらないということも世の中にはあります。

以前書いたことがありましたが、たとえば「選択的夫婦別姓制度」kotaro-tsuka.hatenablog.com

選択的夫婦別姓「国会で議論」いつになるのか 四半世紀が過ぎても実現せず:東京新聞 TOKYO Web

によると1970年には話に出ていたとのことです。

この間およそ四半世紀(以上)「議論が必要」などと言って後回しにされ続け、未だに実現せずに時間だけが過ぎています。。



私のレンタルビデオ店での経験も結局は「変わりません」でした。

しかし、これをもって私の行動を「意味のない」こととして切り捨ててよいものなのでしょうか。

私はそうは思いません。

なぜなら、まずは「知ってもらう」だけでもいい(本当は「いい」と言いたくないですが)と考えるためです。



私の問い合わせに対応した人は、私の問い合わせを見たことで「こういう考え方もあるのか」とほんの少しは思ったのではないかと思います。

「めんどくさい客だな」と思われたのが実際かもしれませんが、それでもその「声」を目にしましたし、「お客様からこういう声がありました」と上司なり、誰かひとりには伝えているのではないだろうかと思います。

もしかしたら、誰かとの愚痴を言い合う席で「こんなめんどくさい客がいてさ…」と話題にされる可能性だってあります。

その時にその中に誰か「気づく」人がいたら、そこで世界が少し変わるはずです。

対応をしてくださった方が本屋に行ったときに、先ほど載せた絵本をたまたま目にして、ピンとくる可能性だってあります。その人が変わって、世界が少し変わるということも考えられます。



…ちょっと夢見がちでしょうか笑。

これらが私の希望的観測であることは正直否めませんが、でも変化というのは「知られること」と、誰かの「気づき」からはじまるということもあるのではないだろうかと私は思っています。



本当に変わらないのだろうか…

ここで、上記がただの私の希望的観測ではないということについて(しつこい笑)少し書いておきたいと思います。



2019年に『日本社会福祉学会フォーラム』に参加してきたときのことです。

当日のシンポジストであった『認定NPO法人自立生活サポートセンター・もやい』の大西連氏が質疑応答の場でこのように(原文通りでなく私の記憶の中であること―乱雑なメモ書き―をご容赦ください)言われていました。



(誰かに理解してもらうことについて)簡単なことではないですが、それでもこの10年日本に貧困がないと思う人はいなくなったと思うんです。

貧困というと、日本のことではないと思われていたけど、伝え続けることによって、潮目で変わる可能性があります。



大西氏が言われるように、少なくとも私は、かつて「貧困」と聞くと、途上国で餓死をする子どもという痛ましい光景を思い浮かべがちでしたが、今は日本の目の前の出来事として思い浮かびますし(途上国のことを忘れたという意味ではない)、「貧困」は遠くではなく目の前に「ある」ということを理解しているつもりです。これは私だけではないのではないだろうと思います。

現場の方はそこに至る(変化する)までに10年がかかったと言っているわけです。

これは「伝え続ける」人がいて、「知られ」、「気づく」人がいるという小さな積み重ねがあって生まれていったということではないかと思います。



もうひとつ挙げておきますと、これはつい先日のことです。

盛岡大学の遠藤可奈子教授の講演をお聞きする機会があり、そこで炎上CM問題についての話がありました。

この話はおそらく『炎上CMでよみとくジェンダー論』の引用かとは思います(当日この本をご紹介されていたため)。CMの内容や問題点については割愛します。



遠藤教授によると、昭和50年代に炎上した『私作る人、ボク食べる人』というCMの時は、「女性が作る人なのか?」という女性からの批判が大きかった一方で、男性からはそれが当たり前というような反応があり、逆切れされるということがあったと言います。



それから40年近くあと、平成24年に放送された『日本のお母さん』というCMでは「とんでもない」内容だと思った人と、「感動した」という人とで賛否両論に分かれたと言い、その3年後、平成27年に放送された『働く女性たち応援するスペシャルムービー』では女性だけでなく男性からも批判が起こったそうです。



もちろん、その理由には内容があまりに酷いといったことなども影響はしていると思います。

しかし、少しずつではありますが、この「おかしさ」に「気づく」層が増え、それが「知られて」いっている(特に男性に)ということと言えるのだろうと思います。

それは「声を上げる」人たちが、「声を上げ続けた」ためでしょう。

そのことを改めて確信させてくれたのは、上記の講座で同大学の嶺岸玲子准教授の話でした。

嶺岸准教授はご自身の経験談を含めて、

自分の人生を他人がコントロールすることのおかしさ

について言及し

マイノリティへ、心を砕いてほしい

というメッセージを残されていました。

 

嶺岸准教授がそのように考える(そうしたメッセージを送る)ようになったのは

トランスジェンダーや同性愛者が声を上げ始めたこと

であったと言います。

 

存在が「知られ」、「気づく」層が増え、「考え、声を上げる」人が増える。そのことによって「変化」していく。

これはまるでカタツムリが這うかのようなスピードで起こることかもしれませんし、行きつ戻りつ(揺り戻される)するような動きかもしれません。

それでもそれは確実に「変化」だと言えるのだろうと思います。

そして、私たちは「声の上げ方」も「変化」していくのでしょう。



歴史を紐解くと、私たちはかつて百姓一揆という「声の上げ方」をしてきました。

私は百姓一揆なんて、歴史上の話としてしか頭にありませんでしたが、岩手県にある『田野畑村民俗資料館』の『三閉伊一揆』を目の当たりにして、単なる歴史上の話ではなく、今につながる人びとの強く生きてきた力だったのだと捉えるようになりました。(これもまた私の「変化」ですね)

