「強く生きていこう」のマッチョな教育を問い直す
中学校で行った自殺対策の授業内容についてこれまで細かく書いてきましたが、この記事で一旦内容についての記事は終了となります。
この授業で扱ってきたテーマは、みんなにとっての「当たり前」を一度見直してみよう!ということをもとに、以下の4つ
①「みんな仲良く、いつも元気に」
②「人と比べず、個性を大事に」
③「人に頼らず、自立をしよう」
④「強く生きていこう」
についていろいろな角度で考えてみるというもので、実際の内容はこれまで記事にまとめてきた通りです(よろしければ過去記事に目を通していただけたらと思います)。
授業自体は至らない部分もあり、また、生徒さんたちにとっては正直「意味が分からない」時間でもあったと思うのですが(このあたりは次の記事で書きたいと思っています)、記事にまとめながら、貴重な機会をいただけたんだなぁ〜とありがたく感じているところです(どこかお声かけていただけたらうれしいなぁと)。
さて、この記事では4つのテーマのラストである④「強く生きていこう」について、
実際に考えてみたこと、私が中学生に提示したことについて書いていきます。
強さってなんだろう?
私はまず生徒さんたちに「強さ」の定義について尋ねつつ、goo国語辞書の定義を紹介しました。
goo国語辞書によると、「強い」とは
力や技がすぐれていて他に負けない。
物事に屈しない精神力がある。
少しのことでは参らない。
などと定義されています。
力が優れていること、屈しないこと、参らないことが「強い」というのは、私たちが抱いている「強い」のイメージ通りではあるかなと思いますが、
これらに共通しているのは「負けないこと」と言うことができるでしょうか。
厳密には「強い」と「負けない」の間には少し違うニュアンスがありそうですが、「負けない」ということが共通した概念だと考えたときに、私は生徒さんたちにこのように投げかけてみました。
「プロ野球選手チームVS○○学校(お話させていただいた学校)のサッカー部が野球対決をしたら、どちらが勝つでしょうか?強いのはどっち?」
…この学校には実はサッカー部がなかったのですが(大反省)、それはさておき、この質問はどっちだろうと考えることもなくプロ野球選手チームが勝つに決まっていると誰もがわかりますよね。
「負けない」のはプロ野球選手チームの方であり、プロ野球選手チームの方が「強い」ということになると思います。
続けて、私はその質問にこのように付け足してみました。
「では、もしプロ野球選手全員体調不良だったら、どうでしょう?
もしボールがサッカーボールを使うことになり、バットが足を使うというルールに変わったら、どうでしょう?」
…後半に関してはもはや野球対決ではないとツッコミが入りそうですが(笑)、もしこういう条件が加わったら、結果はどうなるでしょうか?
まじめなことを言えば、このくらいの条件であればプロ野球選手チームが勝ちそうな気もしますが、最初よりも○○学校サッカー部が「負けない」可能性が出てきたと言えるのではないかと思います。
…この問いかけで何が言いたかったか。
もし「強い」ということが「負けない」ということだとしたら、「強さ」には様々な「強さ」があるのではないだろうか?ということを私は言いたかったのです。
もし「負けない」ことが「強い」ということであれば、私たちは
「戦いを避けることで」負けない
「変化に適応することで」負けない
「特定の条件であれば」負けない
など、「負けない」方法を様々に見つけ出すことができ、多様な「強さ」を創り出すことができる存在です。
植物学者である稲垣栄洋氏は著書『植物はなぜ動かないのか 弱くて強い植物のはなし』(ちくまプリマ―新書)で、植物の生存戦略の例を用いながら、
正面からぶつからなければいけないわけではないし、逃げ出したっていいし戦わなくてもいい
と私たちが抱く「強さ」のイメージとは違う「強さ」を提示されています。
「植物と人間の世界ではわけが違う」というご指摘もあるかとは思いますが、私たちからしたら「弱い」存在として映る植物の生存戦略に秘められた「強さ」は
―「強さ」にもいろいろな「強さ」があるということ、いろいろな「強い」生き方があるということ―
私たちに「強さとは何か」を問うており、多様な「強さ」について教えてくれてるように思います。
私たちは「強さ」にも様々あることを理解し、「強さ」は選べるという視点を持つことで、自分や他者を大事にすることができるのかもしれないなどと私は思います。
男は泣くな?泣かないというのは強いのか?
「強さ」について考えるとき、必ずと言っていいほど私の頭に浮かぶのが「泣く」という行為です。
もっと言えば、「男なんだから泣くな」とか、泣いている人のことを指さして「弱虫」と言うとか、そういうシーンが私には浮かびます。
これはジェンダーの問題でもあり、もっと丁寧に生徒さんたちと話をしたかったのですが、時間がないこともあったため、「男は泣くな」と言われたことがあるかを尋ねつつ、今回は深堀はせず
「人間は泣きます。性別は関係ないです。」
と言ってしまいました。
※いつか「男らしさ」や「女らしさ」という言葉について考える時間も持ちたいなと思いますが(記事に書く、あわよくば子どもたちと話し合う機会もほしいなと思ったりします)、授業では「強さ」という視点から「泣く」ことについて言及したので記事もその点に絞ります。
さらに、
「泣かない」=「強い」のか?
ということを生徒さんに問いかけつつ、ワンピースのルフィと鬼滅の刃の炭治郎という「強い」キャラクターがそれぞれ涙しているシーンを共有しました。
誰もが泣くこと、さらに言えば、ルフィや炭治郎のような「ザ・強い」キャラクターですら泣き、加えて、「誰かに助けを求め、誰かに助けてもらう」という経験をしているものです。
これももちろん漫画の世界なので「現実とは話が違う」というご指摘はあると思いますが、
③についての記事で「誰かに助けを求め、誰かに助けてもらう」(相談する)というのは大事なスキルであり、訓練が必要なものですらあるかもしれないと書いた通り、
「強さ」の中にはこうしたスキルを身に着けるということも含まれるのかもしれないと私は思い、お話をしたのでした。
性別は関係なく人間は「泣く」存在であり、それは決して「弱さ」の象徴ではないこと、その「弱さ」を胸に、「誰かに助けを求める」スキルも大事にしてほしいということが少しでも伝わるといいなと思っています。
まとめ
中学生への研修内容、④については以上となります。
私たちは「強く生きていこう」と小さいころからよく言われて育つかと思います。
それは子どもたちに対する励ましや幸せを願う声掛けでもあると思われるため、否定されるものではないと思いますが、
マッチョ思考的な「強さ」だけが前面に押し出されるとしんどく感じたり、そうなれない自分は「弱いのかな…」と過度な自己卑下につながったり、「逃げる」という選択肢をそもそも持たなくなったりしてしまいかねません。
これも③についての記事で触れましたが、私たちはいつ病気になるか、いつ失業するか、いつ事故や災害に遭うかはわかることはできず、いつ「(社会的に)弱い」立場に立たされることになるかわかりません。
今の世の中は残念ながら女性であるだけで社会的に弱い立場にあり、海外に出ればマイノリティの立場になる(気づく瞬間が来る)ということもあります。
だからこそ、激励の意味で(子どもという弱い立場に向けて)「強く生きていこう」と言い聞かされてきたのかもしれませんが、「弱さ」と隣り合わせにいるのが私たちなのだと思います。
様々な「強さ」があると書いてきましたが、どの「弱さ」も大事にされることこそが、本当の「強さ」ではないでしょうか。
人の「弱さ」を繊細に感じ取れる「強さ」こそ、私たちひとりひとりが住み良い社会を作るために求められる視点ではないかと私は思います。
また、人にはそれぞれ生きていく(生きやすい)フィールドがあります。
わかりやすい例を挙げれば(当たり前のことなのですが)、大谷選手が大活躍していて世界ナンバーワンの野球選手に近づきつつあるように思いますが、彼は将棋で藤井聡太さんに絶対に勝てないですよね。
それは大谷選手が「弱い」ということではなく、フィールドが違うということなだけです。逆も然り。
マッチョ思考だと、どのフィールドでも成功しないといけないと思ってしまいがち(思わされてしまいがち)です。
そうではなく、自分なりに自分の力を発揮できる、自分なりに心地よく存在できるフィールドがある(見つける・創る)と知ることも「強さ」であるように私は思うのです。
「助けてもらう」ことが大事なスキルでもあるのは、そういうフィールドと出合いやすくなるということも言えるでしょう。
多様性のある、選択肢のある社会こそ「強い」社会と言うこともできるのではないかと私は思います。
こうした多様な「強さ」が認められ、逃げることや「泣く」ことがバカにされない社会となったら、どれだけ生きやすいでしょう。
こうした風土を(学校や地域、社会に)作っていくことは、子どもたちにとっての自殺対策として大事なことではないかと思い、私たち大人が取り組んでいくべきことでもあるように思います。
冒頭に書いたように、これで中学生への自殺対策についての内容の記事(説明)は終わりとなります。
次回、その他、中学生と共有したことや授業をして感じたことなどについて書いて自殺対策の記事を終えたいと思います。