 

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「困る」をあらわした一揆の時の旗

百姓一揆では、一揆の首謀者が処罰されてしまうという悲劇が起こってしまうことがあったために、円型に名前を書くことで誰が首謀者かわからなくするという工夫をしてきたと言います(その写真がフォルダにはなぜかありませんでした…見つけたら後日載せます)。

→この件は『西和賀町歴史民俗資料館』に訪れた時に見たものの誤りでした。写真を載せておきます。

西和賀町歴史民俗資料館の入館チケット

 

声を上げながら、その方法を「変化」させてきた歴史です。

現在はTwitterを使ったデモやネット上の署名活動なども展開されていますね。

ネットの世界では「エコーチェーンバー」と言われる現象があり、狭い世界での発信に留まってしまうという課題が出てきているわけですが、それでもその声の集合体を政治も無視できなくなりつつあるように思いますし、それをもとに違う方法を考える人たちが多く出てきています。

 

「声を上げれば」必ずしも何かがうまくいくというわけではありませんが、変化した先に「公正」が待っているのであれば、試行錯誤しながら、なかなか変わらない現状に悔し涙を流しながらも「声を上げる」ということには、価値はあると言えるのではないでしょうか。



「声を上げる」ことは、次の加害を防ぐことでもある

最後に、「声を上げる」ことにおいて、私が重要と思っている考え方を載せておきます。

これまた結論からお伝えすると「被害を無視するということは、次の加害側に加担することになりうる」という考え方です。

これは少し厳しい言葉に聞こえますが(声を上げないことを非難する意味ではないですし、当事者においては声を上げたくても上げられないということもあり、またそもそもそうした事態を生み出す側に明らかな非があることは前提です)「声を上げる」上で大事な考えであるように私は思っています。



ホテルでの「部屋が臭い」という経験において、私は「被害者」でした。

被害者であった私には「臭いを我慢をする」という選択肢も当然ありました。「被害」を無視するという選択肢です。

しかし、私がもしここで声を上げなかったから、次の人もこの部屋をそのまま利用するでしょう。

もちろん、私たちが利用したあとに掃除が入って、部屋の臭いが改善される可能性もあります。

でも、私たちが利用する前にも部屋は掃除していたはずであり、それなのにこの臭いだったということは、私たちの次にこの部屋を使う人もまた「我慢」をすることになるかもしれませんよね。

もし私が声を上げなかった場合、次にこの部屋を使う人は「前にこの部屋を使っていた人(みんな)も我慢して使ったのだろうから、私たちも我慢しようか」と思うかもしれません。これは私がその方を「我慢」に巻き込んでしまったと言えなくもありません。

私が声を上げなかったのに、次にこの部屋を使う人が声を上げていたら、ホテルマンは「昨日利用したお客さんは何も言わなかったのに」と思って、その方の声を「わがまま」と捉えてしまっていたかもしれません。

仮に、私が声を上げてもホテル側が動かなかったとしても、それは無駄に思えるかもしれませんが、次にこの部屋を使う人も「声を上げていた」としたら、ホテル側もさすがにその部屋を使用禁止にするか、その対策に本腰を入れる可能性も出てくるだろうと思います。

 

…考えすぎかもしれませんが、私が被害を無視していたら、次の人に不利益を被らせてしまうといった構造があるのだと思います。

私が声を上げなかった場合には、私の中でこのホテルは「泊まりたくないホテル」として記憶され続けるため、「あのホテルには泊まらない方がいい」というある種の加害側に立ちうるという見方もできるかもしれません。



レンタルビデオ店での経験においては、私が「声を上げた」ところで何も変わりませんでしたが、声を上げなければ(少し傲慢な表現ですが)変わるきっかけすらないままであっただろうと思います。

私が声を上げないことは、子どもたちの最善の利益を守ろうとしない大人の一人という加害側に立つことになります。

そうやって声を上げる大人の姿をもし子どもが見てくれたら、そういう大人の存在を間接的に知ってくれたら、変化がなくても、「声を上げる」ことの大切さや「声を上げてもいいんだ」と理解してくれる子どもも増えるかもしれません。

それはきっと次の「変化」を促すだろうと思います。



ひとつ注意しておきたいのは(前提の話でも書きましたが)この考え方はともすると自責の念を覚えたり、罪悪感を感じてしまったりすることにつながりかねない考え方だと思います。

したがって、無理をしてはいけないですし、もちろん、「声を上げられない」こと、また、「変わらない」ということはあなたが悪いわけでは決してないと知る必要があると思います。

また、本来、当事者・被害者にそれを強いることはおかしいことだと思います。

当事者・被害者以外の立場で、「声を上げた方がいいのでは?」と気づくことができる人。

「声を上げないと!」と思う場面に遭遇することができている人。

その人の中には「私」もいて、すべての「あなた」もいるわけですが、「声を上げる」ことは次の被害だけではなく、次の「加害」を防ぐことにもなり得るのだと思います。

 

繰り返しになりますが「声を上げる」ことは「身近なこと」でもあるため、一緒にランチをする友人や信頼できる大人に「これどう思う?」と言うことも「声を上げる」です。

まずはほんの少しの“それ”でもいいので、そこからはじめていけたらと私は思います。



ここまで(偉そうに)「声を上げる」ことについて書いてきましたが、一方で日本財団

日本財団「18歳意識調査」第20回 テーマ:「国や社会に対する意識」(9カ国調査) | 日本財団

(第202019年)によると「自分で国や社会を変えられると思う」人は5人に1人であり、数字の低さが際立つ結果となっていることが指摘されています。

この現状について思うことを、次の記事では書いていきたいと思います。

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